ウルワシ・ブタリア氏と語る会
『沈黙の向こう側』
――インド・女性に対する暴力と女性たちの歴史
モデレーター:黒島美奈子氏(沖縄タイムス論説委員)
輝かしい歴史の蔭で
黒島 ブタリアさんの著作『沈黙の向こう側』を読んだとき、一方は大国、一方は小さな県の一つであるうえ距離は遠く離れているけれども、インドと沖縄に歴史の共通点があることを感じました。特に女性に対する暴力の歴史です。インドの女性たちの歴史を知ることは、私たちの社会にプラスになると感じ、笹川平和財団の協力を得てこの場を設けました。ブタリアさんの言葉を借りれば、性暴力は軍隊のあるところなら世界中どこでも、また、社会、家庭のどこでも起きている――この状況をどうすれば変えられるかを考える一歩になればと思います。
はじめに、ブタリアさんにインドの女性への暴力の歴史と女性たちの戦いの歴史、さらに現在の状況についてお話しいただきます。
ブタリア 私が初めて日本を訪れたのは2001年のことです。その際に沖縄の歴史や在沖縄米軍、沖縄の性暴力に対する女性運動などについて知りました。以来、沖縄を再び訪れたいと願っていました。
拙著『沈黙の向こう側』で描いたのは、1947年、英領インドの政治的分断(印パ分離)が引き起こした史上最大規模の動乱における「人間的側面」です。10年以上にわたって、印パ分離を生き抜いた人々へのインタビューを行い、この大事件が普通の人々、女性、子どもたち、そして社会の隅にいる人々にとってどんな意味があったのかに視点を置いて著しました。
1947年に民族運動ののちインドが英国の支配から独立したことは輝かしい歴史として語られています。しかし、ここには大きな代償がありました。ムスリム(イスラム教徒)のための新国家建設というかたちでの国の分割です。大多数のヒンズー教徒とシク教徒はインドに残り世俗主義の国として独立しました。わずか3カ月の間に1,200万人が、インドと新国家パキスタンとの間を移動しました。自分と同じ宗教集団に加わることで安全を得ようと願い、故郷を離れたのです。この混乱に伴って100万人もの人々が亡くなり、10万件もの性暴力がありました。
いま、インドの至るところで性暴力に対する抗議活動が行われています。変化を求めているのです。
インド北東部、ミャンマーと国境接するマニプール州でのユニークな活動のひとつをご紹介します。マニプールの人々は、他のインドの地域を「本土」といいます。沖縄の人々がいう「本土」と同様の使い方だと思います。マニプールの人々は、民族的にミャンマー人に近く、長い間、インド国家との距離を感じていました。国家から搾取されているとさえ感じていました。
治安維持のため、政府はマニプールのカングラ(旧王宮)に軍司令部を置きました。その兵士たちは、ときに地域の女性たちへの性暴力事件を起こしました。当時、軍は大きな権力を与えられていて、罪を犯したときにも彼らがすぐに罰せられる仕組みにはなっていませんでした。
2004年に22歳の女性への強姦・殺害事件があったとき、「今に自分の娘たちも強姦されるかもしれない」――マニプールの70歳台のイマ(お母さん)たちは憤り、かつてない抗議運動を展開しました。通勤ラッシュで交通量の多い午前10時ころ、軍司令部の前で12人のイマたちが一斉に自らの衣服を脱ぎ棄て、兵士たちに呼びかけたのです。「私たちも強姦しなさい!」。大人になった息子が母親の裸の姿を見ることは基本的にはないし、あってはならないこと。イマたちは兵士たちに恥じる気持ちを起こさせようとしたのです。この抗議行動はインド中で話題になり、軍はマニプール司令部から撤退しました。
最近、話題になっていることでは、欧米で広がるセクハラ告発キャンペーン「#me too」に触発されて、インドの若い女性たちが学生や同僚にセクハラをした大学教授たちの名前のリストをインターネット上に掲載する運動があります。これに対し、インドでは21人以上の会社組織にセクハラ防止委員会を設置することなどが法律できちんと定められているのだから、法的手続きを踏むべきだとの意見もあります。比較的年配の女性がこうした意見をもっていて、加害者リストのネット上での公表というやり方を支持する人々との間で議論が続いています。
