日中環境問題比較研究シンポジウム

「日本の経験」

南川秀樹(元・環境事務次官、一般財団法人日本環境衛生センター理事長)

2017.09.22

 近年、中国ではpm2.5や硫黄酸化物による大気汚染、河川や湖沼の水質汚染、土壌汚染など様々な環境の悪化が社会問題となり、その一部が隣国である日本にも影響しています。このような問題意識から、当財団は2016年度より日中両国の環境問題の専門家に声をかけ、日中合同の研究会を開催してきました。このたび、同研究会の成果として、『日本環境問題:改善と経験』(2017年9月刊行)の中国国内での出版を記念して、「日中環境問題比較研究シンポジウム」を北京でしました。

基調講演「日本の経験」について

 日中協力プロジェクトに環境問題を位置付けていただいた笹川平和財団、中国社会科学院社会科学文献出版社の皆さまに感謝申し上げます。
 私は、長く国家公務員として環境問題に取り組んできました。その間、国内の環境汚染対策、国際機関での仕事、地球温暖化や生物多様性保護などの国際交渉に携わってきました。その過程で、中国の皆さんとは長い付き合いをしてきました。歴史を紐解けば、紀元前2〜3世紀に稲作が揚子江地域から日本に伝わり、2,000年以上にわたり両国は深く複雑な交流の歴史を経てきました。環境問題は、両国が協力して取り組むことに合意が得られる分野です。この協力を前進させ、東アジア地域、ひいては世界の環境改善に役立たせたい。

 中国は、急速な経済発展の過程で、大気、水質、土壌などの激しい汚染に直面しています。これは、日本も今から高々50年ほど前に経験したことです。2000年以上の交流の歴史から見ればほんの少し前に経験をしたということです。そして、国民、企業、地方政府、裁判所、マスメディア、中央政府が、時にはぶつかり合い、また協力して、少しずつ解決に向けて進んできました。今回、笹川平和財団の好意により、日本の環境改善への取り組みの姿を歴史的に分析し、かつ、地方行政、経済界、民間NGO、資金調達の視点から、各分野の代表者が記述し、出版する機会を与えていただきました。日本の取り組みを率直に分析し、中国の皆様にお示しできることは大きな喜びです。

 日本の環境汚染は、19世紀の終盤から本格化しました。一つは、銅などの鉱山開発とその精錬に伴うものであり、他は工場からの排ガス、排水、廃棄物のよるものです。当時は、国や企業の対応は様々でした。今でいう企業のCSR(社会的責任)を先取りし、先進的な対策に取り組んだ四国別子銅山や日立鉱山はその好例になります。前者は精錬所を20km離れた離島に移転し欧州の最新技術を取り入れて、後者は地元の青年の活動が経営者の心を動かし世界にも例を見ない高煙突の建設や高層大気の気流測定を行い、問題の解決をはかりました。もちろん時代は殖産興業から徐々に強兵に向かい、多くの環境汚染問題は解決されることなく戦時経済の波に飲まれて行きました。

 戦争により日本の経済は壊滅的な打撃をこうむりましたが、朝鮮戦争を契機に立ち直り、1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と記述され、投資が投資を呼ぶ高度経済成長の時代が始まりました。燃料は、当初の石炭から石油に代わり全エネルギー消費量も著しく増大しました。経済復興策である傾斜生産の中心となった鉄鋼や電力はもとより、石油化学、自動車、家庭電気製品まで幅広く生産活動が拡大しました。その一方で、大気や水質の汚染、廃棄物の大量発生という環境問題が激しさを増し、工業都市、例えば四日市市、川崎市、北九州市などでは、日中でも視界が悪くなり、汚染の激しい地区では気管支炎の割合が清浄な地区の数倍になるなど明らかな健康被害が出るまでになりました。また、熊本県水俣市のチッソによるメチル水銀を含んだ工場排水の毒性を承知しながらの垂れ流しにより、何千人もの健康被害を引き起こし、多くの人命が失われた水俣病は、世界に広く知られています。

