クック諸島野党、マーク・ブラウン首相に対する不信任案を提出(2025年2月13日、ラロトンガ、COOK ISLANDS NEWS/PACNEWS)
クック諸島、ニュージーランド、主権、中国、安全保障
PIFサーガ。経済、安全保障など地域政策を対象とする地域機関太平洋諸島フォーラム(PIF)の枠組みが、ミクロネシア諸国(パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、ナウル、キリバス)、とりわけ米国自由連合国のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の正式な脱退手続きが始まったことにより揺らいでいます。原因は本年2月3日に開催されたPIF臨時首脳会議(ヴァーチャル)において、ミクロネシア諸国の統一候補ジェラルド・ザキオス駐米マーシャル大使・元外相ではなく、ヘンリー・プナ前クック首相が次期事務局長に選出され、「次はミクロネシア地域から」という首脳間の紳士協定が破られたことにあります。なお、ザキオス大使はマーシャル人とパラオ人の両方の血筋を有しています。
少し長くなりますが、背景や情報を把握するため、ここでは1. 近年のPIF事務局長、2. ミクロネシア諸国脱退の動き、3. PIFの歴史を時系列で確認します。
1.近年のPIF事務局長
同事務局長の任期は2期6年までであり、近年は次の方々が務めてきました。
(1) 2004.5-2008.5 グレッグ・アーウィン(豪州出身)
(2) 2008.5-2008.10 (暫定事務局長)フェレティ・テオ次長(ツバル出身)
(3) 2008.10-2014.12 ネロニ・スレイド(ポリネシア地域のサモア出身)
(4) 2014.12-2021.4 メグ・テイラー(メラネシア地域のパプアニューギニア出身)
PIFにはサブリージョンによる事務局長職のローテーションという明文化された規定はありませんが、過去2代がポリネシア地域、メラネシア地域と続いたので、次はミクロネシア地域からという空気(=紳士協定)が首脳の間で形成されました。なお、ミクロネシア地域からは1992年から1998年にキリバスのタバイ元大統領が事務局長を務めましたが、独立の遅かった北太平洋の米国自由連合国からはまだ選ばれたことがありません。
2. ミクロネシア諸国脱退の動き
次に、今回の事務局長選出に関連する流れを確認します。根はより深いですが、ここでは2年前のテイラー事務局長発言から振り返ります。
2019.2 テイラー事務局長、PIFとして中国のOne China Policyを支持
PIFは1992年以来、PIF年次総会(サミット)の際に開発パートナーとしての台湾と台湾承認国首脳の対話を推進し、台湾も毎年多額のプロジェクト資金をPIF事務局に拠出しています。そのような経緯もあり、これまでPIF事務局は中台関係について中立的な立場をとってきたことから、これは同事務局長として異例の発言でした。
2019.2 ミクロネシア大統領サミット(5カ国)、PIFにおける台湾の立場を支持
当時はミクロネシア連邦を除く4カ国が台湾承認国であり、テイラー事務局長の発言に反対しPIFが台湾も同じ開発パートナーとして対等に扱うべきと主張、さらに次期事務局長はミクロネシア地域の番であるとして、5カ国大統領はミクロネシア地域として結束することに合意しました。
2019.5 米国自由連合国3大統領、ホワイトハウスで米国大統領と会談
レメンゲサウ・パラオ大統領(当時)、マニュエル・ミクロネシア連邦大統領、ヒルダ・マーシャル諸島大統領(当時)がトランプ米国大統領(当時)を訪問して実現。米国自由連合国大統領と米国大統領が直接会談するのは歴史上初めての出来事でした。米国の米国自由連合国3国に対する敬意が強く現れた出来事であり、これにより4国間の関係が強まりました。
2019.8 第50回PIFサミット(ツバル)
フィジー首脳が13年ぶりに出席。気候変動をめぐり島嶼国と豪州の対立表面化し、一方で島嶼国の考え方を理解しているとして中国を支持する声も報じられました。パラオからは国務大臣が出席しました(近年はパラオの大統領は出席していません)。
