中国の対日認識の転換──「従属変数」から「地域秩序 の戦略主体」へ
近年、中国の対日姿勢には明確な変化が見られる。
従来、中国外交において、日本は主として対米戦略の文脈の中で位置付けられてきた。
近年、中国の対日姿勢には明確な変化が見られる。
従来、中国外交において、日本は主として対米戦略の文脈の中で位置付けられてきた。日米同盟は中国の戦略を制約する要因として警戒されたものの、日本自体は米国の同盟国、あるいは米国のアジア政策を補完する「追随者」として認識される傾向が強かった[1]。
しかし近年の中国の対日言説には質的な変化が感じられる。高市発言に対する執拗とも言える攻撃的な姿勢、日本に対する「新軍国主義」批判、防衛力強化への強い反発、さらには日本の核武装の可能性についての繰り返しの言及は、従来の歴史認識問題や日米同盟批判だけでは十分に説明できないものである。
その背景には、中国が、日本を単なる米国の同盟国ではなく、台湾有事に際して決定的な影響力を有する存在として、更には、東アジアの秩序形成に影響を及ぼし得る独立した戦略主体として認識し始めたことがあるのではないか。
本稿では、この中国の対日認識の変化を、東アジアにおける勢力均衡の変化、中国が描く地域秩序構想、そして日本の安全保障上の役割の変容との関係から考察する。
習近平政権は長らく、「東昇西降(東が昇り、西が降る)」という歴史認識を示してきた[2]。中国の視点から見れば、中国が総合的な力をつけて台頭していく中、米国は相対的な国力低下に直面し、欧州は域内問題への対応を優先せざるを得ず、さらにウクライナ戦争によってロシアが軍事・経済的負担を抱えつつ弱体化した現実は、中国にとって相対的に有利な歴史的チャンスとも言える国際環境を生み出す要因となったと認識された。
その結果、中国においては、米国覇権の相対的後退によって生じる東アジアの戦略的な「力の真空」を、中国自身が埋め、地域秩序の中心的役割を担う「中国の夢」の実現が可能になりつつあるとの期待が形成された[3]。
ここで重要なのは、中国が夢見たものが単なる軍事的な「力の真空」の占有ではなかったことである。中国が目指したのは、米国の影響力低下に伴い、東アジアにおけるルール形成、海洋秩序、安全保障協力の枠組みにおいて、自らが地域覇権国家として中心的な役割を果たすということであった[4]。
すなわち、「東昇西降」論は、単なる国力の相対的逆転を意味するものではなく、国際秩序、特にアジア地域における秩序の主導権が今後中国へ移行していくという歴史認識を含んでいたのである。
トランプ政権は、同盟国に対してより大きな防衛負担を求め、「米国が従来のように無条件で国際秩序を支える時代ではなくなった」という認識を国際社会に拡散し、米国覇権の衰退というこれまで必ずしも正面から語られてこなかった真実を白日のもとに晒したのである。このことは、中国が抱いていた野望の実現への自信を一定程度強める要因となった。
しかし、この中国の戦略的期待は、東アジアにおける日本の役割変化によって大きく修正を迫られることとなる。
しかし、中国の戦略的期待とは異なる現象が生じた。中国にとって想定外だったのは、日本の防衛力強化そのものではない。より重要なのは、中国の圧力にもかかわらず、高市発言を撤回するどころか、日本が着々と自ら地域の安全保障ネットワークを形成・維持する主体へと変貌し始めたことである。
その象徴が、安保三文書の改定である。これは単なる防衛政策の修正にとどまらず、日本がこれまでのように米国による安全保障の提供を受動的に享受する国家から、地域秩序の形成に主体的に関与する国家へと転換する意思を示したものと見なされた。
安保三文書の改定以降、日本は防衛費の大幅増額、反撃能力の保有、防衛産業基盤の強化、日米同盟の高度化を進めるとともに、豪州、フィリピン、英国およびその他NATO諸国などとの安全保障協力を拡大してきた。また、防衛装備協力や能力構築支援を通じて、南シナ海を含むインド太平洋地域の安全保障への関与も急速に強めてきている。CPTPPの主導国家としての位置付けもそこには含まれる。
