ノーベル平和賞(2015年度)受賞「チュニジア国民対話カルテット」について

2016.07.15

このたび、2015年度ノーベル平和賞受賞「チュニジア国民対話カルテット」をお招きするにあたり、彼らの活動についてより一層理解を深めていただくために、このページを用意いたしました。
なお、講演会は7月20日16:00から笹川平和財団ビル11階にて開催いたしますので、ご登録の程よろしくお願いいたします。

【登録ページ】https://www.spf.org/event/article_21252.html

「チュニジア政治における「国民対話カルテット」の位置づけ」

若桑 遼(チュニジア研究者)

    • (1)「アラブの春」の発端となったチュニジア
       2010年12月、チュニジアの地方都市スィディ・ブーズィードで発生した抗議行動は、すぐにチュニジア全土に飛び火して反体制運動となり、2014年1月14日にベン・アリー大統領の国外亡命に帰結した。これが中東・北アフリカ域内の大きな政治変動である「アラブの春」の発端となったことは記憶に新しい。
       革命後の民主主義体制への移行過程において、市民社会は決定的に重要な役割を担った。チュニジアの民主化推進に貢献したとして2015年のノーベル平和賞を授与された国民対話カルテットは、このような市民社会の代表的な団体である。

    • (2)チュニジア革命後の市民社会の役割
       チュニジアではベン・アリー亡命後に発足した暫定政府のもと、市民社会が合意形成に積極的に参加した。2011年3月、ベン・アリーの政党である「民主立憲連合(RCD)」及びその統制下にあった野党を除く12の主要な政党、18の市民社会団体に加えて、国の名士、地方の代表者、革命の遺族などで構成される機関が設立された。それが「革命の目標実現、政治改革及び民主的移行のための高等機関(Haute instance pour la réalisation des objectifs de la révolution, de la réforme politique et de la transition démocratique)」(2011年3月発足)である。同機関に代表者を送った市民社会の団体には、後に国民対話カルテットを構成する4団体も含まれていた。この機関は、新憲法制定のための議会選挙を実施することを目指して、選挙管理委員会にあたる「選挙のための独立高等機関(ISIE)」を設立した。また事実上の選挙法にあたる、法律の効力をもったいくつかのデクレ・ロワ草案を作成した。この機関は、2011年10月の制憲議会選挙を前にその職務を終えたが、権威主義的な政権によって弾圧されてきた主要な反体制派の政党と市民社会団体が中心となって合意形成に取り組んだことが特徴的で、これが民主主義体制への移行期において非常に効果的な役割を果たした。

    • (3)「国民対話」のイニシアティブ
       2011年10月23日に行われた議会選挙は、チュニジア建国以来、初の「自由で公正な」選挙であった。同選挙の結果、エジプトのムスリム同胞団に影響を受けたナフダ党(Ennahda)が最大議席を獲得し、世俗主義で中道左派の「共和制のための会議(CPR)」と「自由と労働のための民主フォーラム(FDLT)」」と共に連立政権を組んだ。制憲議会は、成立後、延長可能な1年以内に新たな憲法案を作成する任務を負ったが、その行程は難航し、期日は1年を越えた。2013年2月、7月にイスラーム武装闘争派によるチュニジア人政治家暗殺及びチュニジア国軍との衝突が相次いで起こると、国は未曾有の政治的・社会的混乱に陥った。反政府勢力は、内閣解散と議会の解体を要求して、街頭での抗議行動に出た。ナフダ党は、2013年7月に軍主導の政治に回帰したエジプトの事例を引き合いに出し、民主的選挙により選出された自らの統治の正当性を一貫して主張して、国に政治的空白が生じるのを避けようとした。他方、世俗派は、連立政権が国の深刻な政治的停滞を招き、政治家暗殺を計画・実行したイスラーム武装闘争派の台頭を黙認した政治責任を追及して、内閣解散と議会解体を要求した。両者の対立は、鮮明となった。唯一の立法機関である制憲議会をボイコットする議員は定数217名中、70名以上を数え、国政は事実上停止状態に陥った。
       この状況下で、ばらばらになった各政治勢力を束ねるために「対話」のイニシアティブを提唱したのが、国民対話カルテットである。チュニジア最大の労働組合であるチュニジア労働総同盟(UGTT)は、軍事クーデタ後の武力衝突が続くエジプト情勢をかんがみて、チュニジアにおけるイスラーム主義者と世俗派との対立を回避しようとした。フサイン・アッバースィー労働総同盟事務総長は、チュニジアの政治的危機を脱するための方法について、次のように述べている。「政治の行き詰まりが継続するならば、我々には選択肢がある。我々は、諸政党に対話をさせる機関をつくることになるだろう。我々は〔軍政に回帰した〕エジプトではない。危機を脱する唯一の方法は、一に対話、二に対話だ」(2013年8月、ロイターとのインタヴュー)。
       こうして2013年9月、チュニジア労働総同盟に加えて、経営者の中央機関である「チュニジア商工業・手工業経営者連合(UTICA)」、アラブ世界初の人権擁護団体である「チュニジア人権擁護連盟(LTDH)」、2010年12月の抗議行動にいち早く連帯を表明した「全国法律家協会」という市民社会団体による国民対話のイニシアティブが開始された。
       国民対話カルテットが用意したテーブルには与野党の指導者が着席し、約2か月の間、次の政治プロセスに関する交渉を重ねられた。同年10月に、共和国大統領、首相、議長が「ロードマップ」を公表し、連立政権を組む3政党を中心に構成された内閣の辞職とともに、実務者からなる新内閣を発足させることを決定した。しかしその後、内閣の辞職と新内閣の組織するための条件をめぐり、諸政党間の調整は困難を極めて国民対話のプロセスは一時挫折した。革命3周年を迎えるにあたり事態の長期化を避けたい与野党は妥協し、2014年1月、アリー・アライイド首相(ナフダ党)が最終的に辞任し、マフディー・ジュムアを首班とする新内閣が発足した。
       こうして制憲議会での審議が再開されると、2014年1月、議会はチュニジア共和国憲法を非常に迅速に可決し、新憲法は翌月公布された。こうしてチュニジアは1959年の独立からおよそ半世紀後、「第二共和政」の成立を迎えることになったのである。この憲法はそれ自体が革命の成果を体現しており、アラブ世界のなかではもっとも民主的な憲法であると評価されている。

