東南アジアにおける対日世論調査の課題と可能性:ヘッジングを具体的に語るために
2023年は、日本ASEAN友好協力50周年である。日本では、日本と東南アジア諸国、あるいはASEAN(東南アジア諸国連合)と戦略的にどのように付き合っていくべきか、日本の国益を東南アジアでどのように最大化するかといった点が大きく注目されている。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックを逆手に取って、自国の持つアセットを他国に提供したり、独自の防疫システムを他国に売り出したりする外交手法は、この2年間、世界のあちこちで見られてきた。中国の「マスク外交」、「ワクチン外交」はその典型例である。本研究会(笹川平和財団アジア事業部「コロナ対応から考えるアジアと世界」研究会)でも、迅速な検査で感染拡大を未然に防ぐ韓国式「K防疫」を打ち出した韓国、湾岸アラブ諸国を牽制するかのようにアフリカ諸国への人道支援を表明したトルコ、IT技術を活用して防疫を徹底した台湾、あるいは、自国で生産したワクチンの諸外国への提供をいち早く発表し、「被援助国」のイメージを払拭しようとしたインドなどの事例を分析してきた。
では、「ワクチン外交」の受け手国側は、この間、どのような外交的振る舞いをしてきたのだろうか。
筆者の専門は東南アジア政治である。残念ながらまだまだ現地調査に赴くことは難しい状況ではあるが、オンラインでアクセスできる東南アジア諸国の知識人らの論考やウェビナーなどを概観するかぎり、低姿勢な「被援助国」の立場に甘んじながらも、必ずしも供給国からの「ワクチン外交」に与しない各国の実態が浮かび上がってくる。
その一例がフィリピンである。パンデミックは、フィリピンの表向きの外交姿勢を大きく変容させた。ドゥテルテ政権が従来、対外的に醸し出そうとしてきた「豪気なフィリピン」のイメージは瓦解した。同政権は、それまでの威勢の良い対外批判を完全に封じ込め、セルフ・プロモーション(自国の見せかた)を修正してきた。窮余の策としてできるだけ多くのドナーからの支援を取り付け、「援助の絶対量」と「選択肢」の両方を増やすという国益を確保するためである。フィリピンは、医療品や医療インフラの支援国やワクチン供給国・国際機構に対しては、分け隔てなく感謝の意を表明してきた。決して特定の国を排除・批判することはしない。
本稿は、中国、米国をはじめ世界各国から無償・有償でワクチン支援を受けてきた国々が、そのことを国内で、あるいは対外的にどのように説明してきたかを概観する。同時に、東南アジアの被援助国が「中国をはじめとした複数の国からの『ワクチン外交』の受け入れは、我々の国益にも資するのだ」というナラティブを作り出してきたことを指摘する。
「ワクチン外交」の成果は易々とはあらわれない。これが本稿の結論である。ワクチンに限らず、経済援助によって被援助国の心証を変化させ、ドナー国の意に添う外交成果を達成することは、東南アジア地域では、年々、難しくなっている。
なお、そもそも、東南アジア諸国を「被援助国」と決めつけることは、2022年の実態に必ずしも即しているとは言えない。東ティモールを含めた東南アジア11ヶ国の経済成長の度合いにはかなりの差があり、低所得国に対する平等なワクチン供給を定めた国際的なCOVAXにおいても、東南アジア地域には供給国と被供給国が混在する。また、COVID-19以前から東南アジア諸国の経済成長は顕著であり、「日本は金持ち、東南アジアは貧困」といったナラティブは、この20年でどんどん薄れてきている。「援助マネー」が幅を利かせていた時代は終わった感がある。
さて、話をフィリピンに戻したい。パンデミックは、感染症対策に割くことができるフィリピンの国家アセットの乏しさを露呈しただけではない。従来、ドゥテルテ政権が米国および国際社会に向けて演出しようとしてきた「豪気な被援助国」像も、見事に瓦解させた。
2010年以降の中国の経済的・軍事的台頭にともない、フィリピンを含む東南アジア諸国は近年、米国、日本、中国といった域外大国から、さまざまな経済的便益を提示されてきた。2016年に就任したドゥテルテ大統領は、小国であるフィリピンがあたかも、複数のドナーを天秤にかけ、好きなものを自由に選び取る余裕があるかのような姿勢を醸し出してきた。
