2025年以降の世界の紛争、国際危機グループ 理事長コンフォート・エロ氏
世界が直面しているグローバルな危機とは何か、そして日本にどのような影響を及ぼすのか。国際危機グループ理事長のコンフォート・エロ氏と笹川平和財団の西田一平太上席研究員がこのテーマについて掘り下げ、ヨーロッパと中東で進行中の紛争、米中対立の激化、そしてトランプ2.0、グローバル・サウスへの影響などについて語り合いました。
インタビュー要約:
―イラン女性の地位向上という点に関し、どのような点で改善されてきているのでしょうか?
イランの女性はイラン革命(1979年)が成就して以来38年間の間、さまざまな困難な道を経てきました。多くの点において女性に関わる環境の改善等は見られてきましたが、まだまだ道のりは長いと考えています。
私達は、1979年以降を10年ずつに区切って考えています。最初の1979年からの10年間は、革命が成就し、その後すぐに戦争が起きた特異な時代で、社会的にも経済的にも大変厳しい状況でした。その中にあって、女性たちは父親、兄弟、夫、子供など、常に男性たちに仕えました。
2番目の10年間(1989年から99年)は復興期で、イラン政府が土建国家と言われたほど、復興を重視していた時期です。女性たちにとっては大きな転換点でもありました。イランは5年ごとに5か年開発計画を策定し進めてきましたが、この時期の第3次5か年計画では、それ以前の2つの5か年計画と比較して、女性の地位の向上ということに力点が置かれました。内務省をはじめとし各地方自治体において、女性の地位の向上のための委員会が初めて設立され、大統領は、初の女性顧問を任命しました。
そして第3の10年間(1999~2009年)は、改革の時代でした。この時には女性の副大統領、あるいは女性の顧問が実際に内閣の重要な閣僚として、存在感を高めました。政府は革命以降、女性の革命体制への積極的な参加を促し、女性教育を重視して学校の増設や女性教育者の養成に取り組んだため、女性に対する初等教育等は各地域、全国津々浦々まで行き届いていました。第1の10年間の間に初等教育を受けた女性たちが大学生になり、女性の大学進学率もその当時非常に上がってきました。
そして第4の期間(2009~現在)は、福祉、医療、教育分野において、人材育成、人材開発という点で、域内の諸外国に比べ、イランは非常によい状況にあると思います。2013年8月発足のロウハニ政権において、女性担当の副大統領府が設立されました。女子学生、男子学生の割合も大変均衡がとれており、大学進学率は女子のほうが多いほどです。
しかし、大学卒業後の女性の就職や政治社会への女性の進出などにはまだまだ問題があり、課題は幾つも残っています。これは恐らく、世界中すべての女性たちの共通の課題であると考えています。
イラン女性は過去数十年の間で非常に多くの知識や教養を身につけ男性よりも健全な人も多いです。それにもかかわらず、社会に出ると十分な社会的な地位や、または経済力、あるいはさまざまなチャンスを生かせるだけの環境はまだまだ整っていないのです。
―副大統領ご自身は、今までのご経験を振り返ってさまざまなご苦労があったと思いますが、どうやって乗り越えてこられたのかを教えてください。
私自身、幾多の苦労や困難があったと思います。困難に立ち向かい、どうやって乗り越えてこられたのかその理由ですが、今振り返ってみますと、家族や親族、ご近所の人々の強い支えに助けられたということが大きいと思います。教育熱心だった父親、母親に、とても感謝をしています。学友の友情も含め、私は本当にさまざまな人々に支えられてここまで来ることができたと考えています。
―日本の女性について、どのようなお考えをお持ちですか?
それぞれの国において、文化や宗教も違い、女性の立場や役割が違います。日本の女性について思うことは、日本のドラマなどのテレビ番組の影響があるかもしれませんが、非常に勤勉で忍耐強いという印象が強いです。そして自らの夢をかなえるために大変な努力を惜しまない、イラン女性から見ても模範的な存在だと思っております。
<了>
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