第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
【開催報告】セミナー「80年後のインパールから平和を考える」
公開日:2024.09.19
2024年は、旧日本軍が北東インドで展開した「インパール作戦」から80年の節目の年であり、また、日本財団および当財団が設立構想の段階から支援を続けてきたインパール平和資料館の開館5周年を迎える年でもあります。
この機をとらえ、笹川平和財団第1グループ(戦略対話・交流促進担当)は、日本とインド両国から関係者を招へいし、2024年8月30日(金)に公開セミナーを開催しました。同セミナーは、インパール作戦から日本の戦争の歴史の一端を振り返ると共に、戦場となったインド北東部の人々の記憶および多様性豊かな社会に住まう当地の人々の生活や文化への理解を深め、平和な社会のあり方の思索とインドと日本間の相互理解の深化を促す機会となりました。
この機をとらえ、笹川平和財団第1グループ(戦略対話・交流促進担当)は、日本とインド両国から関係者を招へいし、2024年8月30日(金)に公開セミナーを開催しました。同セミナーは、インパール作戦から日本の戦争の歴史の一端を振り返ると共に、戦場となったインド北東部の人々の記憶および多様性豊かな社会に住まう当地の人々の生活や文化への理解を深め、平和な社会のあり方の思索とインドと日本間の相互理解の深化を促す機会となりました。
開会挨拶
角南篤(笹川平和財団 理事長)
本セミナーの趣旨は、「単なる歴史の学び直しではなく、未来の平和構築に向けた知見の共有」であると強調し、今なお戦禍が絶えず、多くの人々が苦しんでいる昨今の世界情勢に鑑み、未来に向けた平和な社会の構築に向け、再考する貴重な機会であると述べました。また、インド北東部は、歴史的に重要な場所でありながら、日本における認知度が低いという現状に触れ、「インパール平和資料館支援事業」や「北東インドとアジアの記憶と記録」の事業を通じて、当財団が当該地域の歴史や文化に関する知見を国内に広める取り組みに尽力していることを紹介しました。
来賓挨拶
笹川陽平氏(日本財団 会長 兼 笹川平和財団 名誉会長)
「戦火により苦しみ傷ついたにもかかわらず、日本兵の遺骨収集活動や史料保管に携わるインド北東部地域の人々の多大なる貢献と熱意に対する謝意を表すとともに、日本とインド北東地域の人々との関わりをより広く市民レベルにも発展させていきたい」と意欲を述べました。
シビ・ジョージ氏(駐日インド共和国 特命全権大使)
笹川会長および角南理事長をはじめとする平和構築活動への功績と支援に感謝の意を示したほか、本年が日印戦略的パートナーシップ樹立10周年を迎えることに言及し、両国の多岐にわたる分野におけるさらなる協働への期待が述べられました。
【第1部】インパール作戦80年に考える平和と社会のありかた
本セミナーの第1部では、日本軍が実施したインパール作戦に焦点を当て、日本人有識者およびインド北東部の関係者による講演が行われました。
木村明日美(笹川平和財団第1グループ 研究員)
「北東インド出張報告」
インパール・コヒマの戦いにおける激戦地の現在の様子や、ナガランド州政府と日本政府(在インド日本国大使館)が協働して建立した戦没者の慰霊碑ならびに日本とナガランド州友好の記念碑、そして現在も平和で多様性豊かな社会の実現に向けた活動を続ける現地の人々の存在を伝えました。
等松春夫氏(防衛大学校 教授)
「いまインパール作戦を学び直すこと」
等松氏は、『戦史叢書 インパール作戦-ビルマの防衛-』の英訳本の出版など計4年にわたるインパール平和資料館への活動協力を通じて、「『相手の立場に立って、何が見えるか、何を感じるかということを知った上で、共感すべきことは共感する、批判すべきことは批判する。』という”empathy”の欠如が悲惨な事態を招いたことを痛感した」と述べ、「情緒や感情に留まるのではなく、なぜ起こってしまったのか、どのようにして起こったのか、そのようなことを防ぐためにどのような教訓を得られるかを考えていくことが重要」であると強調しました。また、今後のインパール平和資料館の活動における大きな柱として、研究と教育に力を入れ、インド北東部における第二次世界大戦に関わる重要な文献が広く読まれるようになっていくことへの期待が述べられました。