2019.8 ナウル、エニミア新大統領選出(政権交代)
2019.9 キリバスが中国と国交回復、台湾と断交(ソロモンに続く)
2019.10 ミクロネシア大統領サミット、ザキオス駐米マーシャル大使・元外相を擁立
2020.1 マーシャル、D.カブア新大統領選出(政権交代)
2020.6 ブナ・クック首相(当時)が次期PIF事務局長へ立候補
その後、フィジー、トンガ、ソロモンから相次いで候補者が表れました。
2020.6 レメンゲサウ・パラオ大統領(当時)「次はミクロネシアの番だ」
レメンゲサウ大統領が南太平洋諸国の動きに不快感を表明しました。
2020.8 米国エスパー国防長官(当時)、同長官初のパラオ訪問
2020.10 ミクロネシア大統領サミット(パラオ)、PIF脱退の可能性を表明し、警告
同サミットはナウル航空チャーター便により、ナウルとマーシャルの大統領がパラオを訪問し、ミクロネシア連邦、キリバスの各大統領がオンラインで参加しました。このサミットでは、ザキオス候補が事務局長に選ばれない場合、PIF脱退するとの共同声明を発表しました。
2021.2.3 PIF臨時首脳会議(ヴァーチャル)で次期PIF事務局長にプナ前クック首相選出
2021.2.4 パラオ政府、PIF脱退表明、手続き開始
パラオ政府は、フィジー政府に対し、PIF脱退手続きの開始と、2月末の駐フィジー・パラオ大使館閉鎖の決定を外交文書で正式に通達しました。
2021.2.8 ミクロネシア大統領サミット(ヴァーチャル)、5カ国としてPIF脱退に合意
2021.2.17 ミクロネシア連邦政府、正式にPIF脱退手続き開始
2021.2.19 マーシャル諸島、正式にPIF脱退手続き開始、米国自由連合国の足並みそろう
PIFはもともと南太平洋島嶼国と豪NZの枠組みであり、米国自由連合国は旧宗主国との関係も、開発課題も、使用する英語も社会システムもこれら南太平洋の国々とは異なります。特に、パラオは自ら道を切り開き、限られたリソースを効果的に活用する国であるため、PIFの枠組みが実効性があるかどうか観察してきたように思われます。例えば、パラオとミクロネシア連邦は南太平洋大学(USP)に加盟しておらず、パラオは南太平洋観光機構(SPTO)にも加盟していません。
これらの背景を踏まえると、今回の動きが突発的な出来事ではないことが理解できます。次の項目では、さらに理解を深めるため、PIFについて確認しましょう。
3. PIFの歴史
最後に、PIFとはそもそもどのような枠組みなのか簡単に見ていきましょう。今回は首脳宣言、地域協定については省略します。
1947 米英仏豪NZ蘭が南太平洋共同体(SPC, 現:太平洋共同体)設立
太平洋島嶼地域にある植民地の社会経済分野の開発支援を主な目的として設立されました。
1960 国連植民地独立付与宣言
1962 西サモア(現:サモア独立国)独立(NZによる国連信託統治領から)
1965 クックNZ自由連合国へ移行(NZ領から)
1968 ナウル独立(英豪NZによる国連信託統治から)
1970 トンガ、英から外交権を回復
1970 フィジー独立(英から)
1971 サモア、クック、ナウル、トンガ、フィジー、豪、NZが第1回南太平洋フォーラム(SPF)を開催
仏核実験への抗議についてSPCでは機能しないため、当時の独立国5カ国と非核国の豪、NZが新たな枠組みを構築しました。1980年代までの主要議題は、仏核実験中止要請、非自治地域の独立・脱植民地化、貿易・観光促進、海洋資源の開発・管理、国連海洋法条約でした。
1973 フィジーに南太平洋経済協力(SPEC)事務所(現PIF事務局)を設置することで合意
1974~1981 南太平洋の島嶼国が次々に独立し、加盟
ニウエ(1975)、パプアニューギニア(1976)、ギルバート諸島(現キリバス、1977)、ソロモン(1978)、ツバル(1978)、ニュー・ヘブリデス(現バヌアツ、1980)が正式加盟しました(独立年またはその翌年)。独立して獲得できるSPF(現PIF)加盟資格は、各島嶼国の栄誉の一つであり、目標の一つであったと推察されます。1981年時点で、南太平洋島嶼国11カ国、豪、NZが加盟しました。
