第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
【開催報告】
日本のムスリムのライフステージとその実像~日本で生き、育て、働き、死を迎える~
2025.04.18
31分
主催:笹川平和財団
開催日時:2025年2月14日(金)15:00-17:00 (JST)
会場:笹川平和財団国際会議場・オンライン(Zoom)配信
開会挨拶
笹川平和財団常務理事 安達一
笹川平和財団では、日本で暮らすムスリムの方々の実像を把握し、理解を促進することを目的に、2022年度より「日本社会におけるイスラームの実像」事業として調査をして参りました。本事業では、ムスリムに人びとのライフステージを「コミュニティ」、「教育」、「就労」、「保健医療」という四つの切り口で調査を行い、そのそれぞれの調査の成果報告が、本日のプログラムの中心です。
本事業を通して当財団が得た学びを大きくまとめると、「多様性」「成長」「日本」の三つのキーワードに収斂するのではないかと感じています。まずは、さまざまな出自・背景を持つ多様なムスリムの方々が、日本各地のさまざまな環境の中で多様な実践を試みていることによる多様性。それから、単なる人口の増加ということではなく、ムスリムコミュニティの質的な変化による成長。具体例としては、日本で生まれ育ち、日本で働くことを選ぶ第二世代の若者たちの増加などが挙げられます。最後に、調査のなかで出会った多くのムスリムの方々が、日本社会との共生に真摯に取り組み、「日本のムスリム」として日本社会に貢献することを視野に入れつつあるという意味で、「日本」。これらを一言でまとめると、すでに数十年以上の歴史を持つ日本のムスリムは、他者として一面的に理解することを許さないものになっているということが言えると思います。
本シンポジウムが、日本に暮らすムスリムの最新の実像を提示し、日本社会における理解が深化・促進される機会となれば幸いです。最後になりますが、皆さまのご参加に改めて感謝申し上げ、開会のご挨拶とさせて頂きます。
本事業を通して当財団が得た学びを大きくまとめると、「多様性」「成長」「日本」の三つのキーワードに収斂するのではないかと感じています。まずは、さまざまな出自・背景を持つ多様なムスリムの方々が、日本各地のさまざまな環境の中で多様な実践を試みていることによる多様性。それから、単なる人口の増加ということではなく、ムスリムコミュニティの質的な変化による成長。具体例としては、日本で生まれ育ち、日本で働くことを選ぶ第二世代の若者たちの増加などが挙げられます。最後に、調査のなかで出会った多くのムスリムの方々が、日本社会との共生に真摯に取り組み、「日本のムスリム」として日本社会に貢献することを視野に入れつつあるという意味で、「日本」。これらを一言でまとめると、すでに数十年以上の歴史を持つ日本のムスリムは、他者として一面的に理解することを許さないものになっているということが言えると思います。
本シンポジウムが、日本に暮らすムスリムの最新の実像を提示し、日本社会における理解が深化・促進される機会となれば幸いです。最後になりますが、皆さまのご参加に改めて感謝申し上げ、開会のご挨拶とさせて頂きます。
教育:日本で暮らすムスリムの子どもたちとともに創る-ライフステージとしての幼児期・学齢期の教育
服部美奈氏(名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)
日本に暮らすムスリムの人格・アイデンティティ形成の時期にあたる学齢期・教育期に焦点を当て、研究およびワークショップを実施した。日本に暮らすムスリムの子どもたちを取り巻く状況は、それぞれの国籍・在留資格・移民世代等の要素によって多様である。同様に、子どもたちが教育を受ける場所に関しても、日本の学校のみならず、ムスリムの人々によって国内で設立されたイスラーム学校に通う場合や、それら両方で学ぶケース等があり、それぞれの環境においてムスリムの子どもたちとその関係者が直面する困難や現状は異なる。これらを背景に、本プロジェクトでは、①日本の公立学校に通うムスリムの子どもたちを取り巻く教育の現状の分析、②全国で設立されているムスリムの人々による学校設立(イスラーム学校)の特徴や課題の調査、③日本の公立学校の先生方とイスラーム学校の先生方、研究者が意見交換・交流を行うワークショップを実施した。
日本の公立学校で学ぶムスリムの子どもを取り巻く状況に関しては、学校が家庭の方針を考慮し、可能な限りでムスリムの子どもに対して柔軟かつ個別に対応する姿勢がみられることが分かった。また、学校がムスリムの子どもに対して個別に対応している項目にある程度の共通性(給食や礼拝など)を見出すことができるが、多様なムスリムを一括りにして専門家から対応策を提示することは現実的でないことが言えるであろう。
