東南アジアにおける対日世論調査の課題と可能性:ヘッジングを具体的に語るために
2023年は、日本ASEAN友好協力50周年である。日本では、日本と東南アジア諸国、あるいはASEAN(東南アジア諸国連合)と戦略的にどのように付き合っていくべきか、日本の国益を東南アジアでどのように最大化するかといった点が大きく注目されている。
ドゥテルテ大統領はしばしば、米国のトランプ前大統領と比較されてきた。両者の類似点は、暴言だけではない。彼らの言動が一般市民に与えたイメージにもまた共通項がある。
いまから1年半前、2020年11月の米国大統領選挙の直後に、東京大学の先端科学技術研究センター・創発戦略研究オープンラボ(ROLES)が、オンラインのシンポジウムを主催した。「『トランプ時代』は何を残したのか?大統領選挙との米国と世界を考える」と題するそのシンポジウムを、筆者はリアルタイムで視聴した。日米関係を専門とする著名なジャーナリストや政治学者らが、トランプ政権下の米国政治と日米関係を振り返る内容であった3。
登壇者の一人である慶應義塾大学の中山俊宏は、日本社会のトランプ前大統領に対する「許容度」がかなり高かったことを指摘した。西欧の先進国とは異なり、トランプ前大統領に対する露骨な嫌悪や反トランプ・デモのような活動は、日本では見られなかった。トランプ政権期を通じて、日本社会には、「トランプさんでもよいじゃないか」という空気が漂っていた。
なぜか。中山によると、第一には、トランプ・安倍関係の良好さが、トランプ・ショックを吸収していたこと、第二に、トランプ政権の中国に対する(少なくとも短期的には)タフな姿勢が、日本の人々に安心を与えたこと、第三に、日本社会が、トランプ現象の危険性を認識していなかったことだという。フランス、ドイツ、英国などでは、それぞれの国で台頭するポピュリスト・ナショナリズムがトランプ現象と共鳴し、現在のレジームに対する潜在的脅威として認識されていた。一方、多文化社会の苦しみをいまだ体験していない日本には、トランプの体現する「非寛容さ」が自国に波及することへの危機感は薄い。
日本の人々は、「トランプ現象がもたらすもの」や「トランプ政権の後にくるもの」を想像するのではなく、トランプの「タフそう」な言動や、当時の安倍首相との関係の良好さといった要素を見て、ある種の安心感を得てきた。中山はそうした当時の風潮に対し、我々は、トランプとバイデンという2人の候補者をただ比べるのではなく、「トランプの再選の延長線上に現われてくる米国」と、「バイデン勝利の延長線上にある米国」を比較したうえで、日本にとってどちらの未来が望ましいのかということまでを認識すべきであると論じた。
大阪大学の坂元一哉は、トランプ政権時代は、日米同盟に「2つの記憶」をもたらすことになったと述べた。
第一は「強い米国」の記憶だという。トランプ政権は、冷戦後の過去の米国の政策、特に中東介入政策や核拡散防止政策の不調を「大失敗」であるとして、自分はそれに対応するとして、大胆な軌道修正を図った。
そして第二は、「緊密で対等な日米関係という良い時代」の記憶だという。トランプ=安倍間の首脳会談、電話会談、ゴルフの頻度の高さに顕れた「緊密さ」は言うに及ばず、トランプ政権下の米国が、日本が発案した「自由で開かれたインド太平洋」構想を歓迎したことは、日本と米国と、「真のグローバル・パートナー」として役割を分担できているという「対等さ」を、内外に印象づけてくれた。
シンポジウムにおける2名の論者の分析は、「強いリーダー」のパラドックスを提示している。
「強いリーダー」はあくまでも印象であり、市民の主観的な認知に左右される。一部の日本の市民の目には、自由と民主主義というゆるぎない理念を持つ米国のリーダーよりも、場合によっては政策の修正をも検討してくれる、ブレる可能性のある米国のリーダーのほうが、「強い」ように映っていたのではないか。
このロジックは、ドゥテルテ政権の就任以来の支持率の高さを説明するヒントとなる。
彼は6年間、「麻薬撲滅」以外の大戦略や国家のビジョンを示すことなく、折々の温情と取引を通じて、市民の利益の拡大を目指してきたと言える。
もともと、フィリピンの政治は、きわめて取引主義的(transactional)な性格を持つ。制度に基づいて公平に提供されるべき政府の財やサービスが、政治家やその取り巻きの個人的な采配によって不均衡に分配され、ネポティズムによって歪められる。