  • (4)ノーベル平和賞受賞による国民対話プロセスの再評価
     2015年に入り、またもテロリズムの「暴力」がチュニジアを襲う。同年3月にバルドゥー国立博物館、同年6月にスースのビーチ・リゾートがイスラーム武装闘争派に襲撃され、「イスラーム国(Islamic State)」が犯行声明を出した。これらの事件はチュニジア建国以来、史上最悪の犠牲者を出したテロであった。
     ノーベル平和賞の授与には、このような「暴力」の広まりに対して、民主主義の原点である「対話」の精神に立ち返ろうというメッセージが込められている。ノーベル委員会は授賞に際して次のようなコメントを残している。
    「チュニジアは、深刻な政治的、経済的、安全保障上の問題に直面している。今年の賞がチュニジアにおける民主主義の保全に貢献し、中東、北アフリカ、並びに世界の他の地域の平和及び民主主義を促進しようとするすべての人びとにひらめきを与えることをノルウェー・ノーベル委員会は期待する。何よりも、この賞は、大きな課題〔に直面している〕にもかかわらず、国の友愛のための基礎を築いてきたチュニジアの人びとに対する励ましとなることを意図している。委員会は、その他の国が従うべき事例としてこれが機能することを期待する[1]。」
     チュニジアは中東・北アフリカ地域内の大国ではなく、日本のメディアでは報道される機会が極端に少ない。またテロ事件が起こった場合など、しばしば暴力的な側面に注目が集まりがちである。しかしノーベル平和賞の授与により、国民対話カルテットは、活発なチュニジアの市民社会を代表して国際社会の再評価を受けることとなった。チュニジアの国民対話カルテットは「暴力」を用いず、粘り強い「対話」の精神を武器とした。「アラブの春」は混迷の只中にあるが、中東・北アフリカ地域だけでなく、世界の民主化の諸問題を再考するうえでチュニジア民主化の促進に寄与した国民対話カルテットに学ぶ点は多く、トップ4人が日本に集まる意義は大きいといえるであろう。

[1] "The Nobel Peace Prize 2015 - Press Release".
Nobelprize.org. Nobel Media AB 2014. Web. 30 Jun 2016.