イスラーム学校で学ぶムスリムの子どもの状況に関しては、日本の公立学校で辛い出来事やムスリムアイデンティティを喪失しそうな経験をする子どもがいることや、日本で育つムスリムの子どもたちに対する教育のニーズに親やムスリムコミュニティが応える形で草の根的にイスラーム学校が設立されていったということが言える。イスラーム学校の教育は、イスラーム教育、アラビア語教育、一般教科の教育、日本語教育のコンビネーションで提供されており、多くのイスラーム学校では多様な進路に進む生徒に対応すべく国際的な修了資格を提供できる体制を整える努力がされている。さらに、イスラーム学校では、ムスリムコミュニティが日本社会に適応することを重視しており、イスラームのアイデンティティと日本への理解促進を両立するための工夫が各学校で講じられている。このように、日本の公教育や日本に設置されているイスラーム学校は、それぞれの立場から、ムスリムの子どもたちの健やかな成長や日本社会への適応のために、模索しながらも柔軟に対応している。こういった状況については、今後も継続して調査をしていく必要がある。なお本研究成果は、書籍『日本で暮らすムスリムの子どもたちの教育』(服部美奈監修、明石書店)として刊行予定である。
日本の公立学校で学ぶムスリムの子どもを取り巻く状況に関しては、学校が家庭の方針を考慮し、可能な限りでムスリムの子どもに対して柔軟かつ個別に対応する姿勢がみられることが分かった。また、学校がムスリムの子どもに対して個別に対応している項目にある程度の共通性(給食や礼拝など)を見出すことができるが、多様なムスリムを一括りにして専門家から対応策を提示することは現実的でないことが言えるであろう。
イスラーム学校で学ぶムスリムの子どもの状況に関しては、日本の公立学校で辛い出来事やムスリムアイデンティティを喪失しそうな経験をする子どもがいることや、日本で育つムスリムの子どもたちに対する教育のニーズに親やムスリムコミュニティが応える形で草の根的にイスラーム学校が設立されていったということが言える。イスラーム学校の教育は、イスラーム教育、アラビア語教育、一般教科の教育、日本語教育のコンビネーションで提供されており、多くのイスラーム学校では多様な進路に進む生徒に対応すべく国際的な修了資格を提供できる体制を整える努力がされている。さらに、イスラーム学校では、ムスリムコミュニティが日本社会に適応することを重視しており、イスラームのアイデンティティと日本への理解促進を両立するための工夫が各学校で講じられている。このように、日本の公教育や日本に設置されているイスラーム学校は、それぞれの立場から、ムスリムの子どもたちの健やかな成長や日本社会への適応のために、模索しながらも柔軟に対応している。こういった状況については、今後も継続して調査をしていく必要がある。なお本研究成果は、書籍『日本で暮らすムスリムの子どもたちの教育』(服部美奈監修、明石書店)として刊行予定である。
就労:ムスリム第二世代の若者の就職とキャリア形成
福田友子氏(千葉大学大学院国際学術研究院・准教授)
千葉大学移民難民スタディーズでは、「就労」に焦点を当て、「第二世代の若者の就職支援とキャリア教育」、「外国人企業家」、「難民の雇用促進」、「介護分野における外国人ケア労働者」の4つのテーマについて調査研究を行った。本日は、その中でも実践研究を行った「第二世代の若者の就職支援とキャリア教育」について発表する。
このテーマでは、就職支援にかかわる専門家の講演会やインタビュー、外国につながる高校生や中学生向けのキャリア教育ワークショップを行った。関係者との意見交換を通して、第二世代の若者が就職において直面する課題を把握すると共に、当事者である高校生や中学生を対象とするキャリア教育の提供に取り組んだ。
まず、2024年1月に「外国につながる高校生の就労支援」と題して講演会を開催し、専門家や支援者と意見交換会を実施した。意見交換からは、外国につながる高校生が抱える問題として、在留資格等の制度的な障壁や日本語の言語的な課題などが前提にあり、さらに学校での画一的なキャリア教育と第二世代の若者が抱える現実との乖離を背景とした、キャリア教育のミスマッチが指摘された。一方、高校生の就職「指導」にあたる学校側においては、外国につながる高校生に対する個別の就職「支援」が行き届かない現状があることも分かった。また、第二世代の中でも、特にムスリムの就労を阻む課題も指摘された。たとえば、求職段階で人種差別的スクリーニングを経験すること、職場でムスリム女性のヴェール着用が認められないこと、金曜礼拝参加に理解がないことなどが、就職を阻む要因となりうる。また、家族の理解を得られないがために、第二世代のムスリム、特に女性の就職が困難な事例があることも示された。これらの現状・課題は、宗教のみでなく、国籍・性差・在留資格・慣習などの要素が複合的に絡み合った構図として捉える必要があることが分かった。
こうした理解を踏まえ、外国につながる高校生や中学生を対象とした「キャリア教育ワークショップ」を実施した。これらのワークショップでは、外国につながる若者向けのキャリア教育を提供するとともに、実際の現場の声を調査した。このイベントからは、様々な環境的要因により、キャリア教育の必要性を感じない外国につながる若者が存在する実態が浮き彫りになった。本事業の考察として、特にムスリムの就職における困難は、宗教的属性のみではなく、国籍や在留資格や性差などが複合的に影響する「交差性(インターセクショナリティ)」の問題として捉えた方がより実情が見えることが分かった。第二世代の就職に関する研究分析には未だ課題が山積しており、今後とも調査していく必要がある。
このテーマでは、就職支援にかかわる専門家の講演会やインタビュー、外国につながる高校生や中学生向けのキャリア教育ワークショップを行った。関係者との意見交換を通して、第二世代の若者が就職において直面する課題を把握すると共に、当事者である高校生や中学生を対象とするキャリア教育の提供に取り組んだ。