ドゥテルテ大統領は、国内における強権的な麻薬取り締まりやメディアへの言論弾圧を諸外国から批判されると、ただちに反応してきた。同盟国である米国のオバマ元大統領を汚い言葉で罵り、国連を批判し、過干渉なEUからの援助など今後は必要ない、などと豪語した。COVID-19が世界的パンデミックとなる直前の2020年2月には、大統領は米国との訪問軍地位協定(VFA)の破棄を一方的に宣言し、外交ルートで米国側に通知した。いずれも、米国と同盟関係にある民主主義国とはおおよそ思えない言動である。
こうした演出に拍手喝采したのは、外交・安全保障の知識を持たない人々だけではない。大統領を支持する閣僚らや知識人も、大統領の発言は憲法の「自立した外交政策」を体現しただけである、むしろ、ベニグノ・アキノ三世前政権が米国に近づきすぎたのだ、などと論じてきた1。こうした論調を追い風に、ドゥテルテ大統領は、中国からも多大な援助や投資の約束を取り付けながら、「援助は受けるが、妥協するわけではない」、「南シナ海(西フィリピン海)の探査・開発はフィリピンと合同で実施する」などと発言し、あたかも、中国とすら対等に付き合えるかのようなイメージを演出してきた。
しかし、パンデミック以後、そうした振る舞いは、自重されている。
感染拡大初期の2020年3月、国際社会が中国政府当局の情報隠蔽体質や、武漢での強権的な防疫措置に批判的な目を向ける中、フィリピンはいち早く、マスクや防護服といった支援物資を、中国から受け取った。同年4月、駐フィリピン中国大使館は、中国本土からフィリピンに輸送された中国の国旗入りの医療物資のパッケージの写真、喜びと安堵の表情を浮かべるフィリピンの医療従事者らの写真、そして南シナ海を連想させる海洋の写真を繋ぎ合わせたムービーに、“Iisang Dagat”(タガログ語で「1つの海」)と題するオリジナルソングを合わせた動画を、YouTubeで公開した。この意図的な映像とタイトルは、フィリピン国内のメディアやソーシャルメディア(SNS)でも連日話題となり、そのあからさまな「友好」の押し売りを批判する声が上がった。現在、元の動画はYouTubeから削除されているが、コピーはあちこちからアップロードされており、視聴することができる。
2021年に入り、デルタ株の蔓延が始まった2月、フィリピン政府は医療従事者への先行接種のためのワクチン獲得に奔走していた。中国政府はすでに2月末の段階で、他国やCOVAXを通じてのワクチン供給に先駆けて、Sinovac製のワクチンのフィリピンや東南アジア諸国への有償・無償での提供を開始した。
フィリピンが米国からファイザー製ワクチンを調達したのは、5月に入ってからであった。その後は同年10月までに、米国、日本、ドイツ、英国、アラブ首長国連邦、ブルネイアなどがフィリピン政府にワクチンを譲渡または販売した。しかし、こうした二国間での支援、あるいはCOVAXを通じた供給は、中国からの供給のタイミングからはかなり後れを取っていた。
諸外国から、ワクチンの入った貨物がマニラの空港に到着すると、ドゥテルテ大統領と保健大臣は空港の一角に設けられたセレモニー用ステージに足を運び、援助国の外交官らに感謝の意を表明するスピーチを行う。その様子は国内のニュース番組で放映されるほか、YouTubeでも公開されている。
ただし、こうした「ワクチン外交」においてフィリピンが見せる顔は、相手によって巧妙に使い分けられている。その理由は単純である。受け手国の側は、より多くのドナーから、より多量・多様な支援を受けることが、自国の国益に資すると考えているのである。
それを象徴するのが、ここ数ヶ月の間に相次いで開催された「ワクチン外交」をめぐるいくつかのウェビナーである。
2021年12月14日(フィリピン時間)に、米国シンクタンクのパシフィック・フォーラムが開催したウェビナー「ワクチン外交を超えて:フィリピンおよび東南アジアのCOVID-19からの回復と米国」では、フィリピンのガルベス保健大臣が登壇し、米国をはじめ各国に対する感謝を丁寧に述べ、パワーポイント・プレゼンテーションの中では、“#FriendsPartnersAllies in Beating COVID 19”とするハッシュタグを使用した2。同盟国であれパートナー国であれ、それ以外の国であれ、とにかく全方位のドナーに感謝を表明するフィリピンの姿勢が凝縮されたハッシュタグである3。
その2日後の12月16日(フィリピン時間)に、シンガポールのシンクタンクであるISEASユソフ・イシャク研究所が「フィリピンとタイにおける中国のワクチン外交:問題と展望」と題するウェビナーを開催した。フィリピン人研究者が登壇し、すでに同シンクタンクに寄稿した論考4に基づき、「中国によるフィリピンへのワクチン外交は、相互に利益(mutual gain)をもたらした」との持論を展開した。その内容は次のようなものである。
