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第1グループ(戦略対話・交流促進担当)

被爆体験の証言活動と自身の作品について語る

七宝壁画作家の田中稔子氏

コミュニケーション企画部広報課 髙橋恵美奈(ソフィア)


2024.07.25
13分
タイの首都バンコクで昨年12月、笹川平和財団アジア・イスラム事業グループが開催した作品展および対話イベント「Echoed Tranquility ~芸術を通じた平和の希求と静かな共鳴~」には、3人のアーティストが参加し、その作品が展示されました。その1人で、広島の被爆者であり七宝壁画作家の田中稔子氏に、被爆体験と平和への祈りを込めた作品への思い、アーティストとして認められるまでの道のり、アートがもつ力について聞きました。
ジム・トンプソン・アート・センターに展示された田中稔子氏の作品「ミレニアムギフト」

ジム・トンプソン・アート・センターに展示された田中稔子氏の作品「ミレニアムギフト」

——アートへの情熱はいつごろから芽生えたのですか。
 
田中 子供のときから絵が好きでした。5歳くらいから描き始めました。小学生や中学生の頃はイラストや漫画がなかったので、絵が苦手な同級生は私が描く絵をほしがって、みんなで行列をつくって「書いて」という時代はありました。私は覚えていないのですけれども、友達が良く覚えていて「あなたの数学のノートは絵ばかり描いてあった」と言っていました。
 
 美術系の学校に入りたかったのですが、戦時中なので美術系なんて選ぶことができない時代でした。そして原爆が落ちて全てを失いました。原爆投下の1週間前に2キロメートルほど離れたところに引っ越せと言われました。親戚の借家に急遽引っ越したのですが、荷物は全部置いていかなければなりませんでした。父は戦争に行っていたし、そのうち原爆が落ちました。財産も何も一切ない。勉強したいだなんて、そんな願い事を言っている暇はない時代でした。親も食べていくのに必死で、母はクリーニング屋でやったこともない傷んだ洋服の繕い方を習いました。私たち子どもも手伝わなければいけなかったので、クリーニング屋から服を持って帰り、母が繕い終わると、父の自転車に乗って夕方に2服を配りに行きました。
 
——大変な時代で、苦労されましたね。
 
田中 その後、夜間の高等学校を卒業し、4年間で貯めたお金で東京の新宿にある文化服装学院に入学してデザインを学びました。しかし、大学卒業後は貯金もなくなり、負け犬みたいな気持ちで広島に帰りました。当時、広島にはデザインの仕事がなかったので、結婚の道しかありませんでした。姑は非常に物分かりのいい人で、3カ月コースの七宝教室を見つけてくれて、そこに通うなら、私の代わりに生まれたばかりの赤ちゃんの面倒を見てくれると言いました。コース修了後は、東京藝術大学を出られた彫金七宝作家の斉藤銈一氏に師事し、七宝工芸に夢中になりました。さらに勉強を進めるために、東京藝術大学が夏休みの1カ月間開講していた社会人講座に強引に申し込みました。その頃、日展に入選した作品もありました。
 
 自分のデザイン力に自信がもてないこともありましたが、師匠の斉藤先生と連絡を取り合いつつ、少しずつ自信をつけて独自の世界に進んでいきました。それから30年後、師匠から突然、箱が届いて、開けてみたら斉藤先生が大事にしていた絵具、工具などがいっぱい入っていました。その中に手紙もあり「あなたが一番よくできていました。これをあなたに託します」と書いてありました。生意気だと言われたこともありましたけどね。ずっと見てくれていました。それから数ヵ月後に亡くなられました。
日本から運ばれた田中氏の作品「いのちの木」(写真右)

日本から運ばれた田中氏の作品「いのちの木」(写真右)

——アーティストとしての活動だけではなく、世界中を飛び回り、ご自身の被爆体験を証言しながら、グローバルな課題や環境に対する意識を高めてきました。ピースボートに乗船した2008年から、被爆体験の証言活動を始めたのですね。
 
田中 遊びで最初にピースボートに乗船したのは2007年でしたが、プログラムの活動に関心をもち、2008年に南米ベネズエラへの航海に再度応募しました。そのときは初めて被爆者世界一周証言の航海に参加しました。証言者としてまだ覚悟ができていなくて、トラウマがある中でなぜ乗ったかというと、他にも被爆者がたくさん乗っていたので、正直なところ、自分の体験談を話すことになるとは思っていなかったからです。しかし、旅の途中で船のメインエンジンが故障し、トルコに停泊してしまいました。すでに南米訪問の準備は整っていたため、私と他の3人がベネズエラに行くことになりました。
 
 亡くなった同級生たちが恨めしく思っていると、ずっと感じていたため、自分の経験をあまり話したくないという気持ちがありました。でもベネズエラに到着し、現地の人々と話をするうちに、原爆犠牲者に対する責任感から、自分が体験したことを伝える義務があると確信しました。そのときズンときましたね。責任があるならやらなければいけないと思いました。そうしたら亡くなった人も自分を許してくれる気がしました。今は彼らがいたことを誰も知らない。なぜなら証拠も残っていないから。彼らを正しく称えるために、彼らの話を伝えることが重要だと感じたのです。だからこそ70歳以降、私は自分自身の体験を分かち合おうと決心し、そうしてきたのです。
 