まず、2024年1月に「外国につながる高校生の就労支援」と題して講演会を開催し、専門家や支援者と意見交換会を実施した。意見交換からは、外国につながる高校生が抱える問題として、在留資格等の制度的な障壁や日本語の言語的な課題などが前提にあり、さらに学校での画一的なキャリア教育と第二世代の若者が抱える現実との乖離を背景とした、キャリア教育のミスマッチが指摘された。一方、高校生の就職「指導」にあたる学校側においては、外国につながる高校生に対する個別の就職「支援」が行き届かない現状があることも分かった。また、第二世代の中でも、特にムスリムの就労を阻む課題も指摘された。たとえば、求職段階で人種差別的スクリーニングを経験すること、職場でムスリム女性のヴェール着用が認められないこと、金曜礼拝参加に理解がないことなどが、就職を阻む要因となりうる。また、家族の理解を得られないがために、第二世代のムスリム、特に女性の就職が困難な事例があることも示された。これらの現状・課題は、宗教のみでなく、国籍・性差・在留資格・慣習などの要素が複合的に絡み合った構図として捉える必要があることが分かった。
こうした理解を踏まえ、外国につながる高校生や中学生を対象とした「キャリア教育ワークショップ」を実施した。これらのワークショップでは、外国につながる若者向けのキャリア教育を提供するとともに、実際の現場の声を調査した。このイベントからは、様々な環境的要因により、キャリア教育の必要性を感じない外国につながる若者が存在する実態が浮き彫りになった。本事業の考察として、特にムスリムの就職における困難は、宗教的属性のみではなく、国籍や在留資格や性差などが複合的に影響する「交差性(インターセクショナリティ)」の問題として捉えた方がより実情が見えることが分かった。第二世代の就職に関する研究分析には未だ課題が山積しており、今後とも調査していく必要がある。
災害:災害時のムスリムコミュニティの対応:能登半島地震を中心に
小谷仁務氏(東京科学大学環境・社会理工学院土木・環境工学系 准教授)
SDGsで提唱されている「誰一人取り残さない社会」の実現において、防災・減災活動は密接に結びついている。日本で暮らすムスリムをはじめ、マイノリティである外国籍の人びとは言語的・宗教的障壁などによって、災害弱者に陥りやすく、災害時は公的機関のみでは対応しきれない現状がある。そこで、過去の災害時にモスクを中心とするムスリムコミュニティがどのような対応・支援を行ってきたかを調査した。
能登半島地震におけるモスクの役割については、震災後1~2か月の間にモスクの代表者にインタビューをして調査を実施した。能登半島では、外国籍住民は全住民の1%以下であり、その過半数は技能実習生である。技能実習生は、労働・経済・環境的背景から、一般の外国籍住民と比べ、脆弱性が高いとされており、自然災害において彼・彼女らを取り残さないアプローチが必要である。今回聞き取りを行った金沢モスク(石川県金沢市)、Al-Faruqモスク(富山県富山市)、富山モスク(富山県射水市)では、それぞれ避難所として必要とする外国籍ムスリムに提供され、救援物資の提供を行っていた。また、技能実習生が取り残れないよう、継続的な支援を担っていることが分かった。
阪神・淡路大震災から能登半島地震、そして新型コロナウイルス禍において日本全国のモスクがどのような役割を担ったかを調査をするなかで、モスクが近隣のムスリム住民、そしてその他の外国籍住民をも包括した支援を提供してきたことが明らかになった。東日本大震災や能登半島地震におけるケースでは、モスクは発災直後から避難所、救援物資の集配拠点、炊出し等の拠点として多様な支援活動に関わっており、日本語以外での情報伝達、ハラール食の提供を担った。モスクによる支援は、被災者に限らず死者への対応も行い、国籍や宗教を超え、地域コミュニティに対して包括的に支援を提供してきた。このような活動は、モスクが地域行政などのステークホルダーと連携ができていたから可能になった側面もある。今後もモスクと地域のステークホルダーとの連携・協力の方法を模索していくべきである。
*発表時、金沢モスク、Al-Faruqモスク、富山モスクが宗教法人富山ムスリムセンターに属すとの説明がありましたが、富山ムスリムセンターは一般社団法人であり、また上記三モスクとの所属関係も不正確でしたので、訂正をさせていただきます。
能登半島地震におけるモスクの役割については、震災後1~2か月の間にモスクの代表者にインタビューをして調査を実施した。能登半島では、外国籍住民は全住民の1%以下であり、その過半数は技能実習生である。技能実習生は、労働・経済・環境的背景から、一般の外国籍住民と比べ、脆弱性が高いとされており、自然災害において彼・彼女らを取り残さないアプローチが必要である。今回聞き取りを行った金沢モスク(石川県金沢市)、Al-Faruqモスク(富山県富山市)、富山モスク(富山県射水市)では、それぞれ避難所として必要とする外国籍ムスリムに提供され、救援物資の提供を行っていた。また、技能実習生が取り残れないよう、継続的な支援を担っていることが分かった。