中国の側は「ワクチン外交」を通じて、自国で製造されたワクチンの市場を拡大するとともに、自国のイメージを向上させた。一方でフィリピン側も、医療従事者用のワクチンを早期に確保し、「ドゥテルテ大統領が中国と不透明な取引をしているのではないか」といった国内世論を払拭することができた。中国のワクチンをいち早く是認することで中国に利益をもたらし、中国と友好的な外交関係を演出することにも成功した。さらには、フィリピンが中国の「ワクチン外交」を速やかに受け入れたことは、米国や日本などの他のドナーの競合的参入をも促した。ただし、南シナ海問題は本件とは別である。
…あたかも、フィリピン政府は計画的に中国の「ワクチン外交」を受け入れ、他のワクチン供給国に揺さぶりさえかけてやったのだのだと言わんばかりの論調である。
前者のウェビナーのスピーカーがフィリピンの閣僚で、聴衆の多くが米国人であったのに対し、後者は、フィリピンの研究者が東南アジア研究者を主要な聴衆として話す場であった、という違いはある。しかし、これらの対照的なウェビナーから、以下の2点が観察できる。
第一は、国内に向けては威勢の良い言葉を発しながらも、ドナーに対しては一転して辞を低くし、自らを演じ分けるフィリピン政府の振る舞いである。
第二は、対外的には、選り好みをせず、どの国からの援助も受け取って感謝を述べながらも、国内あるいは東南アジアの隣国や東南アジア研究者といった「身内」に対しては、しっかりと自国の品格を強調して見せる点である。フィリピンは決して、中国に一方的に弱みを握られているわけではない。ワクチン外交はウィンウィンなのだ。中国のワクチンが国際的に承認される流れを作ってやったのだ。我々が初期段階で中国の支援を敬遠せずに柔軟に受け入れたおかげで、他のドナーも次々に参入したではないか。こうした論理展開は、被援助国の矜持を端的に表わしているように見える。
実際にフィリピン国内でも、「中国からのワクチンはありがたいが、南シナ海問題では妥協しない」といった論調が目立つ。中国政府に面と向かってその言葉が発せられないだけである。
さらに、2022年2月23日にISEASユソフ・イシャク研究所が開催したウェビナー「東南アジアにおけるCOVID-19、ワクチン、そして国境再開」では、在東南アジアの研究者、実務家が、フィリピンだけでなく、東南アジアの「ワクチン外交」受け入れ国(シンガポールとブルネイを除く)の状況について、暫定的な評価を述べた5。その内容は次の3点に集約できる。
第一に、クーデターの影響で外交に大きな乱れがあったミャンマーを除くすべての国は、2021年2-3月のデルタ株のピーク時に中国からのワクチン供給を受けた。第二に、米国や欧州や日本からの二国間支援、あるいはCOVAXを通じた供給は数ヶ月遅れた。第三に、結果として、中国のすばやい「ワクチン外交」は、他のドナーの参入を加速し、供給量の確保とリスク分散6の両方の視点から、東南アジア諸国に望ましい結果をもたらした。こうしたドナーの多様化はありがたいことであり、おかげで多くの東南アジア諸国は、2021年末までに、WHOの目標値である「国民の4割のワクチン接種完了」を達成することができたのである。今後は東南アジア各国の製薬会社が、自社工場でライセンス生産を行うことが期待される。
こうした議論からも伺えるように、被支援国の側は、我々が考えているほど、特定のドナー国に対して恩義を感じるわけではない。むしろ、「いかにもっと多様なドナーを呼び込むか」といった国益を常に考えて、全方位外交を展開しているのである。
中国をはじめ各国からの「ワクチン外交」を真っ先に受け取ってきたフィリピンでは、大統領は早急に方向を転換し、自国を豪放磊落な国に見せようとする従来の言動を自重するようになった。医療インフラや医薬品、ワクチンといった圧倒的な国内の資源不足を背景に、フィリピン政府は「ワクチンを調達できるならば、どの国からの支援も大歓迎」という全方位歓迎の姿勢に転じた。
しかし、米中を選り好みし、ドナーを手玉に取るようなかつての威勢の良さは、ドナーの前で封じ込められているだけであって、決して消滅したわけではない。フィリピンの保健大臣が提示した“#FriendsPartnersAllies in Beating COVID 19”という節操のないハッシュタグは、「ワクチン外交」を通じて被援助国に貸しを作り、ひいては自国に望ましい結果を引き出そうと期待するドナー側の想定をはるかに超越している。