中国が想定した力の空白は、必ずしも中国だけによって埋められるものではなかった。むしろ、日本は米国の同盟国という枠を超え、地域秩序を支える一つの極として存在感を高め始めたのである。
この変化は、中国にとって、日本を単なる米国の戦略的延長線上にある存在として見る従来の認識の修正を余儀なくした。日本はもはや米国の政策に従属する受動的な同盟国ではなく、米国ですら中国の台湾統一を抑止するには日本の協力が不可欠であると認識し、日本もまた台湾有事に際しての対米協力を明確化したのである。
その結果、日本が東アジアの戦略環境を左右する独立した戦略主体になりつつあるとの現実認識を中国はもつに至ったと考えられる[5]。
この認識変化は、単に軍事力の規模のみではなく、日本が地理的条件と外交ネットワークを活用して、中国の海洋進出を制約する「構造的要因」になり得るという戦略的な懸念につながっている。
この中国の対日認識の変化を象徴するものが、中国の著名な海洋問題専門家である呉士存(Wu Shicun)の発言である。呉士存は中国政府の公式政策の決定者ではないが、中国の海洋戦略研究において一定の影響力を持つ専門家であり、その発言は、習近平政権および中国の戦略コミュニティが日本の役割変化をどのように認識しているかを、一定程度反映している可能性がある。
彼は、日本の南シナ海における軍事的プレゼンスの拡大について、その「破壊的潜在力」は最終的に米国をも上回る可能性があると警告した[6]。
もちろん、これは軍事力の規模や総合的な戦力を比較したものではない。米国は世界最大規模の軍事力を有し、空母打撃群、海外基地網、核戦力を含む世界的な兵力投射能力において、日本をはるかに上回っている。
では、呉士存が比較しているものは何か。それは、アジアという戦域における戦略的影響力と持続的な制約能力であると考えられる。
米国は東アジアに大きな軍事的関与を持つ「域外国」であり、その関与の程度は国内政治や国際環境によって変化し得る。一方、日本は東アジアに恒常的に位置する地域国家であり、第一列島線、台湾海峡、東シナ海、南シナ海、西太平洋という中国の海洋進出に関わる地域と地理的に密接に結び付いている。
中国にとって、日本の存在は一時的な軍事介入ではなく、地理的条件そのものに根差した「恒常的な制約要因」となっている。米軍は政治的意思によって展開規模を変更し得るが、日本は地理的に移動することができない。日本は、中国の海洋進出を阻害する地政学的価値を有しており、中国にとっては取り除くことのできない存在である。そのため、日本が軍事的能力と地域協力網を強化することは、中国の海洋活動に長期的かつ構造的な制約を与えることとなる。
したがって、呉士存が示唆したのは、日本が軍事力において米国を上回るという意味ではなく、日本が地域国家として持つ「恒常性」と、米国の同盟ネットワークを地域秩序の中で増幅する能力への警戒である。
この意味で、中国は日本を、米国の同盟国以上の、米国とは異なる性質を持つ独自の戦略的競争主体として認識し始めている可能性が示唆される。
この観点から見ると、中国が近年繰り返している「新軍国主義」批判や、日本の核武装の可能性への言及は、単なる歴史認識問題の延長ではない。それらは、日本の戦略的台頭を牽制するための認知戦の手段として機能している。
中国は、日本国内のみならず欧州やASEAN諸国を含む国際社会に対して、「日本の軍国主義の復活」という物語を提示し、日本の安全保障上の役割拡大に対する広汎な警戒感を醸成しようとしている。これは、日本が地域秩序の形成において中心的役割を果たすことを抑制したいという中国の意思の表れである。
従来、中国は歴史問題を通じて対日警戒感を喚起し、日本に対する外交的圧力を形成するという手法を用いてきた。しかし現在、その重点は、日本が地域の安全保障のリーダーになる資格を否定する情報戦の性格を強めている。中国は本気で日本が現在および将来の東アジア秩序形成において果たす役割を制限する方向へとシフトしている。