法改正に導いた女性の力
黒島 一つ質問させてください。インドでは2013年に性暴力に関する法改正がありました。それには女性たちのキャンペーンが大きな力になったと聞いています。どのような改正がなされ、そこに女性たちはどう関わったのでしょう。
ブタリア 2012年12月、首都デリーで女子医学生がバスで帰宅中集団強姦され、その際の負傷が原因で約2週間後に亡くなりました。この事件をきっかけに性暴力に対する抗議運動が全国的に広がりました。当時、議会会期中だったこともあり、女性団体はすぐに政府に強力に訴えました。世論の後押しも大きく、政府は動かざるを得ない状況になり、性犯罪に関する法改正のための委員会を立ち上げました。同法改正は1982年以来のことです。委員会は各女性団体に、改正案や意見を書面で提出するよう求め、87団体が応じました。さらに、それに基づいて約70団体に対するヒアリングを行った結果をもって、委員会は政府に法改正に関する提言書を提出しました。そして2013年3月に改正法案が成立しました。おもな改正点は、強姦の定義が拡大されたこと、そして、被害者の証言を犯罪の証拠とすること、つまり負傷したことを証明する必要がなくなったことです。
実は、私たち女性団体は、強姦の被害者を女性に限らず、男性、トランスジェンダーの人も対象にすることも求めましたが、これは取り入れられませんでした。また、強姦の最高刑が死刑であることにも反対しています。
一人ひとりの経験を刻み、歴史を共有する
黒島 ありがとうございました。それでは、高里さんに沖縄の状況を紹介していただきます。
高里 1947年のインドの独立は、マハートマ・ガンディー氏が「非暴力、不服従」運動をリードして勝ち取ったイメージが強かったのですが、ブタリアさんのご著書を読んで、丁寧に聞き取りを重ねることによって明らかになった実態のすさまじさに圧倒されました。そして、沖縄の歴史をとらえなおし、描き出していく必要性を感じさせられました。
私たち「行動する女たちの会」は、1945年以降の米軍兵士による沖縄の女性に対する性暴力事件に関する資料をかき集めました。ブタリアさんは聞き取りを重ねられましたが、私たちは新聞記事や戦争体験、目撃証言などの活字で残されている資料を集め、時系列で並べました。きっかけは、1995年9月の12歳の少女への暴行事件です。そのときに、内外のメディアの方々から同じ質問を受けました。「こんなにもひどい事件はこれまで何件起こっているのですか」――それに対する答えを私たちは持ち合わせていませんでした。沖縄で何が起こったのかを明確に語れる記録を、自分たちでつくる必要性を感じました。
年表を作成することによって、あらためて凄惨な事実があったことが面的に明らかになってきました。印象ではなくて、一人ひとりの経験を刻んで、歴史を共有していく。それこそが、次の戦争をとめる力になるのです。
黒島 お二人に共通するのは、一方は証言、一方は活字記録によって、性被害の実態を世に知らしめたことです。
性被害の状況を、被害者本人から聞くのはなかなか難しい作業だと思います。さきほど ブタリアさんがおっしゃったように、センシティブなことだからです。ただ、インドではいま、被害者たちがメディアに顔を出して話をすることが少しずつ増えているというお話もありました。彼女たちはどういうメッセージを社会に対して発信しているのでしょうか。
ブタリア 最近、インドのフェミニストたちは、性被害者に対する視点を変えようとキャンペーンをしています。被害者には責任がないこと、被害にあったからといって人生が終わってしまうわけではないこと、恥じる必要はないことを強く訴えています。被害者たちが自分の身に起こったことを公に語り、加害者への処罰を訴え、それが達成されたら前を向いて自分の人生を生きていくのだと勇気をもって公の場で発言できれば、性被害を恥だと感じることはないのだと人々の意識を変えられるでしょう。実際、性被害は他の人権侵害と何ら変わらない、乗り越えられるものだと人々が考えられるようになってきていると思います。