阪神・淡路大震災から能登半島地震、そして新型コロナウイルス禍において日本全国のモスクがどのような役割を担ったかを調査をするなかで、モスクが近隣のムスリム住民、そしてその他の外国籍住民をも包括した支援を提供してきたことが明らかになった。東日本大震災や能登半島地震におけるケースでは、モスクは発災直後から避難所、救援物資の集配拠点、炊出し等の拠点として多様な支援活動に関わっており、日本語以外での情報伝達、ハラール食の提供を担った。モスクによる支援は、被災者に限らず死者への対応も行い、国籍や宗教を超え、地域コミュニティに対して包括的に支援を提供してきた。このような活動は、モスクが地域行政などのステークホルダーと連携ができていたから可能になった側面もある。今後もモスクと地域のステークホルダーとの連携・協力の方法を模索していくべきである。
*発表時、金沢モスク、Al-Faruqモスク、富山モスクが宗教法人富山ムスリムセンターに属すとの説明がありましたが、富山ムスリムセンターは一般社団法人であり、また上記三モスクとの所属関係も不正確でしたので、訂正をさせていただきます。
死:墓地確保という難題
三木英氏(相愛大学人文学部客員教授)
1.国内にムスリムの墓を
日本国内でムスリムの姿が人目に付くようになったのは1990年前後からである。イラン=イラク戦争後にイランから、そして(当時)ビザ免除措置がとられていたパキスタンやバングラデシュから、若者たちの就労目的での来日が相次ぎ、日本人はムスリムを身近に見るようになった。そしてイスラームという宗教の存在を実感するようになったのである。
その若者たちの多くは祖国に十分な送金をし、またある程度の蓄財をした後、帰国していった。しかし、日本での永住を選んだ者たちも相当数に上る。結婚を契機に「日本人の配偶者等」の在留資格を得たムスリムがその典型である。その彼ら、そして彼らの配偶者たちが現在、老境にさしかかろうとしている。
それに伴い彼らが意識するようになったのが「死」であり、死して後に葬られることになる「墓」である。墓をどこに設けるかは、ライフステージの最終段階の重要課題である。ムスリムにとって墓は、一般日本人のように、仏教寺院の境内墓地や公営・私営の霊園に設ければ済むという問題ではない。ムスリムが必要とするのは土葬墓地である。そして土葬が可能な墓地は国内に極めて少ない。
イスラームでは、キリスト教と同じく、最後の審判の教えが説かれ、審判を下す神の前に立つために死後は土葬されることが求められる。何より聖典『アル・クルアーン』に、罪人は地獄の炎に焼かれるとの記述があり、火葬されることは罪を犯したことと結びつけられるがゆえに、火葬が選ばれないのである。土葬可能な墓地を現住地の近くに確保したいという思いはおそらく、日本で埋葬されることを予定しているムスリムたちすべてが抱いているであろう。
ただ、自分たちのための墓地を確保しようとしながら難航した、というケースが確認できる。その一方で、大過なく確保しえたというケースがいくつかあることも確かである。ここで考えるべき問題が現れてくる。なぜ難航したのか、なぜ成功しえたのか、という問題である。
2.資源動員論
このことについて、資源動員論を参照して考察しようとするのが本稿である。資源動員論とは1980年代の世界で盛んに論じられた社会学理論で、何らかの目標達成に向けて発生する人々の企て、すなわち社会運動を非合理的・感情的・暴発的なものと捉えず、利用可能な諸資源を獲得することによって合理的に遂行されると捉えるものである。
資源動員を効果的に行うためには運動関与者が多数であることが望ましい。協働する者が多くなれば資源が――彼らが持ち寄ることで――豊かになるからである。持ち寄られる資源のなかには経済的な資源の他、有用な道具や会議室などのハードな物理的な資源、交渉のやり方や文書作成のノウハウさらには種々の情報といったソフトな文化的な資源が想定される。
そして多くの賛同者を得ようというなら、目標はわかりやすいものであるべきである。また運動に関わる情報(資源)が特定層に独占されていてはならず、誰もがアクセスできる状況こそ望ましい。この協働者たちは人的資源であり、その数が多いとき、運動目標には正当性が賦与されることになるはずである。多くの人が賛同して関わっているのだからこの運動は間違っていない(正当である)、と理解されるわけである。この正当性という資源の獲得に成功すれば、人々は活動により深く関与し、彼らの間の連帯は強化されるであろう。それが、翻って、資源の動員をより容易なものにする。
要すれば社会運動は、誰にもわかりやすいがゆえに共有可能で、多くの人に支持されていることから正当であると認識される目標に向かい、連帯した人々が適切な資源を獲得していくとき、成功を収める可能性が高まるということである。逆にいえば運動の失敗は資源動員が十分に行われていない場合と認識でき、その原因として運動目標のわかりにくさや、目標の正当性認識において参加者間にコンセンサスが成立しておらず、関係者の得る情報にも偏りが生じていることによって、人々の間に生成される連帯が脆弱であることが指摘される。
上記を念頭に置きつつ、ここからは国内のいくつかの事例に目を向けていこう。墓地を確保しえた事例と難航(失敗)した事例を紹介してゆくが、その前に現時点でムスリムが埋葬されている国内の墓地について確認しておくことが必要であろう。
3.ムスリムが眠る国内の墓地