関口高史氏(富士通ディフェンス&ナショナルセキュリティ株式会社 主席研究員)
「インパール作戦を戦った兵士たち」
関口氏からはインパール作戦での日本軍の特色として、軍の編成をはじめ、陸軍の主要兵器、兵士の遺品について詳細の説明がありました。弾薬不足による戦闘力の低下、一人当たり60キロを超える重量の装備、補給物資による後方支援の欠如など、当時の日本軍が過酷な戦況下に置かれた背景には、英印軍への過小評価があったことを指摘しました。その他にも、日本全国の関係者から寄贈されたインパール作戦に係る遺品整理の過程で発見された、家族を心配させないよう元気に過ごしている様子や楽しい出来事を綴った日本兵からの手紙、また、禁止されているにも関わらず、日誌や日記を残す兵士が多くいたことが紹介されました。
セシノ・ヨシュ氏(TakeOne 設立者兼代表)
「コヒマの戦い証言映像の紹介」
TakeOneでは、セシノ氏の故郷であるコヒマを拠点に、口頭伝承の伝統により失われつつある戦争の記憶を後世に残すため、それらを映像や画像に記録する活動を行っています。本講演では、セシノ氏自身が、インパール作戦を経験した祖母からイギリス兵や日本兵との交流の話を聞いて育ったことに触れながら、現地の80歳台から100歳台の戦争体験者の証言を紹介しました。ナガランドの辺境の村で初めて軍用機を見たこと、兵士と交流したこと、日本人学校に通い日本語を学んだこと、イギリス軍の映画館で映画を観たこと、そして、村から逃げ出した後、荒れ果てた村に戻り、戦争の廃墟をあさり、また一から人生をやり直さなければならなかった当時の経験を聞き取りました。それらを映画にまとめ、貴重な記憶を残すことはもとより、老若男女を問わず、何百もの人々が一緒に映画を鑑賞し、自分の物語や他の人々の物語に耳を傾けることを通じて、村人同士を結びつける意義のある活動になったことを報告しました。
アジャヌオ・ベルホ氏(ナガランド州観光局 元長官)
「今も残る日本人戦没者の遺骨と慰霊碑建立」
アジャヌオ・ベルホ氏は、1975年から1978年にかけて、10代後半に日本政府により実施された遺骨収集・送還事業に参画して以来、ナガランド州観光局長官などを歴任しながら活動を続けてきました。本講演の中で、インド北東部では約3万人の日本兵が命を落としたと推定されている中、未だ1万人の遺体が所在不明のまま現地に残されていることに言及し、「勇敢な兵士たちの遺骨すべてが祖国に無事に送還されるよう、あらゆる努力を惜しまない」と決意を表明しました。また、遺骨の収集と送還のプロセスは、「国境を越え、文化を繋ぐ、人間的な取り組みであると同時に、歴史的責務を果たすというだけでなく、両国民の相互理解と絆を深めることである」と自らの考えを共有しました。日本政府とインド・ナガランド州政府の協働により建立された慰霊碑と記念碑に関して、「集合的な記憶、共有された歴史、そして平和な未来への団結した希望の象徴である」と述べ、「戦争の過去を認め、戦没者の犠牲を称え、その犠牲を決して忘れないようにすること」こそが、今を生きる私たちの使命であると主張しました。最後に、「過去を尊重し、現在を受け入れ、平和と友情が支配する世界のために共に努力し続けましょう。」と聴衆に呼びかけました。
山口凌氏(熊本大学 法学部3年)
「インパールの地から考える未来の社会」