「国民対話カルテット」の4団体

①チュニジア労働総同盟(UGTT)
1946年1月に設立されたチュニジア労働総同盟は、アラブ世界でもっとも古い歴史をもつ労働組合である。総同盟の基本的な活動は労働者の権利の擁護であるが、設立当初より強い政治的性格をもっている。構成員には定年退職した年金受給者のほか、労働者、職員、技術者、医師、教師などさまざまな社会階層を抱える。
総同盟の存在なくしてチュニジア政治史は語りえないほど、同組織はチュニジア史において特筆すべき位置を占めている。第一次労働組合運動の指導者ムハンマド・アリー・ハーンミー、労働総同盟の創設者ファルハート・ハッシャードらは、独立闘争や労働運動の組織化において強い政治的リーダーシップを発揮した国の「偉人」である。
総同盟は、独立以降、ブルギバ政権期に第一次制憲議会(1956年)や内閣に代表者を送るなど、政権と密接な関係を維持する一方、しばしば総同盟を支配下に置こうとする政権と衝突した。その代表的な事件が1978年1月の「暗黒の木曜日事件」である。この事件では、社会的・経済的な問題が深刻化するなか、個人独裁を強める政権に反発して、総同盟が全国でゼネストを組織すると、暴徒化したデモ隊に国軍が介入して百名以上の死者を出した。
2010月12月中旬、チュニジア中部の小都市スィディ・ブーズィードで抗議行動が起こると、路上の動きにいち早く連帯を表明したのは労働総同盟系の組合であった。労働総同盟は、雇用問題の解決を訴えるとともに、中央・地方レベルで体制に反対するデモ行進を組織したり全国的規模でストライキを決行したりして「革命」の機運を促した。ベン・アリー大統領の亡命後は、労働総同盟は、しばしば暫定政府と協議の場をもち、政治的決定に参加している。
現在の事務局長は、チュニジア中部のカイラワーン・スビーハ出身(1947年生まれ)のフサイン・アッバースィー氏である。アッバースィー氏は、小学校教師、次いで中等学校の教育指導官を務め、1973年に労働総同盟に加わった。2013年に事務局長に就任すると、同盟の組織内改革を進めるとともに、「国民対話」を通じて諸政治勢力の「調停役」を務めるなど国政にも多大な影響を与えている。

②チュニジア人権擁護連盟(LDTH)
1976年に創設され、1977年5月に認可を受けた、アラブ世界及びアフリカ初の人権団体。2012年4月に裁決された憲章によれば、連盟は、世界人権宣言などの人権条約で定められる市民、政治、社会、経済、文化、環境に関する人権規定に加えて、アラブ・イスラーム文明、人類文明における解放の原則を支えとしている。
連盟は、1977年の創設以降、政権により弾圧を受ける労働組合、ジャーナリスト、政治活動家などの人権を擁護した。政権側は、法の改正、裁判の実施、投獄、連盟の財政の圧迫などを通して、連盟に対する統制を強めた。1992年初頭、政権が結社法を改正すると、連盟はこれに従うことを拒否し、1992年6月に連盟はいったん解体された。ベン・アリー政権は、連盟の活動家に対して、パスポートの押収や国内外の移動の禁止、投獄・拷問、通信の切断・盗聴などという抑圧的な措置をとり、主要な者は国外亡命を余儀なくされた。
現在の会長は、チュニジア中部のスィリアーナ出身の弁護士アブドゥッサッタール・ムーサー氏である。ムーサー氏は、1995年から2001年まで全国法律家協会の委員を務め、2004年から2007年まで会長職を務めた。2011年以降、人権擁護連盟会長に就任した。

③チュニジア全国法律家協会(Ordre National Des Avocats De Tunisie)
チュニジア全国法律家協会は、独立後の1958年に結成された。ブルギバ政権初期には、組織の自律性を確保しようとする法律家協会と政権が対立し、1961年夏に法律家協会が解体され、初代法律家協会の会長ハッラーディー氏をはじめとする幹部たちが投獄された。ベン・アリー政権期にもチュニジアの弁護士たち法律家協会のメンバーは、司法を不当に利用して政治犯に処罰を加える政権をしばしば非難し、政権による拷問や人権侵害に対する告発を行った。2010年12月中旬以降、反体制運動の進展においては法律家協会のメンバーは重要な役割を担った。彼らはスィディ・ブーズィードやその周辺地域のデモ参加者たちに「連帯」を表明し、路上の抗議行動に法的正当性を与えたのである。弁護士たちは、しばしば黒い「法衣」を着用して路上のデモに直接加わることもあった。2010年12月31日には、全国法律家協会が裁決した決議に基づき、チュニジア国内の全裁判所において司法の独立と解放を要求して、政権に対する抗議活動を行った。治安当局は、これらの法律家協会のメンバーの活動を厳しく弾圧し、多くの者を投獄した。
現在の会長は、チュニジア南部のガフサ出身(1965年生まれ)のムハンマド・ファーディル・マフフーズ氏。マフフーズ氏は、フランスのアミアン大学、次いでパリ第11大学で法学に関する高等教育を受けた後、現在までチュニジアで弁護士を務めている。革命後に行われた制憲議会選挙では、選挙管理委員会委員も務めた。2013年6月、チュニジア全国法律家協会の会長に選出された。