「新軍国主義」という言説の戦略的機能は、日本を地域の不安定化をもたらす存在として位置付け、その外交的正統性と安全保障上の役割を弱めることにある。
すなわち、中国が警戒しているのは日本の軍事力の増大以上に日本が米国を中心とする同盟ネットワークの一部として、あるいは独自の地域ネットワーク形成者として、中国とは異なる秩序モデルを提示することである。
中国が近年警戒を強めているのは、米軍の台湾有事への関与の可能性それだけではない。より大きな問題は、日本が地域安全保障における「結節点(nodal state)」として、豪州、ニュージーランド、フィリピン、ベトナム、インドネシア、インド、さらには英国・フランスを含む欧州諸国との間で、重層的な安全保障ネットワークの形成を支えているその外交力である。
中国の対外秩序観には、中心的国家(中華)を軸に周辺国との関係を配置する「階層的な秩序」観が存在する。他方、日米を中心とするインド太平洋の安全保障協力は、多数の国家が相互に連携する「分散型ネットワーク」として形成されつつある。
中国が日本を警戒する理由は、日本が単独で軍事大国化することにだけあるのではない。トランプ大統領が同盟国との関係を劣化させている中にあって、日本が、同盟国・同志国との連携をまとめ上げ、中国が想定する中心―周辺型の秩序とは異なる、ネットワーク型の地域秩序を形成する中核的存在になりつつあるからである。
この意味で、中国が直面している競争は、単なる米中二国間の覇権競争ではない。それは、東アジアおよびインド太平洋において、どのような秩序モデルが形成されるのかをめぐる競争である。
そして、その競争において日本は、単なる米国の同盟国であることを超えて、地域の安全保障ネットワークを形成・維持する重要な結節点として位置付けられるようになっている。
従来、中国の対日認識は、「日本は米国の同盟国であり、最終的には米国の戦略に従属する存在である」という理解を基軸としていた。日米同盟は中国にとって主要な警戒対象であったが、日本自体は基本的に米国のアジア戦略を補完する存在としてしか位置付けられていなかった。
しかし現在、中国は日本を、単なる米国の追随者ではなく、米国とともに東アジアの秩序形成に影響を及ぼし得る独立した戦略主体として認識し始めている可能性がある。それは、中国が経済成長し、軍事力を強めていく中で、中国自身の地域秩序構想がかつてとは異なる方向へと変化したために、日本を見る視点も変わったということである。
その結果、中国の対日政策も、従来の歴史問題を中心とした対日牽制から、日本の軍事的・外交的・制度的影響力の拡大を抑制することを重視するより戦略的な方向へと比重を移してきた。
中国は依然として米国を最大の戦略的競争相手と位置付けている。しかし、東アジアという戦域において、中国が直面している競争はもはや米中二国間の対立のみではない。日本を含む複数の国家が形成するネットワーク型の地域秩序と、中国が志向する秩序モデルとの競争でもある。
この意味で、中国の対日警戒の核心は、日本が単独で軍事大国化すること、台湾統一を阻害する決定的な要因となっていることに加え、日本が、同盟国や同志国との連携を通じて、地域秩序の形成能力すら獲得しつつあることにあると言える。
中国の対日政策の変化は、日本の能力の増大だけによって説明されるものではない。それは、中国自身が東アジアの将来秩序をどのように構想し、その中で日本をどのような位置付けで捉えるようになったかという認識の変化を反映しているのである。
この変化を理解することは、中国外交の最近の対日強硬姿勢を読み解くだけでなく、今後の日中関係を展望する上でも重要な視点となるだろう。