インドの法律では、性被害者の名前は公表しないことになっています。しかし、2012年に起きたある事件では、被害者の母親が恥じることではないとして、娘の名前を公表しました。被害者の名前を出して運動を展開することで、インド社会に大きな影響を及ぼしました。
すべての人に尊厳があると考えられるか
黒島 最後に、フロアからご質問があればお願いします。
質問者 ブタリアさん、いろいろなお話をしてくださってありがとうございます。お目にかかれて光栄です。インドの女性運動に関して学ぶことができてよかったです。
私は沖縄の高校2年生で、自分をフェミニストだと思っています。フェミニズムには中学生のころから興味を持ち始めました。いろいろなことを学ぶ意欲も、活動に参加する意欲もありますが、具体的に何をすればいいのかがわかりません。ブタリアさんにとってフェミニストであることはどういう意味をもつのか、そしてフェミニストとしてどういう行動をとればいいのかご教示いただければと思います。
ブタリア すてきな質問をありがとうございます。迷っていいのです。フェミニストであるということは、自分の生活、人生を常に考えるということです。
私にとっては単純なことです。ジェンダー、年齢、社会階級などにかかわらず、すべての人が尊厳をもって生きていけると考えられる、自分と意見が合わない人たちにも尊厳があると考えられるのがフェミニストです。簡単なことではないし、いら立ちを感じることもあるでしょうが、両親、兄弟姉妹、恋人など身近な人々の力、愛の力を信じることです。
私が大学などで学生に説明するときには、小さなことにも気にかけて目を向けるのがフェミニストだといいます。例えば、あなたにボーイフレンドがいたとして、自分たちが手をつなぐときに、どんなふうなのかを見てみる。たいていは、男の子が主導権をもっていて、女の子は手を握られるほうでしょう。そういうことにも目を向けて、違和感をもてば自分が思う方向に直していく――こういう行動がとれることです。迷っていいのです。迷うものです。決まった答えがあるわけではありません。
黒島 本日はありがとうございました。
※本トークイベントの関連記事が、岩波書店「世界」3月号にも掲載されておりますので、是非ご一読ください。
沈黙を聞くということ――インドと沖縄
ウルワシ ブタリア(ズバーンCEO)×小野正嗣(小説家)
- ウルワシ・ブタリア氏の略歴
- デリー大学、ロンドン大学で学び、それぞれ英文学(1973年)、南アジア研究(1977年)の修士号を取得した後、編集者としてイギリスのSage社に勤務した。専門的な知識を身につけた後、インドに帰国。1975年世界女性年や1977年のインドの民主化運動で活発化した女性運動に関わり、「女性のためのカーリー女神(Kali for Women)」という名称でインド初のフェミニスト出版社を1983年に設立。その後、希有のジャンルを確立して活発な編集・出版活動を展開すると共に、NGO運動とも連携して女性のエンパワーメントとを中心とする社会変革に努力し、自らも歴史研究者として執筆活動を行なう。現在、インドを代表する女性知識人として国内外で知られ、デリー大学など複数の大学で教鞭を執っているほか、数々の講演やメディアでの執筆・インタビュー活動を展開している。The Other Side of Silence: Voices from the Partition of India(Penguin, India, 1998)は日本語 ((「沈黙の向こう側」明石書店、2002年)を含む多数の言語に翻訳され、フランス文化省より芸術文化勲章(Ordre des Arts et des Lettres)や日経アジア賞を受賞。また最近でも、2011年に国民名誉賞としてのパドマ・シュリ賞をインド大統領に授与された。日本との関わりとしては、国際交流基金・国際文化会館主催のアジア・リーダーシップ・フェロー・プログラムの2000年フェローとして来日した経験を有している。