自国のプライドと自立した外交を強調し、威勢の良い言動も維持する。他方で、対外的には従順に振る舞う。相手によってセルフ・プロモーションを柔軟に変更する。こうした戦術は、フィリピンに限らず、東南アジアの他の被援助国にも、多かれ少なかれ見られる。自国の、あるいは地域機構としてのASEAN(東南アジア諸国連合)としての主体性を発揮したいと願いながらも、実際は大国からさまざまな投資や援助といった経済的便益を提示され、もらえる援助はなんでも受け取り、全方位へのヘッジングを選択せざるを得ない。フィリピンの姿勢は、東南アジア諸国の現実的な選択肢の縮図と言えよう。
被援助国は、ドナーに見せる顔と、自国民もしくはASEAN域内の隣国に見せる顔とを、それぞれ使い分けているのである。
2021年12月13日付の読売新聞記事7は「台湾と断交の見返り、ニカラグアに中国製ワクチン」と題し、中国が、台湾と断交し中国との国交を回復したニカラグアに対し、その見返りとして中国製のワクチンを供与したことを報じた。しかし、「ワクチン外交」は、そう単純ではない。
日本をはじめとしたいわゆる「ドナー国」は、東南アジアでの「ワクチン外交」は決して容易ではないこと、被援助国が我々に見せている顔や表面上の外交姿勢は、本心とは別物かもしれないことを、肝に銘じるべきであろう。
1 たとえば、Lucio Blanco Pitlo III, “Quiet but active: Philippine independent foreign policy unpacked,” Asia Pacific Pathways to Progress Foundations, Inc. June12, 2018.
<https://appfi.ph/resources/commentaries/2168-quiet-but-active-philippine-independent-foreign-policy-unpacked> あるいはRaisa E. Lumampao, “Pragmatic or Institutional: The Irony of Duterte’s Independent Foreign Policy,” Conference Paper, Philippine Political Science Association, April 26, 2019.(本文に戻る)
2 Beyond Vaccine Diplomacy: The United States and COVID19 Recovery in the Philippines and Southeast Asia. 動画は同シンクタンクのFacebookページで公開されている。<https://www.facebook.com/pacforum/videos/603154027666307>(本文に戻る)
3 ただし、筆者が検索した限りでは、フィリピンの一般市民にはまったく浸透しなかったようである。(本文に戻る)
4 Lucio Blanco Pitlo III, “Chinese Vaccine Diplomacy in The Philippines and Its Impacts,”ISEAS Perspective 2021/145, 2021. <https://www.iseas.edu.sg/articles-commentaries/iseas-perspective/2021-145-chinese-vaccine-diplomacy-in-the-philippines-and-its-impacts-by-lucio-blanco-pitlo-iii/>(本文に戻る)
5 COVID-19, Vaccination and Reopening in Southeast Asia: Country-level and ASEAN responses. <https://www.iseas.edu.sg/mec-events/covid-19-vaccination-and-reopening-in-southeast-asia-country-level-and-asean-responses/>(本文に戻る)
6 特定の国のワクチンの安全性に関するリスクという意味ではなく、あるワクチンにアレルギーを持っている国民を想定し、選択肢は多いほうがリスク分散になるという意味で述べられていた。(本文に戻る)
7 <https://www.yomiuri.co.jp/world/20211213-OYT1T50139/>(本文に戻る)