もちろん、政治家による公共サービスの私物化を制度的に防止する取り組みは進んできた。国政レベルでは、ベニグノ・アキノ前政権(2010-2016)下で、最低限の福祉や医療サービスを制度化しようとするテクノクラート(技術官僚)やロビイストらが、たとえば国民皆保険制度の確立に向けて、地道な努力を続けてきた。しかし、地方自治体レベルでは現在も、市長や町長が公務員を恣意的に動員し、公的な資源を自分の取り巻きにばらまくような例が後を絶たない。一般に、地方首長の経験者は、概して取引主義的である。
取引主義的な政治家は公正な資源分配を阻害するが、この種のリーダーは、過去にしがらみをもたないことで、新しさや「強さ」を演出できる。法やルール、官僚的手続き、原理原則、過去の政権が積み上げてきた成果、国家の歴史観や秩序観、あるいは建国理念のようなものを軽視し、簡明直截に支持者らの喫緊のニーズに向き合おうする姿勢は、市民の目にはしばしば「強いリーダー」と映る。
ドゥテルテ大統領は、その骨頂といえよう。彼には決断力はない。演説は冗長で話題があちこちへ飛び、のらりくらりとしている。演説の途中で聴衆からのヤジに応えて話題を変えることもある。前言撤回も多い。地方の地方首長、あるいは村長のような優柔不断さや、情に脆く、押せばいくらでも考え直してくれそうな実利主義的な「やわさ」こそが、就任以来の彼の支持率をここまで押し上げてきたのではなかろうか。
ドゥテルテ大統領の支持者たちは、「麻薬使用者をどんどん排除してくれるから」という理由で大統領を支持しているわけではない。COVID-19で全国の病棟が埋まり、困窮世帯への補助金も尽きかけたとき、「政府も困っているんだ、みんな、協力してくれ」と演説で弱音を吐く大統領の姿に共感し、近づきやすい印象(あくまでも印象に過ぎないが)を抱いた市民は多い。
その点において、彼は、従来フィリピンで「強い」とされてきた他の政治家とは決定的に異なる4。彼は温情的ではあるが、垂直的な人間関係を固定化したがるわけではないので、東南アジアの伝統社会にみられるパトロン-クライアント関係に君臨するパトロンとも大きく異なる。
フィリピンの著名な社会学者ランドルフ・ダビッドは、ドゥテルテ大統領の支持率の高さの根源は、彼が客観的な事実に基づいた説明をするのではなく、市民の印象に主眼を置いたコミュニケーション戦術を駆使してきた点にあると説明している。そして、おそらくは次の指導者にも、「政策的な問いに明確に答えることよりも、市民が望むようなイメージにあわせて自分を演出する」ことが求められるだろうと指摘する5。
日本に対して「対等で緊密な日米関係」という良き記憶を植え付けたトランプ政権は、東南アジア諸国にも同様に、束の間の夢を見せた。インドネシア戦略国際問題研究センターのエバン・ラクスマナ上級研究員は、トランプ政権下の米国-東南アジア関係はひたすら取引主義的であったと批判している6。
2021年7月、バイデン政権下で東南アジアを歴訪したオースティン国防長官は、ドゥテルテ大統領と75分におよぶ会談を行った7。会談の直後、フィリピンのロキシン外務大臣は、VFAは従来通り維持されると明言した8。
シンガポールのシンクタンク「ISEASユソフ・イシャク研究所(ISEAS–Yusof Ishak Institute)」は毎年、ASEAN加盟10ヶ国の産学官エリートらがどのような対米認識、対中認識を抱いているかを調査し、報告書“The State of Southeast Asia”として発表している9。東南アジアにおいては、外交・安全保障分野の調査は、どうしても、エリート層を対象に実施せざるを得ない。たとえば、米国は同盟国である、程度の知識しか持たないフィリピンの一般市民に対し、「米国は、戦略的パートナーとして、そして地域の安全保障の提供者としてどの程度信頼できますか(How confident are you of the US as a strategic partner and provider of regional security?)」といった質問を繰り返しても、信ぴょう性のあるデータを収集することは難しい。ISEASユソフ・イシャク研究所が参考にしたというインドネシアのシンクタンク「インドネシア外交政策コミュニティ(Foreign Policy Community of Indonesia)」による、ASEAN各国の対中認識に関する調査(”ASEAN-China Survey”)も、各界のエリート層のみを対象としている10。