ムスリムが埋葬されている公営墓地が存在している。1923年開園の多磨霊園(東京都府中市)と1952年に整備された神戸市立外国人墓地のことである。しかし両所ともに、新たな土葬が認められることはない。文字通り土葬のための余地がなくなっているからである。それゆえこの公営墓地について、これ以上の言及は行わない。
言及されるべき墓地の中で最古は、1962年に設けられた山梨県甲州市の文殊院塩山イスラーム霊園である。同じ山梨県の笛吹市出身である日本人ムスリムと文殊院の前住職との間に交流があり、日本人ムスリムによる団体「日本ムスリム協会」の要請を受けた前住職が――朝日新聞が提供するニュースサービスwithnewsによると――“地元住民に呼びかけ数年かけて用地を確保し”、イスラーム霊園開設に至ったものだという。
この塩山ムスリム霊園以降しばらくイスラーム墓地開設の動きがみられなかったのは、いうまでもなく国内に暮らすムスリムの人口増が低調だったからである。しかし冒頭に記したように、1990年以降にムスリム人口増が顕著になり、そして現在に至って彼らの高齢化に伴う墓地確保という問題が話題に上るようになってきた。
かくして2010年以降、各地にムスリムのための墓地開設が相次ぐようになった。それらを以下に列挙しよう。
日本国内でムスリムの姿が人目に付くようになったのは1990年前後からである。イラン=イラク戦争後にイランから、そして(当時)ビザ免除措置がとられていたパキスタンやバングラデシュから、若者たちの就労目的での来日が相次ぎ、日本人はムスリムを身近に見るようになった。そしてイスラームという宗教の存在を実感するようになったのである。
その若者たちの多くは祖国に十分な送金をし、またある程度の蓄財をした後、帰国していった。しかし、日本での永住を選んだ者たちも相当数に上る。結婚を契機に「日本人の配偶者等」の在留資格を得たムスリムがその典型である。その彼ら、そして彼らの配偶者たちが現在、老境にさしかかろうとしている。
それに伴い彼らが意識するようになったのが「死」であり、死して後に葬られることになる「墓」である。墓をどこに設けるかは、ライフステージの最終段階の重要課題である。ムスリムにとって墓は、一般日本人のように、仏教寺院の境内墓地や公営・私営の霊園に設ければ済むという問題ではない。ムスリムが必要とするのは土葬墓地である。そして土葬が可能な墓地は国内に極めて少ない。
イスラームでは、キリスト教と同じく、最後の審判の教えが説かれ、審判を下す神の前に立つために死後は土葬されることが求められる。何より聖典『アル・クルアーン』に、罪人は地獄の炎に焼かれるとの記述があり、火葬されることは罪を犯したことと結びつけられるがゆえに、火葬が選ばれないのである。土葬可能な墓地を現住地の近くに確保したいという思いはおそらく、日本で埋葬されることを予定しているムスリムたちすべてが抱いているであろう。
ただ、自分たちのための墓地を確保しようとしながら難航した、というケースが確認できる。その一方で、大過なく確保しえたというケースがいくつかあることも確かである。ここで考えるべき問題が現れてくる。なぜ難航したのか、なぜ成功しえたのか、という問題である。
2.資源動員論
このことについて、資源動員論を参照して考察しようとするのが本稿である。資源動員論とは1980年代の世界で盛んに論じられた社会学理論で、何らかの目標達成に向けて発生する人々の企て、すなわち社会運動を非合理的・感情的・暴発的なものと捉えず、利用可能な諸資源を獲得することによって合理的に遂行されると捉えるものである。
資源動員を効果的に行うためには運動関与者が多数であることが望ましい。協働する者が多くなれば資源が――彼らが持ち寄ることで――豊かになるからである。持ち寄られる資源のなかには経済的な資源の他、有用な道具や会議室などのハードな物理的な資源、交渉のやり方や文書作成のノウハウさらには種々の情報といったソフトな文化的な資源が想定される。
そして多くの賛同者を得ようというなら、目標はわかりやすいものであるべきである。また運動に関わる情報(資源)が特定層に独占されていてはならず、誰もがアクセスできる状況こそ望ましい。この協働者たちは人的資源であり、その数が多いとき、運動目標には正当性が賦与されることになるはずである。多くの人が賛同して関わっているのだからこの運動は間違っていない(正当である)、と理解されるわけである。この正当性という資源の獲得に成功すれば、人々は活動により深く関与し、彼らの間の連帯は強化されるであろう。それが、翻って、資源の動員をより容易なものにする。
要すれば社会運動は、誰にもわかりやすいがゆえに共有可能で、多くの人に支持されていることから正当であると認識される目標に向かい、連帯した人々が適切な資源を獲得していくとき、成功を収める可能性が高まるということである。逆にいえば運動の失敗は資源動員が十分に行われていない場合と認識でき、その原因として運動目標のわかりにくさや、目標の正当性認識において参加者間にコンセンサスが成立しておらず、関係者の得る情報にも偏りが生じていることによって、人々の間に生成される連帯が脆弱であることが指摘される。
上記を念頭に置きつつ、ここからは国内のいくつかの事例に目を向けていこう。墓地を確保しえた事例と難航(失敗)した事例を紹介してゆくが、その前に現時点でムスリムが埋葬されている国内の墓地について確認しておくことが必要であろう。
3.ムスリムが眠る国内の墓地
