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第110号(2005.03.05 発行)
第110号(2005.03.05 発行)

法治国家が生み出した大連籍船

シップ・アンド・オーシャン財団海洋政策研究所参与◆寺前秀一

2005年は日露戦争百周年の年にあたるが、ロシアが不凍港を求めて開発し、日露戦争により自由港として日本に引き継がれた大連港は、今日、中国の経済特区としてその国際性を発揮している。
大連港はかつて、便宜置籍船に先駆けて日本船舶独自の大連籍船を生み出した。
この大連籍船は日本船舶船主の生み出した法治国家の産物であり、今日の国際船舶制度や経済特区の議論の参考とならないか。

外国船の沿岸輸送

維新直後、明治政府は日本船舶による貢米輸送の確保に腐心し、外国船の不開港場の出入は禁止できたものの、開港場間の回漕はオーストリア・ハンガリーとの条約(1869年)に代表される不平等条約および日本海運の実力から認めざるをえなかった。その後鉄道整備等もあって沿岸輸送問題は解消し、1899年船舶法3条「日本船舶ニ非サレハ不開港場ニ寄航シ又ハ日本各港ノ間ニ於テ物品又ハ旅客ノ運送ヲ為スコトヲ得ス」の規定により、外国船はわが国沿岸輸送から姿を消す体制となった。制度的には外国船舶に頼らなくてもよい体制とはなったものの、指揮運航を外国人の船長に委ねる日本船舶は遠洋航路を中心にまだ相当数存在した。日本人船長が外国人船長を凌駕できるようになるには、積極的に日本人海技の独立方針を示した航海奨励法(1896年)の効果を待たなければならなかった。

自国内の沿岸輸送を自国船舶に制限するカボタージュ制度は、英国の航海条例により始まったとされ、英国は植民地を含む国内輸送を英国船舶の独占とすることにより、植民地貿易の巨額の利益を独占したとされる。最も厳しいカボタージュ制度は1920年米国船舶法で、沿岸輸送は自国製造船に限定している。

わが国船舶法は英国流の大沿岸輸送主義を採用したとされるものの、船舶法自体の施行区域は、当時内地に制限され外地には適用されないとされていたため、大連籍船等の問題が発生することとなった。

関税自主権が生み出した大連籍船

旧満州時代の大連港。大陸への門戸、極東の要衝と言われた。
(写真:読売新聞社)

大連籍船とは関東州に船籍を置いた日本船舶の俗称である。大連港は1905年ポーツマス条約により関東州の租借権を日本が引き継ぎ、1915年日本と中華民国との条約で租借期限を99年間に延長した結果、同港も自由港としてそのまま日本に引き継がれた。日本が関税自主権を実質的に回復し、国内造船業の発達を計るため、外国製造船舶を輸入する場合、10~15円/登簿トンの関税を賦課することとした。このため、航海奨励法の補助金の対象が特定の船舶に制限されていたこともあり、外国製造の日本船舶は大連に船籍を置くものが増加し、当時のマスコミにも注目された。

ロシア時代に自由港であった大連港については、日露戦争直後の国際情勢もあって、外務大臣は外国政府に対し内地・大連間の貿易に外国船の就航を認める旨を通達したとされる。その一方で、日本船舶である大連籍船は、1906年勅令第236号により関東州と内地の間を通航する場合は開港場に制限された。

便宜置籍船の起源は、米国の酒類製造・販売・運搬等禁止法(1917年)に求められる。このいわゆる禁酒法(飲酒は禁止されていないが)の規制を逃れる目的で、米国籍船がパナマに船籍を移したことにはじまるとされる。米国領海内では外国船にも適用される報道がなされており、当時日本の新聞でも話題になった。大連籍船はこの便宜置籍船以前に誕生していたのである。

大連籍船は従来内地船籍であったが、1911年関東州船籍令が公布され、株式会社の場合は役員の三分の二以上が日本人の所有であれば日本船舶とすることができた。これに対して船舶法は制定以来一世紀にわたり、役員全員が日本人であることを要件とし、その問題点が古くから指摘されていたにもかかわらず、日本海運企業の実需が発生していなかったことからか1998年まで改正されずにきていた。船籍、船員はグローバル化されてきたが、経営陣はグローバル化されていなかったからであろう。大連籍船は日章旗を掲揚し、国際関係は外務省が担当するものの、海技資格等海事法令は関東州関係法令が適用され、内地海事法令が適用されないところから、逓信省は海事法令の統一化を課題としていた。

朝鮮籍船への転籍

大連籍船誕生の契機となった船舶輸入税増税の年、日韓併合が行われた。併合にあたり、日本政府は、勅令で「内地台湾及樺太トノ間ヲ通行スル船舶ハ開港ニ由リ出入スヘシ 前項船舶ノ開港出入ニ関スル手続ハ外国貿易船ノ例ニ依ル」と規定し、日本船舶を外国船扱いとするとともに、10年を経過すれば関税を撤廃するとした。船籍に関しては1914年朝鮮船舶令(勅令)により、朝鮮に船籍港を定める日本船舶について規定を設けた。

朝鮮総督府は、船籍を内地、大連から朝鮮に転籍する経済的優位性をPRした。例えば船税、船舶検査手数料が低廉であること、併合10年後に行われる制度改正により朝鮮置籍船に日本内地船と同様の資格を与えられること等を宣伝し、大連籍船の朝鮮籍船への誘致に勤めた。今日の経済特区の企業誘致に相当する活動を行っていたのである。

関東大震災とカボタージュ

大連籍船の内地寄航は開港場に限定され、例外的に伊勢湾について逓信大臣から特許されていた。沿岸輸送も大連籍船は外国船扱いと受け止められ、樺太・内地間輸送には参入できないと認識されていたが、1923年関東大震災復興を契機に、乾汽船の菊桐丸が樺太汽船に傭船されることとなった。逓信省は、復興木材の船舶運賃抑圧策として、大連籍船の樺太開港場寄航は内地船舶法上問題ないと解釈を明確化した。これに対し内地籍船船主は輸入関税が免除されている大連籍船にも日本の内地船舶と同様の待遇を与えるということで問題化した。その結果、1925年樺太船舶令(勅令)が施行され、内地船舶法の施行区域が樺太に拡大された。その際、沿岸輸送の特許権限をめぐって逓信大臣とするか樺太庁長官とするかで、内地船主と樺太産業界で意見対立が発生し、内地入港には樺太庁長官が逓信大臣と協議することで決着した。

1925年英国大使から内地・大連間輸送の許可の照会を受け、逓信省は「台湾朝鮮樺太関東州南洋新領土及び帝国内地各港間の航路は沿岸貿易と認むるが故に外国船舶の内地大連間の貨物輸送は禁止するを妥当なりとす」とそれまでの方針を変更することとなった。同時に1925年関東州ノ船籍制限令(勅令)が制定され、内地・外地間輸送問題は制度的に整備され、大連籍船問題も収束することとなった。

このような大連籍船の歴史的経緯は、今日議論されている国際船舶制度※や経済特区の問題を考える際にも参考になるものと考える。(了)

※ 国際船舶制度=国際海上輸送の確保上必要な日本船舶として、政府が、規制の特例、税制の措置等を講ずることによりその確保に努めている制度のことをいう。

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