1987 米国自由連合国として独立したミクロネシア連邦、マーシャル諸島が正式加盟
1988 SPEC事務所をSPF事務局に格上げ、同時に太平洋地域機関評議会(CROP)事務局を担う
加盟国の増加、地域課題の多様化によりフォーラム漁業機関(FFA)など分野別の地域機関が設立され、それらを集約するCROP枠組みが作られました。このような時代の要請に合わせ、貿易・観光など経済協力を対象としていたSPEC事務所がSPF事務局に格上げされ、現在に繋がる形が作られました。
1995 米国自由連合国として独立したパラオが正式加盟
2000 組織名を南太平洋フォーラム(SPF)から太平洋諸島フォーラム(PIF)に改称
2000 PIF首脳、太平洋諸島フォーラム事務局(PIFS)設立協定に署名
2003 ソロモン部族紛争に対し、ソロモン地域支援ミッション(RAMSI)派遣(2017年まで)
2005 PIF首脳、PIF設立協定(2000協定の改定版)に署名
現在のPIFは法的には2005年設立協定に基づいています。同協定では、PIFが国際機関であること、国(state)と領土(territory)を明確に区別し、国は正式加盟資格、領土は準加盟(associate member)資格を得ることが明記されています(第1条第2項、第3項。加盟、脱退については第11条)。
2006.12 フィジーで無血クーデター発生
2007 PIFとしてフィジーの民政復帰を強く促す(豪NZ主導)、2009.3までの選挙実施要請
2009.3 フィジー選挙実施できず、PIF加盟停止
2009.9 ケアンズコンパクト合意
豪NZの支援パッケージが中心。また、同コンパクト以降、PIF事務局は日本を含む他の開発パートナーに対して、太平洋島嶼国への支援内容を同事務局に報告させ、同事務局が集計管理することで、開発パートナーによる太平洋島嶼国への開発援助を効率化させようとする動きが作られました。
2013 フィジー主導で太平洋諸島開発フォーラム(PIDF)設立
PIF資格停止中のフィジーが地域に関わり続けるようにと始められたフィジーと一部太平洋島嶼国の対話枠組みが元となっていますが、リオ+20以降、ブルー/グリーンエコノミー、包摂性、住民から首脳、国際社会へのボトムアップを目指す枠組みに変化し、組織化されていきました。国連オブザーバーステータスを取得し、近年は南南協力の地域プラットフォームとしての性格が強まっています。
2014.9 フィジー総選挙、民政復帰
2017.6 RAMSIソロモンから撤収
2017.9 仏領ポリネシア、ニューカレドニアが正式加盟
独立を果たしていない2地域、しかも仏核実験への抗議を大きな要因として作られたフォーラムに仏の海外領土が正式加盟を認められたことは大きな変化と言えます。これにより、独立国でなくとも加盟できる前例が作られました。PIF事務局の財政難が加盟国拡大の要因の1つであったと考えられます。
ここから、上記2.に繋がります。
PIFは毎年加盟国首脳が集まり(PIFサミット)、共通課題への対応や国際社会へのアプローチの方向性をコミュニケで発表し、地域宣言を出すことで国際社会にアピールしてきました。しかし、そもそもPIFというのは各加盟国の政策決定を超える地域枠組みではありません。また、PIF事務局はPIFサミットにおける首脳の合意内容を実行に移すための事務局であり、首脳の意思を超えるものでもありません。
中国やEUはPIFの枠組みを通じた地域支援を積極的に行っていますが、多くの太平洋島嶼国は開発パートナーとの直接的な二国間の開発協力関係を重視しており、各国と外交関係を有する日米豪NZなどは二国間ベースで各国との協力関係を推進しています。
とはいえ、豪NZはPIFを地域安定を維持するための地域秩序枠組みの1つとして重視してきており、地域における両国の役割を尊重する日本はPIFの枠組みに敬意を払ってきました。
今後のPIF枠組みの動向、日本の立ち位置について注目されます。