ムスリムが埋葬されている公営墓地が存在している。1923年開園の多磨霊園(東京都府中市)と1952年に整備された神戸市立外国人墓地のことである。しかし両所ともに、新たな土葬が認められることはない。文字通り土葬のための余地がなくなっているからである。それゆえこの公営墓地について、これ以上の言及は行わない。
言及されるべき墓地の中で最古は、1962年に設けられた山梨県甲州市の文殊院塩山イスラーム霊園である。同じ山梨県の笛吹市出身である日本人ムスリムと文殊院の前住職との間に交流があり、日本人ムスリムによる団体「日本ムスリム協会」の要請を受けた前住職が――朝日新聞が提供するニュースサービスwithnewsによると――“地元住民に呼びかけ数年かけて用地を確保し”、イスラーム霊園開設に至ったものだという。
この塩山ムスリム霊園以降しばらくイスラーム墓地開設の動きがみられなかったのは、いうまでもなく国内に暮らすムスリムの人口増が低調だったからである。しかし冒頭に記したように、1990年以降にムスリム人口増が顕著になり、そして現在に至って彼らの高齢化に伴う墓地確保という問題が話題に上るようになってきた。
かくして2010年以降、各地にムスリムのための墓地開設が相次ぐようになった。それらを以下に列挙しよう。
- よいち霊園(北海道余市町) 2016~
- 谷和原御廟霊園(茨城県常総市) 2013~
- MGIJムスリム墓地(茨城県茨町) 2010~
- 本庄児玉聖地霊園(埼玉県本庄市) 2019~
- 清水霊園イスラーム墓地(静岡県静岡市) 2011~
- 高麗寺霊園(京都府南山城村) 2022~
- 大阪イスラミックセンター墓地(和歌山県橋本市) 2014~
- 本郷霊園(広島県三原市) 2021~
これら以外に、変則的ではあるが、大分県日出町のキリスト教施設である大分トラピスト修道院の墓地に数名のムスリムが眠っていることも付記しておく。これは、別府のムスリム・コミュニティによる墓地計画が実現する前に世を去ったムスリムのため、修道院側の好意で一時的に埋葬することを許された――墓地開設の暁にはそこに改葬する――というものである。これに似たケースが大分以外にあるかもしれないが、現時点では把握できていない。
前段で触れたように、別府のムスリム・コミュニティは墓地をつくることを計画していた。ムスリムのためだけの墓地の、新規の開発である。別府のマスジドは宗教法人格を取得していて、自らの手でそれを行うことが法的に可能な立場にあった。そして当該墓地の予定地を管内に持つ自治体・日出町は2022年に開発を承認しており、計画は順調に実現の方向へと進んでいくはずであった。しかし予定地の近隣住民から反対の声が上がって計画が滞り始め、2024年に至って(新たに選出された)町長が墓地予定地とされた町有地のムスリムたちへの売却を白紙に戻すと表明する事態となった。広く報道されたこの案件が今後どう展開していくか、目が離せないところである。
別府の事例ばかり話題になりがちであるが、これ以前に足利市でも同様なことがあった。日本イスラーム文化センター(大塚マスジド)による足利市での墓地開発計画が2008年から動き出していたものの、地元住民が反対し、遂には計画が水泡に帰した(2010年)というものである――当該ムスリムたちは取得していた足利の土地を諦め、他所に可能性を探り、そして谷和原に埋葬地を確保することになった。
その一方で2024年、宮城県知事が県内で働くムスリムを念頭に、ムスリム労働力の県への呼び込みを一層に促すため、土葬可能な墓地の開発を検討すると発言して話題になったことは記憶に新しい。宮城県の計画が首尾よく進むかどうか、予断は許さないが、自治体からの支援なしでも墓地が確保された事例は、甲州市以外にも、少なからずある。
4.成功と難航
ここではMGIJムスリム墓地――Muslim Graveyard Ibaraki Japanの略――を取り上げよう。人里離れたところに位置する墓地、では決してない。農地が広がり民家も少なくない地に造成された「光明台霊園」の、その一部がMGIJになっているのである。墓地は四方を壁で遮蔽されていて、地元住民であっても、そこに墓地――しかもイスラームの土葬の墓――のあることを意識できないほどである。茨城町南隣の小美玉市にオフィス(そしてマスジド)を有するパキスタン出身実業家が中心になって、霊園設置者である寺院――この寺院は霊園地元にある寺院ではない――と交渉し、開設へと漕ぎ着けたものがMGIJである。
実業家は寺院から敷地を借用するため、そして借用後に遮蔽壁を設置したり埋葬区画を整える等のため自らの経済的資源(個人資産)を大量に動員したというが、それと同時に留意すべきは、土葬が許可された(仏教寺院の経営になる)霊園の開設されているという情報(資源)を彼が得ていたことである。同国人あるいはムスリムだけから成る人間関係のなかに暮らしていたなら得られなかったかもしれない情報がこれである。同国人に限定しない社会関係(資源)が動員されて、情報が獲得されたのであろう。霊園経営主体との交渉のノウハウは、パキスタン出身の事業家には使いやすい手持ちの資源であったかもしれない。さらにMGIJが所在する地域では四半世紀前まで土葬の行われていたという情報(文化的資源)を得ていたかもしれないが、これは推測の域を出ない。
