笹川平和財団 中東・イスラム事業グループ
中東情勢研究会「イランにおける抗議運動」
2018年1月30日(火)

1396年抗議運動/騒乱にみられるイランの国家-社会関係の変容

黒田賢治国立民族博物館特任助教

早すぎる運動のフレーム――96年デモを目の当たりにして

 2017年12月26日~18年1月9日、私はイランの首都テヘランに研究のため滞在しており、くしくも、96年抗議運動を目の当たりにしました。そこで見聞きしたことをお話しします。
 12月28日、イラン北東部のマシュハド、ニーシャープールなどの町でデモが起こり、その後数日のうちにテヘランなど全国各地に広がりました。
 今回の運動の特徴のひとつは早すぎる運動のフレームだということです。例えば、社会運動論では、運動しているうちにその方向性が決まっていくとされていますが、今回の社会運動、抗議行動は明確なフレームを持った運動になっていく過程が早すぎるのが大きな印象です。
 今回のデモは、12月28日、マシュハド出身で昨年の大統領選でロウハーニー大統領に敗れた反米強硬派ライースィー前検事総長が呼びかけたことから発生した、と指摘する専門家もいます。メディアでもロウハーニー現政権を否定する人たちによるデモ、物価の高騰の継続や失業率の高さ、現勢力の掲げてきた問題に対する抗議行動として報じられていました。この時点ではまだ「ロウハーニーに死を」とは言わず、「独裁者に死を」と言っていた。山岸先生も指摘されていますが、一線を越えてはいけないといった意識が働くのか、個人名を挙げず、「独裁者」とあいまいにしていた。この抗議行動についてはマフムード・アフマディーメジャドー前大統領に近いメディアとされるウェブサイトやテレグラムで映像が拡散されていき、マシュハドあたりで現政府に対して経済的な不満もち抗議運動をする人たちがいるということは何となく知られていました。
 ところがこの抗議行動は徐々に大きくなって、翌29日には「ハメーネイーに死を」と、現体制、つまり1979年に誕生したイラン・イスラム共和国体制を覆す発言に変わります。さらに「レザー・シャー」と革命前の王様の名前も抗議行動の中で出されるようになり、ここで現体制への否定であることが明らかになります。この抗議行動は最高指導者アリー・ハーメネイー師退陣要求運動です。テレグラムやインスタグラムなどに投稿される動画には、検索しやすいようにインデックスとしてハッシュタグ(#)が付けられるのですが、「解雇要求運動」といったハッシュタグが付けられています。
 30日にはテヘラン大学でもデモが起こりました。このころからデモは路上の片隅にあるごみ箱に火をつけたり、バス停のガラスを割ったりと暴徒化し、激しい運動になっていくわけです。

都市化し洗練されてきたのか

 最初に申したように、私はこの時期にたまたまテヘランに滞在していました。研究者として私はいまどういうことが起きているのかを知りたい、という動機に駆られまして、テレグラムやインスタグラムといったアプリのハッシュタグをたどってどこでデモが起こっているのかを追っていきました。
 そこであげられていたのはテヘラン中央駅の北方、フェルドゥースィー駅のあたりの地域、図1です。12月30日にデモが起こったのは緑印の地点、31日は青印の地点、さらに1月2日は割と広範囲で、フェルドゥースィー通りで起こりました。横2.5キロメートル、縦1キロメートルほどに収まる範囲です。赤線は、治安部隊が最も人を動員して守っていたところです。ただ、デモの発生場所に応じて、配置は日々変わっていました。
図1 フェルドゥースィー駅近辺の地図↓
図1 フェルドゥースィー駅近辺の地図
 私はエンゲラーブ広場近くのカフェから街の様子を観察し、アプリに出てくる情報を追っていきました。結論から言うと、アプリに投稿される情報の信ぴょう性は高くはありませんでした。「1月1日17時、テヘラン広場でデモを起こす」との書き込みがあったので注意していましたが、何も起こらなかった。イランの国営放送のような機関が「火炎瓶をもって襲撃するぞ」と書き込んでいても、実際には人は集まらないし、襲われた人もいなかった。こういう情報が氾濫しているのです。
 カフェでカーレギャル通りの北で行われているデモにニアミスしたという話をする人がいました。そのとき店内が一瞬、ざわついた。外を見ると若干の人がある方向を見ていた。そこで「何かあったのか」と聞くと、「何も」と言われました。
 東京外国語大学大学院教授の松永泰行氏が2009年の緑の運動のあとイランを訪れたときのことを論考に書かれています。「見知らぬ他人と関わることを避けたいという動機」が一般の人にも広がっている、社会的緊張感が高まっているということです。今回も、他人とあまり関わりたがらない雰囲気を感じました。都市化が進み、都市の人のふるまいとして洗練されてきたともいえるかもしれません。ただ、デモがあったことに対して「何も」と言われただけでなくて、フェルドゥースィー通りなどには外貨の競りをやっている人が集団でいるのですが、そこで窃盗事件が起こったときにも、群がっていた人に「何か起こったの?」と聞くと、「何も」と言われることがありました。「何も関わるな」ということです。そのときには近所に骨董店を構える知人に教えてもらうことができたのですが、何かが起こっていることに対して人と関わり合いをあまりもとうとしないことを強く感じました。

地方小都市の限界

 最近、研究で、取り締まる側の人「バスィージ(革命防衛隊傘下の志願民兵)」にヒアリングする機会が多くあります。今回のデモで、その私の知り合いも、毎日、マグリブ(日没後の)礼拝が終わる18時ころから24時半くらいまで、さきほどのエンゲラーブ通りのあたりを見守っているということでした。1月1日19時ころ、そこを歩いていたら、治安部隊が「店を閉めろ」と言って、シャッターをどんどん警棒でたたいていくのに出くわしました。私まで追いかけられて軽くたたかれましたが、追い払われずにいる人もいました。
 その知人が「デモがとても小さな町で起きている」ということを仲間と話しているのを耳にしました。対面する可能性が高い小都市でデモなどという顔をさらすことをしている。このことは取り締まる側からも懸念材料のようです。
 タクシーに乗ったときに、「地方に住んでいたが、仕事がないので、テヘランに出てきてタクシーの流しをやっている」という話を聞いたことがあります。地方都市の困窮が、今回のデモの大きな背景にあるのではないかと感じています。
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