[1] 2021年3⽉17⽇付中国外交部報道官談話において、趙⽴堅報道官は⽇⽶2+2共同声明について、「⽢願仰⼈⿐息、充当⽶国戦略附庸」(進んでアメリカの顔⾊をうかがい、その戦略に従う従属的な存在となっている)旨批判した。 [https://www.mfa.gov.cn/fyrbt_673021/jzhsl_673025/202103/t20210](リンク切れ)
[2] 2021年7⽉22⽇付『⼈⺠⽇報』《⼈間正道開新篇》中の「習⾔習語」において、「可以説,当今世界百年未有之⼤変局,最突出的特徴就是“東昇⻄降”,中国⽇益⾛近世界舞台中央」と⾔及。 [https://www.12371.cn/2021/07/28/ARTI1627427658478635.shtml]
[3] 『求是』2025年元旦号は、2023年2⽉7⽇に習近平が新加⼊の党中央委員会委員及び省部級主要指導幹部に対して実施した講話「以中国式現代化全⾯推進強国建設、⺠族復興偉業」を掲載した。 [https://www.qstheory.cn/20241231/d21bd57c012d4d29824219effd18ca35/c.html] その中に「中国式現代化的初步成功実践和取得的顕著成就,新時代以來『東昇西降』、『中治西乱』的鮮明対比,使広大発展中国家看到了新的希望,有了新的選択」(中国式現代化の初期的な成功実践と、そこから得られた顕著な成果、新時代以降における『東昇西降』『中治西乱』という鮮明な対比は、広範な発展途上国に新たな希望を示し、新たな選択肢をもたらした)との一文がある。
[4] 習近平は早くも2014年、上海で開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)で、「亞洲的事情要由亞洲⼈来辦,亞洲的問題要由亞洲⼈来解決」(アジアのことはアジア⼈が処理し、アジアの問題はアジア⼈が解決する)旨述べている。 [https://www.mfa.gov.cn/ziliao_674904/zyjh_674906/201405/t20140521_9869330.shtml]
[5] 『⽇本学刊』 2024 年第4 期所収の「美国『印太』盟伴体系中的日本角色探析」論文において、中国の復旦⼤学⽶国研究センターの趙明昊は以下の通り述べている。「從地緣安全、地緣経済和地緣技術等維度看,⽇本在美国『印太』盟伴体系中発揮極為關鍵的作⽤,很⼤程度上成為美国関連戦略挙措的理念提供者、駆動者、賦能者。⽇本不断増強与美国『印太』地区盟伴的両辺関係,并在美国促進亜太和欧洲地縁板塊連動⽅⾯成為核⼼連結者。」(地政学、安全保障、経済、技術といった各側⾯から⾒て、⽇本は⽶国の「インド太平洋」同盟・パートナーシップの中で極めて重要な役割を担っている。⽇本は、⽶国の関連戦略において、その理念の提唱者であると同時に、推進役、さらには実⾏⼒を与える存在となっている。また、⽇本はインド太平洋地域の⽶国の同盟国・パートナーとの⼆国間関係を不断に強化するとともに、⽶国がアジア太平洋と欧州という⼆つの地政学的空間を連結しようとする取り組みにおいて、中核的な結節点として機能している。) [https://ciss.tsinghua.edu.cn/upload_files/atta/1728530260752_BE.pdf]
[6] “Japanʼs ʻdestructive potentialʼ in South China Sea may eclipse the US: analyst ,” South China Morning Post, July, 13, 2026. 呉⼠存は中国南海研究院創設院⻑、華陽海洋協⼒・海洋ガバナンスセンター会⻑。本記事は⾹港で開催された南シナ海情勢に関するラウンドテーブルでの発⾔を報じたもの。 [https://www.scmp.com/news/china/diplomacy/article/3360362/japan-may-have-greater-destructive-potential-south-china-sea-us]