Ⅰ.今回の総選挙結果
インドの第18総選挙は、2024年6月4日に一斉開票され、インド人民党(BJP)を中心とする与党連合(国民民主同盟)が過半数を確保し、2014年と2019年に引き続いて三期連続して国政与党となった。
しかし、人民党は240議席で単独過半数(272議席)を得られず、与党連合全体で過半数を維持したに止まり、辛うじて3期で与党連合を継続することができた。与党連合では、南部アーンドラ・プラデーシュ州のテルグ・デサム党(18議席)と北部ビハール州のジャナタ党12議席の支持が不可欠となった。新内閣の主要閣僚(内務、財務、外務、防衛)は、いずれも留任した。インドは「連合政権時代」に回帰したようにも見える。
これに対して国民会議派(会議派)を中核とする野党連合は議席数を2倍以上に拡大させた。会議派は大きく躍進した。会議派のラフル・ガンディーは、公的な「野党リーダー」(leader of opposition)の地位確保に成功した。
インド識者の多くは、選挙結果に安堵しているように見受けられる。ノーベル受賞者のアマルティア・センは選挙結果について、「インドが(人民党の主張する)ヒンドゥー国家ではないことを証明した」と指摘し[1]、メータも「インドの有権者がどのようにモディを抑制し、インドの民主主義を救出したことでインドの危機から一歩後退した」とコメントした[2]。
Ⅱ.総選挙後のインド情勢
1.総選挙結果の背景
インド人民党は後退したが、同党が過去10年間に推進した「ヒンドゥー至上主義」が必ずしも否定されたことを意味しない。2024年1月に盛大に執り行われた北部・アヨーディヤーにおけるラーム寺院建立は、ヒンドゥー教徒が8割を占めるインド人には歓迎されたのは事実である。
しかし、インド国民にとって最大関心事であるインフレ、雇用、貧困の状況改善が期待したほどには、進展しなかった[3]。国際NGOによれば、インドでは、全人口の上位1%の富裕層が国内資産の40%以上、人口の半分に相当する約7億人が国内資産の3%を保有しているに過ぎないという[4]。インドの農村問題専門家によれば、過去20年間にインドの農民の自殺人数が31万人に及ぶ[5]。
2.インドの経済大国化と経済構造
インフレや雇用と密接不可分の関係にあるのがインド経済である。今やインドは世界最大の人口を擁している。インド経済の成長率は、2004〜2014に7.7%の成長率、その後の10年間が5.7%と推計されている。2027年には、GDP世界第3位に到達すると予想されている。
しかし、経済規模が拡大しても、膨大な約14億の人口を抱えるインドでは、経済成長の果実を均霑的に配分できていない。世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング(IMF 2023)によれば、インドは144位の2500米㌦に留まっている。中国は、74位の12,670米㌦である。
経済発展を実現できてはいても、一人当たりの経済状況が低位に留まっているさまざまな要因があるが、なんと言っても、製造業が振るわない点が大きいだろう。モディ首相は2014年の首相就任時、「Make in India」を掲げ、GDPに占める製造業の比率を25%まで引き上げるとしたが、実現できなかった。世銀データ(2022年)の比率は13.3%で、中国(27.7%)よりもはるかに低い。人口増に雇用創出が追いつけない。
その結果、依然として、農業の比率が高い状態にある。GDPに占める農業比率は独立時に50%だったが、2011年には約3分の1まで退行した。一方で農業人口は1951年の69.7%から2011年の54.6%に減少しているが、少ない農業所得パイを多くの農民が奪い合う状態になっている。毎年誕生する新しい就業者には、毎年、1000万人〜1200万人の雇用が必要と言われる。農業は、依然として、就業調整機能を果たしている。
日本がかって経験した高度経済成長は、人口ボーナスの結果とも言われる。一般的には、生産年齢人口(15~64歳)に対する従属人口(14歳以下の年少人口と65歳以上の老年人口の合計)の比率が低下すると、経済成長を促すと言われる。インドの人口ボーナス期は、2040年には、終了に向かうととも言われる[6]。
3.「縁故資本主義」が構造的な要因か
英国エコノミスト誌[7]は、縁故資本主義(Crony Capitalism)の観点からインド経済を分析している。縁故資本主義は資本主義の根幹となる市場経済による効率的な資源配分、競争力の向上、技術革新を阻害する一方では、特定階層による経済支配を固定化することで経済的格差を助長する、政府官僚、政治家、大企業、富農との癒着による経済支配を意味する。
