【登壇報告】アンタルヤ外交フォーラム
2025年4月11日(金)~13日(日)に、トルコ外務省が主催する「アンタルヤ外交フォーラム(Antalya Diplomacy Forum)」がトルコ共和国アンタルヤで開かれ、11日のADF-Panel” Geostrategic Dynamics in Asia-Pacific”に当財団の角南理事長が登壇しました。
欧州と中東の過激化を比較する前に、欧州ではイスラム過激派の数が多いという事実をアメリカと比べることで見ていきたい。アメリカと欧州では、イスラム過激派の数が大きく異なる。アメリカでは215人であるのに対し、ヨーロッパでは、フランス約1,500人、ドイツ約900人、イギリス約800人というデータがある。これら3か国だけで欧州からシリアに渡るイスラム過激派の半数を占めている。なぜこのような違いがあるのだろうか。
既存研究で最も多く指摘される要因は、各国の外交政策の違いである。しかし、アメリカとフランスのイスラム過激派に対する外交政策は非常に攻撃的である点で共通している。他方、ドイツは、空爆は行わず情報収集のみ行っているように、直接的な介入はしていない。よって、イスラム過激派をめぐる各国の外交政策が、アメリカと欧州におけるイスラム過激派の人数の違いを完全に説明できるとは言えない。
考えられる他の要因は、ムスリム・コニュニティである。すなわちムスリム系移民は欧州では下層階級であるのに対し、アメリカでは中産階級である、という違いがある。欧州のムスリム系移民はアメリカにおけるラテンアメリカ系移民労働者と同じ立場にあると言える。ただし、欧州のムスリム系移民は流入した時期が異なる。例えば、スペインやイタリアのムスリム・コミュニティは新しく、1998年、99年に入ってきた第一世代のムスリム系移民によって構成されている。それに対して、フランス、ドイツ、イギリス、オランダでは、1950年代からムスリム系移民が流入し始め、特に60年代、70年代に非熟練労働者の数が増えた。そのようなムスリム系移民は、今、第二、第三世代となっている。そして後述するように、彼らが過激派となるのである。
中東と欧州の過激派の違いの一つとして、社会的起源(social origin)が挙げられる。まず、中東のジハード主義者は、新しい中産階級(new middle class)と言える。そのような人々は大学で教育を受けたにも関わらず理想の求人がないことに不満を抱いている。興味深いのは、そのような学生が大学で学ぶ分野は、伝統的なイスラム教義などではなく、工学、化学、物理学、数学などの自然科学である場合が多いということである。
それに対して、欧州のジハード主義者は、第二、第三世代のムスリム系移民である。その多くは失業者であり、刑務所に入ることさえある。実際、2005年のイギリス、2015年のパリ、そして2017年8月バルセロナにおいて、それぞれ発生したテロ事件には、いずれも第二、第三世代のムスリム移民が関与していたとされる。
そして、そのような屈辱の原因を作ったのが、アラブ・ナショナリズムの失敗である。その典型的な例がナセルの6日間戦争での失敗である。この惨敗によって、エジプトは、シリアやヨルダンにおける領土を失った。その後大統領に就任したサダトはイスラム過激派によって暗殺された。このように、イスラム過激派はアラブ・ナショナリズムの失敗によって生まれたものと言える。
もう一つの失敗は、アラブ革命である。アラブ革命の最初の2年間、ジハード主義者は一時的に減少した。しかし、2013年からアラブの人々は革命の希望を失いはじめ、その結果、エジプトでは、ムバラク政権よりもひどいシーシー政権が成立した。また、シリア、イエメン、リビアでは多くの人々が悲惨な状況に苦しんでいる。また、モロッコのようにうわべだけの改革(cosmetic reform)で終わった国もある。
以上をまとめると、ジハード主義者の誕生は、次の三つの失敗が招いた結末だと言える。第一に、ナショナリズムの失敗、第二に民主化の失敗、第三に西欧への期待の失敗である。ここで三つ目に関して説明を加えたい。アラブ革命後、西欧諸国が中東地域から手を引くことによって、地域大国の対立が鮮明になった。すなわち、イランとサウジアラビアの対立である。これはシーア派とスンナ派の対立でもあり、大きな問題を生み出すことになった。例えばイエメンでは人道的被害が日々発生し、コレラも蔓延している。サウジアラビアによる空爆も続いている。また、シリアでは、イランとロシアの枢軸とアメリカとその同盟国(サウジ、UAEを含む)の対立が内戦の収束を妨げている。