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オーシャンニューズレター

第224号(2009.12.05発行)

第224号(2009.12.05 発行)

海底湧水

[KEYWORDS] 海と陸をつなぐ地下水/海への物質負荷/沿岸生態系
総合地球環境学研究所 教授◆谷口真人(まこと)

海底地下水湧出は、陸から海への隠れた水の経路として、また海への物質負荷の重要な一部として、さらに沿岸生態系に与える要因として注目されている。
ローマ時代からその存在自体は知られていたが、海底湧水の定量的評価が、学際的国際共同研究として始まった。
海と陸をつなぐ、知られざる繋がりを紹介する。

海底湧水とは

沿岸および海岸は、様々な意味での「境界」である。陸と海との境界であり、淡水と海水との境界である。そして沿岸水の研究は、陸水を海への"流入"とみる「海洋学」と、陸水を海への"流出"と見る「陸水学・地下水学」の境界分野でもある。これまでは、それぞれが文字通り違う方向を向いて、別々に研究を行ってきた。しかし最近になり、河川水の流入による物質負荷では説明できない量の栄養塩が、陸域から海域へ流入している事などが報告された。海底地下水湧水の海への流入と、それに伴う栄養塩を含む物質の海への負荷、さらにそれらが沿岸生態形に与える影響評価が、学際領域の国際共同研究として始まっている。
降った雨の多くは一端地面の中にしみこみ、地下水となる。そしてその水の多くは、地下水から河川へと流れ出す。雨が降った後に川で増加する水は、実は降った雨そのものではなく、雨が降る前に地面に浸みこんでいた地下水が、雨で押されて川に出てきたものであることが科学的に明らかになっている。しかしこの地下水が、川に出る前に直接海に出るとしたらどうなるだろうか。「海底地下水湧出」は、この地下水が海に直接流出する現象なのである。

海底地下水流出量

表1 海洋への直接地下水流出の割合

海底地下水湧出量の多少を決める要因には様々なものがある。その一つは、陸から海へ地下水を動かす駆動力であり、もう一つは地下水を含む地層の透水性である。地下水を動かす駆動力は、地下水涵養量の多少と、地形勾配で主に決まる動水勾配に支配される。また地層の透水性は、帯水層の透水係数によって主に決まる。これらに加えて、河川の発達の程度によっても海底地下水流出量は支配されている。つまり島嶼のように大きな河川がない地域では、直接地下水流出の割合が大きくなる。
さてそれでは、世界でいったいどれくらいの量の地下水が、海底地下水湧出として海に流出しているのだろうか。表1は、地球全体での陸から海への全流出量に占める海底地下水流出量の割合を示している(谷口, 2005)。海底地下水流出が海への全流出に占める割合の推定値は、0.01%~31%と大きな開きがあるが、全体としてみると、全流出水量の数%~10%が直接地下水流出成分(海底地下水湧出)で占められていると推定される。これらの定量的評価は始まったばかりであり、これまでに、国際研究組織のSCOR(海洋科学研究委員会)やLOICZ(沿岸域における陸域-海域相互作用研究計画)、 IOC・IHP・IAEAやIUGG(国際測地学および地球物理学連合)傘下のIAHS(国際水文科学協会)とIAPSO(国際海洋物理科学協会)などが共同研究グループを組織し、研究方法と対象スケールを基準に3つのタスクを設けて国際共同研究が進められてきた。
上述のように、水収支的には海への直接地下水流出量は全流出量の10%足らずであるとしても、地下水がもたらす物質輸送(負荷量)に関しては、通常地下水の溶存濃度が河川水のそれよりも大きいことから、地球化学的収支および生態系への影響の観点からは、量それ自体よりも重要であるといえる。地下水による海洋への物質輸送に関して、地下水が海洋へもたらす塩類の量は、河川水がもたらす量の約50%であるとする推定もある。

物質循環の重要な役割

鳥海山山麓海岸・釜磯での海底湧出地下水。
鳥海山山麓海岸・釜磯での海底湧出地下水。

海底地下水湧水は、水循環の隠れた経路として、また物質循環の重要な一部を担っていることが科学的に徐々に明らかになってきているが、沿岸域に流出したこの海底湧水は、その後どのような形で周囲の環境に影響を与えているのだろうか。海底湧出地下水の特徴の一つに、温度がほぼ一定であることがあげられる。この一定温度であることと、ほどよい淡水成分の混ざった汽水があってはじめて存在する生物が、沿岸生態系には多い。
一例として、鳥海山山麓の海底湧水と岩牡蠣の生態についてみてみよう。人間文化研究機構・総合地球環境学研究所では、連携研究「人と水」(代表:秋道智彌)において、海底湧水が沿岸生態系に及ぼす影響評価をおこなっている(谷口,2009)。鳥海山山麓沿岸の釜磯、女鹿、象潟などでは、湾ごとに岩牡蠣の大きさや形が異なる。この違いは何処から来るものであろうか。温度などの物理環境か、栄養塩などの化学環境か、また別の要因なのか。その違いを調べる手がかりとして、汽水をもたらす淡水成分が、河川水起源なのか地下水(海底湧出地下水)起源なのか、それに伴い温度環境や栄養塩の海への流出がどのように異なるか、などが調べられている。
地下水の温度は河川水の温度に比べて一定で安定している。これは、河川水が滞留時間の短い、速い流れの水であるのに対し、地下水は滞留時間の比較的長い、遅い水であるため、日変化や季節変化の影響が混合され一定になるためである。栄養塩に関しても、河川水と地下水で溶存している物質の濃度が異なり、その違いが沿岸の岩牡蠣を含めた生態系に影響を与えていることが考えられる。また鳥海山沿岸では、ハタハタが産卵する際、川のない湾にも卵を産むという。ハタハタのような淡水回帰性の魚にとって、汽水を構成する淡水は、川の水だけではなく、地下水であってもよいのかもしれない。

水と人と生物が多様に絡み合う沿岸域研究を

海底地下水湧水は、通常は目に見えない現象である。しかし駿河湾の漁師はそこにシラスが集まることで海底地下水湧水の存在を知り、愛媛の西条では、魚を運ぶ漁船が途中で止まって淡水を補給したという海中の井戸がある。そこからは淡水が湧出している。また不知火には、引き潮の時にだけ顔をだす井戸があり、そこからは海底地下水(淡水)が湧出し、地域の人々が生活に使用している。これらはすべて、地下水をとおして地域の水循環が繋がっていることを示しており、沿岸を舞台に、水と人と生きものが繋がっている地域である。ブナ林を中心にした「森と海の連関」が注目されているが、「森は海の恋人」といわれる陸と海の繋がりも、なにも川だけで繋がっているわけではない。海底地下水湧出は、地下水を通して直接、陸と海が繋がっている現象なのである。
水と人と生物が多様に絡み合う沿岸域は、海洋学や地下水学・陸水学だけではなく、学際的な研究の場として、統合的な知を生み出す格好の場である。多様なものが境界でせめぎ会う沿岸域における研究は、これからさらに推進すべき分野であろう。(了)

【参考】
谷口真人(2005):海洋境界を通しての物質のフラックス、河村公隆・野崎義行編、地球化学講座第6巻「大気・水圏の地球化学」, 249-252, 培風館
谷口真人(2009):鳥海の海底湧水、秋道智彌編『鳥海から考える人と水』、東北企画出版 (印刷中)

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