同誌は、インドが世界43カ国中、10位にランク付けし、インド経済が発展するが、満遍なく、全国民が発展を享受しにくいという見方を示しているが、インド経済が今後も発展することの見方を否定しているわけではない。
4.インドの強権的な権威主義化はどうなるか
インドの宗派別人口は、ヒンドゥー教徒が80%、ムスリム(イスラーム教徒)が約15%である。ムスリムはインドのマイノリティ宗派というが約2億人という大規模である。
宗派比率から、インドが独立時に施行した憲法は、政教分離主義(世俗主義)、単純化すれば、政治が宗教に係わらないと言う理念に立ち、「世界最大の民主主義国」を誇ってきた。
会議派や憲法がこの考え方を打ち出したのは、インドでは、宗派に加え、人種、言語など極めて多様性に富む以上、一元的な価値をもって新国家を統治できないと考えたからである。そこで打ち出したのが「多様性の中の統一」である。むろん、統一に重点が置かれている。
一方、1925年に創設された民族義勇団は、ムガル帝国・英国によって虐げられたインド、多数派のヒンドゥー教徒を抱えるインドはヒンドゥー国家となるべきだという発想から活動を開始した。1951年には民族義勇団の政治部とも言うべき大衆連盟、続いて1980年にインド人民党(BJP)を結成した。2014年からは国政与党となっている。BJPがヒンドゥー国家化を進めれば進めるほど、インドが権威主義国化しているとの見方が次例のように噴出している。
―米フリーダムハウス『世界自由度報告』(2021年):従来の自由から一部自由へ。
―The Economist(EIU):民主主義度を2014年の7.92→2020年に6.61に引き下げ。
―独立機関V-Demo(Sweden):2022年報告で政治状況を「選挙独裁」に分類。
―Index RSFによる「報道の自由」(180カ国)では、2019年が140位(日本67位)
☞2023年が161位(日本68位) |
今後のBJPを考えて見ると、なんらかの内部対立が浮上する可能性もある。
①2014年に国政与党になってからは、BJPと母体だった民族義勇団との力関係が徐々にBJP>民族義勇団となってきたが、今回の総選挙で退行したため、民族義勇団が両者間の対等な関係性を要求し、両者間の緊張が表面化する可能性がある。
②モディ首相の求心力低下に伴う政策決定のスピード鈍化や与党連合内における対立が表面化する可能性もあろう。
③ポピュリスト的な政策運営も選択肢の一つとなる。大衆迎合的な財政支援に加え、与党連合に加盟する政党のムスリム政策との調整も必要なろう。
Ⅲ.戦略的自律外交(実利外交)の方向性
インドは、2010年代から外交理念として戦略的自律性を掲げているが、実態的には実利外交と見て間違いない。実利面から見れば、かつての非同盟と相当程度まで共通するだろう。
モディ政権は独立から100年目の2047年には、先進国となるとの考え方を持っている。言いかえれば、G3(世界3大国)である。しかし、米中並みのランクにインドが到達するのは容易なことではない。
名目GDPの上位5カ国(IMF 2023)/兆ドル
1 |
米国 |
27.4 |
2 |
中国 |
17.7 |
3 |
ドイツ |
4.5 |
4 |
日本 |
4.2 |
5 |
インド |
3.7 |
Ⅳ.どんな行方になりそうか。
インドが経済大国化する可能性は大きい。政権与党がインド人民党であるか否かに関わりなく、インドが国内外の政策でどのように自由と平等とのバランスを取るのか、対ムスリム政策をどのように進めるかが焦点になるだろう。
インドが注視し続ける国は中国であるが、米国(特にトランプ政権が誕生した場合)の出方も大きなカギを握る。日印関係は、今後も経済要因と中国要因の関係で継続することは間違いない。しかし、インドは、カースト制に見られるように、上下観で相手(国)を認識し、行動する傾向が顕在的にも潜在的にも存在する。インドがさらに大国化した場合、日印関係は中国要因がある以上、存続するのは間違いないが、現在のモードのまま存続するとは思えない。決めるのは、インドであるが、日本も相応の対応を考慮しておく必要もある。
おそらく、今後のインドは、民主主義による経済発展がどのような方向性をとるかが大きな要因となろう。歴史的見れば、諸々は「時計の振り子」のように左右に振れながら進むことになろう。