 当時は、工場の煙突からカラフルな煙が出ることが繁栄の象徴とされた時代であり、環境汚染による健康被害が大きな社会問題として捉えられるまでには時間がかかりました。それでも、各地域の中では被害を訴える住民が自主的に調査し、企業に改善を訴え、また企業も法によらず自主的な改善に取り組む例も見られました。本誌第3章に記されているように、北九州市では地元の婦人会が立ち上がり、衣服汚れの調査、8ミリ映像の作成など、「青空がほしい」運動を繰りひろげ、市当局と企業を動かす力となりました。

やがて、環境汚染の撲滅を目指す動きは全国に広がり、住民の活動、マスコミによる広範な報道、地方公共団体の首長の選挙公約への取り上げ、裁判所での被告企業の敗訴の連続などにより、国を動かすことになります。国では、大局観ある政治家の活動により大胆な規制の強化を中心とした法制度の導入や環境庁の設置などが進められました。対策は着実に進み、健康被害の原因となる環境汚染は急速に改善しました。対策の実施には施設整備や運営に資金が必要です。日本経済自体が高度成長期で、経済的な体力が国にも企業にもあったことが幸いしました。1973年からの石油危機により一時的な対策の停滞はありましたが、自動車のマスキー規制達成のように環境浄化は着実に進みました。

中国と日本は永遠の隣国

 1992年のブラジルでの地球サミットは、環境行政を新しいステージに移行させました。私は、このサミットを始め多くの国際会議に参加しましたが、中国の代表の方々と頻繁な意見交換の機会を持ちました。中国の方の対応は徐々に変化してきたと感じています。地球環境問題は産業革命以来の経済活動によるものであり先進国が原因をなしており、中国は途上国の代表として先進国の行いを正すという立場から、世界第二位の経済大国としての責任を果たすというものに変化してきました。その象徴が、2015年のパリ協定に至る議論を習近平主席とオバマ大統領がリードし、世界的な合意を導いたことです。大気、水、生態系などの環境は、多くの場合、一国の枠組みを超えた世界の共有財です。地球温暖化がその典型ですが、どの国から排出された二酸化炭素でも地球全体の気候に影響を及ぼします。また、酸性雨やPM2.5といた大気のよごれ、富栄養化や有害物質による河川、海の汚れは、国境を越えて近隣の国まで影響を及ぼします。

 中国と日本はお互いに引っ越すことのできない永遠の隣国であり、また、世界の環境への取り組みをリードする立場にあります。もちろん、両国は、政治体制が異なり、解決へのアプローチに相違が出ることは否定できません。しかし、世界最大の人口を有し、世界第二位の経済規模を誇るこの国の環境改善は、世界に大きなインパクトを与えるものになります。習近平主席が「青い山や緑の水は、金の山銀の山と同じものである」との発言をされ、中国の環境改善に力を入れておられることは、私どもを強く勇気づけるものです。

本日の発表会が日中友好環境保全センターで開かれることも意義深いものがあります。日本が、地球環境問題への取り組みに大きく舵を切ることが出来たのは、竹下登元総理のリーダーシップによるところが大でした。その竹下さんが日中両国間の永遠の友好を願い、そのシンボルとして建設に尽力した成果がこのセンターです。この記念すべき場で、日本の経験を語り、出版の披露が出来ることをこの上なく光栄に感じる次第です。是非、多くの皆様が本書を手に取り、中国における環境問題への取り組みの参考にしていただくとともに、両国の友好に役立つことを期待いたします。ありがとうございました。

講演者プロフィール
南川秀樹氏(元・環境事務次官、一般財団法人日本環境衛生センター理事長)
1949年三重県四日市市生まれ。一般財団法人日本環境衛生センター理事長、東京経済大学客員教授。1974年に名古屋大学経済学部卒業、環境庁入庁。水質保全局水質管理課長、企画調整局環境保健部保健企画課長、長官官房総務課長、環境省大臣官房総務課長、審議官、総合環境政策局環境保健部長、大臣官房廃棄物・リサイクル対策部長、自然環境局長、地球環境局長、大臣官房長、地球環境審議官を経て、2011年1月から2013年7月まで環境事務次官。退官後は福島中間貯蔵等連絡調整推進本部本部長を務め、2014年5月より現職。

『日本環境問題:改善と経験』(2017年9月刊行)について
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