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シンポジウム 講演会録

1960年代の中ソ国境での衝突と東北アジア地域の核の暗雲

日中有識者対話・北朝鮮の核危機と北東アジア情勢の行方④

李丹慧氏 (華東師範大学冷戦国際史研究センター研究員)


2017.11.07
5分
李丹慧氏 (華東師範大学冷戦国際史研究センター研究員)

 私は中ソ関係について研究しており、中ソ関係における個別案件から北朝鮮の核問題解決について考えていきたいと思います。

国境紛争を端に発した核危機

 中ソ国境は全長7600キロにわたり、3万5000平方キロの紛争地域がありました。中ソ関係が良好な1950年代は暗黙の了解がありましたが、中ソのイデオロギー闘争が展開された50年代末から60年代初め頃にかけて国境紛争が起きるようになりました。そこで1964年2月から8月まで中ソの国境画定に向けた一回目の交渉が行われました。この時、毛沢東氏は紛争地域の原因となった両国の条約は不平等に基づくものだったことをソ連側が認めれば、紛争地域はソ連側に譲っても良いと考えていました。ですが、ソ連側は一向に認めようとしませんでした。
 交渉が行き詰まったため、双方は作業グループを設置し、まずは東部国境線を解決することにし、1964年6月末には合意草案も出来上がっていました。ところが、翌7月10日に毛沢東が日本社会党系代表団と会談した際、日本側が日本とソ連との領土問題について言及したことを受けて、毛沢東氏はソ連と領土問題はまだ解決していないと述べたのです。その言葉は代表団の香港における記者会見で明らかにされたため、ソ連側が大いに反発し、交渉は決裂します。
 なぜ毛沢東氏はそのような行動をとったのでしょうか。前年の1963年7月に米国、英国、ソ連は「部分的核実験禁止条約」に調印しました。毛沢東氏はこれを事実上、中国の核開発能力をけん制するものだと考え、危機感を募らせたのです。毛沢東氏は64年2月に金日成氏と会った時にもソ連が中国に対して戦争を起こすだろうとも語りました。ちょうど中国はソ連との国境画定の交渉に入り、ある程度の解決にこぎつけたのですが、毛沢東氏は中国内の文革につながる動き等も考慮し、外交政策の調整を図り、「反米反ソの国際統一戦線」を主張するようになります。同じ年の9月にソ連のフルシチョフは訪問した日本の国会議員団と会見し、強力な兵器を開発したと述べ、中国への核恫喝を行いました。これが北東アジアにおける最初の核危機でありました。

中ソ核危機は政治的に解決

 二度目の核危機は1969年8月の中ソ間の武力衝突である「珍宝島事件」の時でした。66年には文化大革命が発動され、中国内では激しい反ソ感情が渦巻き、68年8月にはソ連軍がチェコスロバキアに侵攻した「プラハの春」が起こりました。この出来事は毛沢東氏に大きな影響を与えたのです。こうした状況の下でこの武力衝突は二度も起きました。ソ連は中国に対し国境交渉を再開することを求めましたが、中国はこれに応じませんでした。すると、ソ連は党機関紙で中国への核攻撃を示唆しました。ですが、翌9月に周恩来氏とコスイギン氏が北京空港で会談を行った結果、武力衝突は収まり、第二次核危機は解消しました。
 北朝鮮の核開発人材養成は、1956年にモスクワに設立された原子核研究所に北朝鮮の核物理専門家250人が学んだことから始まっています。現在、ロシアと北朝鮮には条約を破棄したので同盟関係ではありませんが、その関係は過小評価できません。ロシアは北朝鮮の核問題に関与することで、北東アジアでの影響力を維持しようと考えています。先に申し上げた中ソ間の核危機は政治的に解決され、乗り切りました。北朝鮮の核問題解決にも示唆するところが多いと思います。
講演者プロフィール
李丹慧氏(華東師範大学冷戦国際史研究センター研究員)

華東師範大学国際冷戦史センター研究員、『国際冷戦史研究』誌編集長。主要著書:『中国とインドシナ戦争』(編著2000年)、『北京とモスクワ:同盟から対抗まで--中ソ関係論文集』(2002年)など。

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