このMGIJと大きく異なるところのないプロセスを経て、国内の他所のムスリム墓地が成立している。そうであれば、ムスリム墓地の実現にあたり多数の運動参加者・支援者(人的資源)はあまり必要ではない。また、国内にムスリム墓地をつくることの正当性を掲げることも不可欠ではない。大切なのは土葬可能な霊園を所有・管理する団体(寺院あるいは運営会社)についての情報を収集することであり、団体との交渉力、そして用地を借入あるいは購入するための資金である。
ここで別府の事例に立ち戻る。先に、墓地予定地になっている町有地をムスリム側に売却しないとの新町長の意向を記したが、別府ムスリム側が最初に考えていた適地は、これとは別の場所であった。日出町の標高の高い山中に別荘の建つ区域があり、その近くにある土地が当初の予定地とされていたのである。予定地を所有していたのは所謂地元の住民ではなかった。そしてその人物と専らに交渉したことでムスリムたちは蹉跌をきたしたと推測される。予定地よりも下方に暮らす地元住民たちから生活用水への悪影響を心配する声が噴出し、ここから計画の停滞が始まったのである。結局自治体はトラピスト修道院の近くに町有地である代替地を用意することになり、これで収束するかと思われていたところ、今度は日出町に隣接する杵築市住民から異論が出て、現在へと至っている。彼らが声を挙げたのは外国出身者やイスラームという宗教への不信感からではない、ということは大分のテレビ局制作のドキュメンタリー番組で強調されていたところである。水質汚染を案じて、そしてそれに連動して農産物が売れなくなるという風評被害の起きることを懸念して、声を挙げたということである。
別府で行われようとしたのは、(類例の多い)既存墓地の一角の利用ではなく、ムスリム専用の墓地の新規開発という、日本ではまだ実現していない試みであった。このためには、利用の場合と同じ資源の動員で事足りる、とは思われない。
ムスリムたちが、予定地より下方に暮らす人々の(地下水に頼る)生活スタイルを知らず、また彼らとの交渉を過小評価したこと、すなわち文化的な資源を十全に獲得しないまま計画を進めたことを難航の発端とすることができるだろう。
停滞を始めたこのプロジェクトは全国的な関心を喚起することになった。非ムスリムの名かからも、ムスリムの死後の人権を尊重すべきとの主張に賛同する者たちが現れてきた。ムスリムの人権を守ること、延いてはムスリムのための墓地を開設することに対する正当性という資源も、集められてきたと思われる。しかし反対側の地域住民の掲げる「風評被害」説が簡単に一蹴しうるものではなく、それどころか多くが同意しうるものであることも同意されるところであろう。よって反対運動もまた、正当性を持っている。正当性の争いがいま、ムスリム墓地予定地の大分県の山中で起こっている。
別府のムスリムは賛同者という人的資源を動員し、その「仲間」のサイズに合わせた正当性という資源を強化しようとしている。おそらく経済的な資源も(新規墓地開発をもくろむほどであるから)相当程度動員していたことだろう。しかし、既存墓地利用のケースに比較すると交渉力という資源には乏しかったと考えられる。とはいえ外国出身のムスリムが地域共同体に暮らす日本人と交渉することは容易なことでないことは、想像の範囲内である。
別府の事案に対し、解決策を提示しうる能力を筆者は持たない。ムスリムたちと反対派の地元住民そして自治体の三者で議論が尽くされ、三者ともが得心する結論へと至ることを期待するばかりである。
5.在日ムスリムの解消しきれない不安
ムスリム墓地開設をめぐる事例を見てきた。ここから、ムスリムたちの後顧の憂いをなくすためには次の方法のあることが理解されたであろう。すなわち、既存の土葬可能な霊園のなかに自分たちのための場を確保することである。あるいはムスリムが寺院・管理会社と協同し、新たに墓地開発を行って、そこに自分たちだけの場を設けることもありうる。
しかし、これにムスリムすべてが諸手を挙げてくれるわけではない。イスラームを信仰しない他宗教の人々のすぐ傍に葬られることを望まないムスリムは、少なからず存在するからである。また、そうした墓地であれば――ムスリム以外の墓地設置者・運営者に対して――多額(埋葬費用や管理費用等)を支払わねばならない可能性があり、それを喜ばないムスリムが存在するからである。
そうであればムスリムたちによるムスリムたちだけの(新しい)墓地の開設が期待されるものの、このプロジェクトの容易でないことはいまや、多くのムスリムが知るところになっているはずである。
国内各地に暮らすムスリムたちが抱える不安は、しばらく消えそうにない。
保健医療:医療現場でムスリムが直面すること
細谷幸子氏(国際医療福祉大学成田看護学部教授 保健師・看護師)
保健医療班の研究では、日本で暮らすムスリムのコミュニティへの保健・医療に関わる問題に取り組んだ。発表者を含め、メンバーは保健師・看護師の資格をもつ医療者で、外国人ムスリムで医療ニーズがある人たちの受診時に通訳として同行したり、自宅を訪問したり、個別に相談を受けたりする支援活動の中から現状把握を行った。支援活動を通した現状把握により、在日ムスリムを取り巻く保健医療の状況をより広い視野から見ることができた。