山口凌氏は大学での学業に励む傍ら、NPO団体「JYMA日本青年遺骨収集団」に所属し、国内外における日本軍戦没者の遺骨収集活動に取り組んでいます。本講演の中では、その活動の一環として自身が訪れたインド北東部マニプール州ならびにナガランド州で見聞きした伝統文化の継承や人々の密なつながりと支え合いに着目して、インド北東部の特色を紹介しました。民家で目にした機織り機と鮮やかな織物の写真を投影し、地域伝統の織物産業が、戦後も廃れることなく人々の生活の一部となって守られてきたこと。急斜面での遺骨収集作業の際に率先して道をつくり、不発弾の危険性を孕みながらも活動に積極的に参加している現地協力者の人々。商店の軒先で住民が談笑している様子から見受けられた人々の精神的な豊かさ。そして、「『未来の社会』とは、日本の経済的・物質的豊かさとマニプール州の精神的豊かさがバランスよく組み合わされることによって実現されるものなのではないか」と結論付けました。また、昨今、インパールを含むマニプール州で勃発している部族間紛争の早期収束を願うとともに、インド北東部地域の伝統文化とコミュニティ維持には、インドと日本両国の協力の必要性があると述べました。
【第2部】インパール平和資料館での取り組み
本セミナーの第2部では、日本財団および当財団により設立ならびに運営支援を実施しているインパール平和資料館に焦点を当て、関係者による講演が行われました。
水谷陣也(笹川平和財団第1グループ 研究員)
「インパール平和資料館及び当財団事業説明」
インパール平和資料館は、インド北東部マニプール州インパールに位置する“レッドヒル”付近に所在し、「平和と和解」の象徴として歴史を後世に伝えるとともに、「地域住民の視点」を取り入れることにより、過去から現在、そして未来へ人々と文化をつなげることを目的として2019年に日本財団の財政支援のもと設立されたことを説明しました。また、笹川平和財団では、学芸員の知識、能力強化をはじめ、円滑な施設運営、収益率の向上のための施策、展示品の収集、生存者への聞き取り調査、映像作品の制作、500ページを超える戦史叢書の英訳書籍の出版を通じた情報発信等の支援活動を行っているほか、同平和資料館による沖縄の資料館との協力関係の構築や国際会議への参画支援、また、コロナ禍における緊急対応として、日本財団およびインド国内のNGOが酸素濃縮器並びにパルスオキシメーター各100台を寄贈する取り組みの側面支援をおこなったことを報告しました。
ジョイレンバ・ハオバム氏(インパール平和資料館 館長)
「インパール平和資料館の活動、意義と将来構想」
ジョイレンバ氏は、今から45年ほど前、まだ自身が幼い頃に、祖母からインパールの戦いの話を聞いたことが、インパール作戦について興味を持つきっかけとなったことを話しました。インパールを含むマニプール州について、美しさと伝統が根付き、1000年以上にも遡る長い歴史を持つ土地であること、インド北東部で唯一独自の文字を持つ州であること、そして今や世界的に広まるポロ競技の発祥地として知られていることに触れ、地域の多様性と魅力について紹介しました。また、インパール平和資料館は「和解と歴史、追憶のシンボルである」と述べ、資料館の開設や日本インド両国の交流促進にあたって支援を得た日本財団、在インド日本国大使館、笹川平和財団はもとより、資料展示のコンセプトづくりや学芸員研修、展示品に関する指導協力を得た沖縄県の南風原文化センターに対して感謝の意を表しました。今後完成する新たな保管施設において特別展の開催を控えていることを報告し、資料館のさらなる発展を約しました。
閉会挨拶
安達一(笹川平和財団 常務理事)
年月を経るにつれてインパール作戦の記憶が徐々に薄れゆく中でも、戦地となったインド北東部において、未来のために真摯に過去と向き合い活動を続けられている方々への敬意を表すとともに、本セミナーにご登壇いただいたすべての関係者に謝意を伝えました。また、今後も、当財団が掲げるミッションの一つである「世界の平和と安全の実現」に向けた活動に邁進する意欲を述べました。
当財団はこれからもインドの方々と共に、平和を願い、日印両国の友好を深め広げてゆくべく事業を続けてまいります。
※ 画像につきましては、事前の許可なくスクリーンショット等の撮影、転載、および資料の二次利用は出来かねますので、ご了承ください。
お問い合わせ先
笹川平和財団 第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
担当者:水谷・木村
E-mail:asia-middleeast@spf.or.jp
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