1 本稿は、2020年11月29日付『日刊まにら新聞』に掲載された筆者の論考「トランプの強さ、ドゥテルテの強さ:取引主義的『駄々っ子外交』の限界」を下敷きにしている。(本文に戻る)
2 たとえば、フィリピン政治学会のジャーナルの最新号は、2020年にドゥテルテ政権の総特集を組んでいる。Philippine Political Science Journal, Vol. 41, (1)-(2), Brill. 2020.l(本文に戻る)
3 動画はYouTubeで公開されており、同研究センターのウェブサイトから視聴できる。<https://roles.rcast.u-tokyo.ac.jp/videos>(本文に戻る)
4 2022年大統領選に出馬している上院議員のパンフィロ・ラクソン、あるいはかつてのマニラ首都圏開発長官のバヤニ・フェルナンドなどは、いずれも、強権的ではあるが取引主義的ではなく、むしろ原理原則を重んじるタイプの政治家である。(本文に戻る)
5 David, Randy. The opposition’s dilemma. Philippine Daily Inquirer. June 20, 2021
https://opinion.inquirer.net/141318/the-oppositions-dilemma?fbclid=IwAR0C35QPW-DBTKxGDkAvhUdgwadYsknwYOEw9iqK8TRxJkQAv6GjehkBFOw
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6 Laksmana, Evan, A. “Indonesia–US relations: sweating the small stuff,” The Interpreter, January 29, 2018. < https://www.lowyinstitute.org/the-interpreter/indonesia-us-relations-sweating-small-stuff> あるいは、”Flawed Assumptions: Why the ASEAN Outlook on the Indo-Pacific is Defective,” Asian Global Online, September 19, 2019. < https://www.asiaglobalonline.hku.hk/flawed-assumptions-why-the-asean-outlook-on-the-indo-pacific-is-defective>(本文に戻る)
7 Poling, Gregory B. 2021. “Austin Accomplishes Two Missions in Southeast Asia,” Commentary for the Center for Strategic and International Studies, July 30, 2021. <https://www.csis.org/analysis/austin-accomplishes-two-missions-southeast-asia>(本文に戻る)
8 “Philippines' Duterte fully restores key U.S. troop pact,” Reuters, July 30. <https://www.reuters.com/world/asia-pacific/us-aims-shore-up-philippine-ties-troop-pact-future-lingers-2021-07-29/>(本文に戻る)
9 同シンクタンクのウェブサイトからダウンロードできる。たとえば2021年の報告書は以下からアクセスできる。<https://www.iseas.edu.sg/articles-commentaries/state-of-southeast-asia-survey/the-state-of-southeast-asia-2021-survey-report/>(本文に戻る)
10 同シンクタンクのウェブサイトからダウンロードできる。<https://www.fpcindonesia.org/2020/10/23/launching-of-asean-china-survey-2020/>(本文に戻る)