今回の発表では、ムスリムの医療機関受診における状況と、医療従事者が感じる状況の双方を整理した。まず、医療機関側の問題として、以下の点が挙げられた。外国人ムスリム妊婦の受診において、親身になって対応してくれる医療機関も多い一方で、外国人妊婦の受け入れにハードルを設ける医療機関もあると分かった。例えば、「通訳可能な日本人が24時間対応し、必要時は同行すると約束しない限り受け入れない」と条件を提示されるなどである。その背景には、産婦人科における医師の人員不足や、患者側が通訳を確保しなければならないといった日本の医療の構造的課題がある。また、日本の保健医療分野における先行研究では、ムスリムを過度に一般化した記述が目立ち、ムスリムの患者への偏見を強めてしまう懸念がある。ムスリムといっても、それぞれ出身国、宗派、在留資格もまったく異なる人たちであるため、ひとくくりにはできないことを念頭に置く必要がある。
次に、特に外国人のムスリムが置かれた状況として、日本の医療制度や保険の仕組みに関する十分な知識がなく、出身国と日本とで想定される医療サービスが異なっているために、誤解が積み重なってしまう場面が少なくないことが見えてきた。医療者側への情報提供だけでなく、受診する外国人ムスリムにも日本の医療制度や状況を理解してもらう必要がある。
ムスリム患者や妊婦のイスラームの規範の遵守レベルは個人と状況によるところが多く、交渉可能な部分も多い。そのため「ムスリム対応」のルールなどについて考えること以前に、医療従事者と外国人患者との間で十分なコミュニケーションが取れていない状況の改善が極めて重要であると考察した。良好なコミュニケーションの促進のため、医療従事者側へは、実際に対応に困った状況などをイマームに相談できる場を作るなどの対応ができるであろう。同様に、外国人ムスリムに対しては、日本の医療制度や特徴、困った時の対応を知るセミナーの開催などを、医療者とモスクのイマームと協力して実施することも一案である。
今回の発表では、ムスリムの医療機関受診における状況と、医療従事者が感じる状況の双方を整理した。まず、医療機関側の問題として、以下の点が挙げられた。外国人ムスリム妊婦の受診において、親身になって対応してくれる医療機関も多い一方で、外国人妊婦の受け入れにハードルを設ける医療機関もあると分かった。例えば、「通訳可能な日本人が24時間対応し、必要時は同行すると約束しない限り受け入れない」と条件を提示されるなどである。その背景には、産婦人科における医師の人員不足や、患者側が通訳を確保しなければならないといった日本の医療の構造的課題がある。また、日本の保健医療分野における先行研究では、ムスリムを過度に一般化した記述が目立ち、ムスリムの患者への偏見を強めてしまう懸念がある。ムスリムといっても、それぞれ出身国、宗派、在留資格もまったく異なる人たちであるため、ひとくくりにはできないことを念頭に置く必要がある。
次に、特に外国人のムスリムが置かれた状況として、日本の医療制度や保険の仕組みに関する十分な知識がなく、出身国と日本とで想定される医療サービスが異なっているために、誤解が積み重なってしまう場面が少なくないことが見えてきた。医療者側への情報提供だけでなく、受診する外国人ムスリムにも日本の医療制度や状況を理解してもらう必要がある。
ムスリム患者や妊婦のイスラームの規範の遵守レベルは個人と状況によるところが多く、交渉可能な部分も多い。そのため「ムスリム対応」のルールなどについて考えること以前に、医療従事者と外国人患者との間で十分なコミュニケーションが取れていない状況の改善が極めて重要であると考察した。良好なコミュニケーションの促進のため、医療従事者側へは、実際に対応に困った状況などをイマームに相談できる場を作るなどの対応ができるであろう。同様に、外国人ムスリムに対しては、日本の医療制度や特徴、困った時の対応を知るセミナーの開催などを、医療者とモスクのイマームと協力して実施することも一案である。
パネルディスカッション モデレーター
店田廣文氏(早稲田大学名誉教授)
パネルディスカッションの前提として、店田氏より、日本社会におけるムスリム人口の状況を提示がなされた。ムスリムの人口は増加傾向にあり、2025年末には40万人を超えると推定されている。出身国を見ると、南アジアや東南アジア地域からの人口が多い。国内におけるモスクは、三大都市圏(首都圏・中京圏・近畿圏)に比較的多く設けられていることがわかり、ムスリムが居住する主要なエリアといえる。
また、店田氏からは、本シンポジウムで発表した研究は、在日ムスリムのライフステージに関する総合的な研究成果となったといえるとの評価と、今後のさらなる調査研究への期待が示された。
パネルディスカッションにおいては、店田氏から登壇者にそれぞれご質問があり、登壇者からは日本に暮らすムスリムのライフステージの各分野に関する活発な回答があった。(質疑の内容については、YouTube動画をご参照ください)
また、店田氏からは、本シンポジウムで発表した研究は、在日ムスリムのライフステージに関する総合的な研究成果となったといえるとの評価と、今後のさらなる調査研究への期待が示された。
パネルディスカッションにおいては、店田氏から登壇者にそれぞれご質問があり、登壇者からは日本に暮らすムスリムのライフステージの各分野に関する活発な回答があった。(質疑の内容については、YouTube動画をご参照ください)
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