 私の作品の多くは、原爆を経験したことからきていますが、同時に、地球温暖化や二酸化炭素の上昇など人類の終末のことも考えて、それが無意識のうちに私の作品に出てきます。
 
——作品展と対話イベント「Echoed Tranquility ~芸術を通じた平和の希求と静かな共鳴~」では、田中さんの3つの作品を展示し、ご自身の体験をお話していただきました。ご自身の被爆体験証言と作品の展示会を兼ねて、東南アジアには初めていらっしゃったということですが。
 
田中 すごくエクサイティングしていますね。東南アジアでまさか作品を認めていただくとは思わなかった。これは頑張らなきゃいけないと思います。
 
 笹川平和財団がタイでの企画を考えてくださり、すごく驚いています。私の重い作品を運んで、日本からタイへ絵を輸送することなどリスクばかりだと思う。私にはもう失うものはないのですが、皆さんは大事にしてくださって、これは85歳にしてはじめて知った喜びです。財団の方々に大変感謝しております。

——作品展と対話イベントのメインテーマは、国際社会が武力や暴力によらない平和な社会を実現するにはどうすればよいか、ということを探ることでした。アートはどのように役立つのでしょうか。
 
田中 これはなかなか難しいのですが、私たちはさまざまな局面でアートを活用しています。例えば、兵士たちは戦争に駆り出され、命を犠牲にするための力とエネルギーを得るために戦争歌を歌いました。その歌がなかったら、そこまで元気が出ていなかったかもしれない。歌に励まされて戦地に行って、命を捧げました。戦後は逆で、「長崎の鐘」が人々の心を慰めるために作られたという意味でもそうです。戦争にも平和にも使えるわけですね。アートがどれくらいそうなっているかわからないけれども、自分の中の何かを動かす力があります。
 
 個人的には、自分の経験をアートの中で直接的に表現することはそう簡単にはできないので、その代わりに、自分の気持ちを伝えるために何らかのシンボルマークを入れて、少し回避的で抽象的な方法で表現しています。それで伝わるのかわからないけれども、自分が作ることによって少しトラウマが収まると思います。本来、原爆被害の悲惨なところは作品化していないですが、経験したことの作品を作ることでトラウマが重く感じられなくなり、自分自身を慰める形になりました。シンボルマークなどを入れることによって少し気持ちが楽になる。少しずつ薄皮を剥がすようになってきました。だから今は明るいお年寄りになったと思います。若い時は傷つきやすくて、いつも暗い顔をしてました。
 
対話イベント「Echoed Tranquility ~芸術を通じた平和の希求と静かな共鳴~」で被爆体験を証言する田中氏

対話イベント「Echoed Tranquility ~芸術を通じた平和の希求と静かな共鳴~」で被爆体験を証言する田中氏

田中氏とアジア・イスラム事業グループの伊藤幸代主任研究員(写真右)

田中氏とアジア・イスラム事業グループの伊藤幸代主任研究員(写真右)

作品展初日にタイのジャーナリストから取材を受ける田中氏

作品展初日にタイのジャーナリストから取材を受ける田中氏

——戦争や紛争を直接経験したアーティストと、想像力を働かせるアーティストの両方が協力し、一緒に作品を作ることが重要だと思いますか。
 
田中 新しいアイディアだけど、本当にそう思います。結局のところ、異なる経験をもつ人々は同じ視点をもっているわけではありません。さまざまな角度から物事を見ることで、何らかの答えが見つかるかもしれませんが、「正解」がないことを知ることが重要です。戦争も同じ。敵から見れば敵のやり方が正しく、私たちから見れば自分たちのやり方が正しい。その中間がないですね。しかし、アートは中間も含めて想像力をもてるかなと思います。私たちには皆、与えられている得意なものがあるので、それを発見し何かを発信したら、さまざまな視点を分かち合うことができると信じています。そうすることで、世界にポジティブな影響を与えることができるかもしれません。
 
——作品からどんなメッセージを受け取ってほしいですか。
 
田中 被爆者である私は、人類がこの地球上で核兵器とともに生きていくことは不可能だと考えています。展示した作品は30~40年前に作ったものですが、今も思いが変わっていないことを伝えたい。戦争の生々しい現場を、もう振り向きたくない。年齢的にも耐える力はないです。紛争は続いているし、私たち人類は進歩していないですが、私はまだ希望をもっています。まだ何とかなるかもしれない。核兵器廃絶に向けて、若い人たちが支援し、参加している様子を見ると、涙が出るほど本当に嬉しい。若者には、変化を呼び起こすエネルギーがあります。
田中氏はシラパコーン大学で開催された対話イベント「被ばく体験と広島の復興」で自身の体験を学生に話した

田中氏はシラパコーン大学で開催された対話イベント「被ばく体験と広島の復興」で自身の体験を学生に話した


関連資料
  • 本インタビュー記事の英語版はこちら
  • 展示会と対話イベント「Echoed Tranquility ~芸術を通じた平和の希求と静かな共鳴~」のイベント記事はこちら
第1グループ(戦略対話・交流促進担当)
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