④チュニジア産業・工業・手工業連合(UTICA)
UTICAは、1947年に設立された経営者の中央機関である。農業を除く、さまざまな分野の経済セクターの専門的な組織を統括する。UTICAは、観光業、銀行、金融の分野を除く、およそ10万の民間企業を代表する。活動の目標は、民間セクターの活動促進であり、公的機関に対する主に中小企業の代弁者として機能することである。
現在、会長を務めるのは、チュニジア南部のガーベス出身(1961年生まれ)のウィダード・ブーサマーウィー氏である。彼女は、父親ハーディー氏の事業を引き継ぐ実業家でもある。

「チュニジアの女性の社会進出に関して」

・中東・北アフリカ地域では、国連や人権団体などから女性の権利の侵害や女性・少女に対する暴力の事例が報告されることが多い。一方で、チュニジアでは、独立以降、「身分法」や女性の権利向上の分野における社会政策の推進を、社会改革のためのカギだと考え積極的に行ってきた。

今回の来日メンバーであるチュニジア商工業・手工業経営者連合ブシャマウィ会長は、「アラブ世界で最高のビジネスウーマン賞」を受賞するなど、幅広く活躍されている。また、国民対話カルテットのメンバーの一つ全国法律家協会を見ると、チュニジアの弁護士約8,000人名のうち、およそ50パーセントが女性であることは、注目に値する。チュニジアにおける女子の高等教育就学率が高いことの証でもある。

  • チュニジアの女性の権利を考えるうえで、1956年に定められた「身分法(code of personal status)」という法律が重要。身分法は「私的関係法」とも呼ばれる。普通、ムスリムが多数派を占める国においては、婚姻、離婚、親子関係、遺産相続の分野においては、イスラーム法(シャリーア)の原則に基づく身分法(私的関係法)が採用されているが、チュニジアの身分法では、複婚(一夫多妻制)の禁止夫側からの一方的離婚(タラーク)の禁止夫と妻が双方同等に裁判所に離婚申請を行う権利の承認妻による家族の扶養費の支払い責任子どもに対する母親の監護権の承認などの規定がある。

  • 2014年に制定されたチュニジア共和国憲法(カルテットの功績の一つ)

男女平等の原則

共和国憲法では、男女平等の原則が明記されまた女性の獲得した権利を保護し、女性に対する暴力の撤廃に関する文言が明記されている。

議会体での男女同数の確保 (日本よりも進んでいる)

また政治の分野でも、憲法に男女の代表者を同数にしようとする規定がある。選挙法でより具体化されており、選挙の候補者名簿を提出する際に、男女の候補者名を交互に配列することによって、男女の代表者が同数に近くなるよう工夫されている。現在は、国の議会の議員定数(217名)のうち、女性議員の数は68名で、全体の約31パーセントを占めており、女性の代表者の数としては、アラブ・ムスリム諸国のなかでは最多。

女性による大統領選への立候補

同憲法では、女性が大統領選挙に立候補する権利が明記されている。これは、アラブ・ムスリム諸国ではおそらく初めての規定であり、女性大統領誕生への道を開いた意義は大きい。

<関係リンク先>
①ジェトロ・アジア経済研究所
②革命後チュニジアの政治的不安定
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2013_14.html
チュニジア4団体のノーベル平和賞受賞
http://ir.ide.go.jp/dspace/handle/2344/1515
②中東調査会 「中東かわら版」金谷調査員
2013/12/16 国民対話で与野党が新首相候補について合意
http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20131217101743000000.pdf
2014/10/30 人民議会選挙結果 http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20141030172926000000.pdf
2015/2/10 ハビーブ・シード内閣の承認
http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20150210184337000000.pdf
2015/10/14 「カルテット」にノーベル平和賞
http://www.meij.or.jp/kawara/2015_098.html
2016/5/25 ナフダ党が宗教活動と政治活動の分離を決定
http://www.meij.or.jp/kawara/2016_033.html
③Asia Peacebuilding Initiatives
チュニジア国民対話カルテット:アジア地域のモデル?
http://peacebuilding.asia/tunisian-dialogue-quartet-model-jp/
市民ネットワーク for TICAD (Afri-Can)
人権擁護連盟の副代表 アリ・ゼディニ氏基調講演
http://afri-can-ticad.org/2016/04/14/ticadopening20160319/

新着情報一覧に戻る

メルマガ登録はこちら
関連ページ

笹川太平洋島嶼国基金

上記の笹川太平洋島嶼国基金のページでは、2017年度までの事業活動を紹介しています。

関連ページ

笹川汎アジア基金

上記の笹川汎アジア基金のページでは、2017年度までの事業活動を紹介しています。

関連ページ

笹川日中友好基金

上記の笹川日中友好基金のページでは、2017年度までの事業活動を紹介しています。

関連ページ

笹川中東イスラム基金

上記の笹川中東イスラム基金のページでは、2017年度までの事業活動を紹介しています。

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • はてな

ページトップ