Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第547号(2023.05.22発行)

おらほの海に誇りを~海と希望の学校 in 三陸~

[KEYWORDS]東日本大震災/地域連携/ローカルアイデンティティの再構築
東京大学国際沿岸海洋研究センター長◆青山 潤

大気海洋研究所と社会科学研究所という異色の東大タッグにより、「海と希望の学校in三陸」は2018年よりスタートした。
海をベースにしたローカルアイデンティティの再構築を通じて地域に希望を育むことを目的にしたこの取り組みが誕生して5年、少しずつ地域の人たちに認められ、ようやく成果が上がりつつあると実感している。

東日本大震災と海洋研究

■写真1 蓬莱島(手前)と防波堤の付根にあるレンガ色の旧研究棟(2018年に解体・撤去済)。左手の高台斜面に新研究棟(グレーの3階建て)が見える。

東京大学海洋研究所附属大槌臨海センター(現:大気海洋研究所附属大槌沿岸センター)が、岩手県大槌町赤浜に設置されたのは1973年のことである。以来、大槌町のシンボルである蓬莱島(通称:ひょうたん島)と、そこへ続く堤防の付け根に位置するレンガ色の建物は、大槌湾を代表する情景として長く地域の人たちに親しまれてきた(写真1)。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震に伴う大津波は、三陸沿岸に未曾有の被害をもたらした。大槌町で最大12.6mと推定された津波に襲われたセンターは、倒壊こそ免れたものの、調査船を含むすべての機材および施設が被災したことにより、その調査研究機能を完全に喪失した。
海洋環境や沿岸生態系に対する震災影響とその長期的な変遷を明らかにすることは、海洋研究先進国であるわが国に課せられた重要な課題である。震災の2カ月後に水道と電気を整備したセンターは、湾内に残ったわずかな漁船の協力を仰いで研究活動を再開した。さらに、長年にわたって蓄積した三陸沿岸のデータと広範な海洋研究者ネットワークをベースに、文部科学省の大型研究プロジェクト「東北マリンサイエンス拠点形成事業」※1など、津波影響研究の前線基地の一つとして重要な役割を果たした。
研究機関であると同時に被災地社会の一員であるセンターは、震災復興に貢献すべく、さまざまな形で地域との連携を模索した。しかし、未曾有の大災害に立ち向かうため、経済効果など具体的な出口が求められていた当時、漁業復興や産業再生に繋がる研究成果は直ちに自治体や関係団体と共有されたが、それ以外の研究や「海の素晴らしさ・面白さ」は、ほとんど受け入れられる余地がなかった。
2014年、震災後初めて地元の小学生に海の体験学習を提供する機会を得た。限られた機材や材料の下、スタッフが知恵を絞って幾つかの企画を用意した。このうち、海岸で拾い集めた海藻を使って押し葉を作るコーナーで、楽しげに作業をする同級生たちを冷めた瞳で見つめる男の子がいた。「どうしたの?」と問いかけると、顔をしかめて「このニオイが最悪だよ」。後に、震災前この子は海が大好きで、こうした企画に喜んで参加するタイプだったと聞いた。あの日、彼が何を見て、どのような経験をしたのかはわからない。ただ、一つ言えるのは、震災によって少年と海の間に溝が生じたということ。被害の甚大さを考えれば、無理のないことかもしれない。地元の人たちによれば、漁業者など海と直接かかわる人たちを除く地域社会の一部、特に子どもたちとその親世代に同様のことが認められるという。

海洋科学と社会科学

古来より、京都や江戸どころか内陸部とすら行き来の困難だった三陸沿岸は、目の前に広がる海と共に歩んできた場所である。そんな三陸において、震災を機に地域社会と海の間に溝が生まれた。震災復興のみならず、その先にある地域の未来を考えた時、三陸の海に輝きを取り戻すことは喫緊の課題と考えられた。しかし、「海に輝きを取り戻す」ことは、これまでセンターが展開してきた海洋科学の範囲を多く超える課題であり、専門家もいなければ、それに関する知識や経験もない。
具体的に何をするか。暗中模索の中で出会ったのが、東京大学社会科学研究所が2006年から進めていた「希望の社会科学」(通称:希望学)である。ここでは、経済学、歴史学、政治学、法学など多岐にわたる社会科学者たちが、それぞれの視点から、希望とは何か、どうしたら希望を生み出すことができるのかを探るため、岩手県釜石市を舞台に徹底的な現地調査を行った。この研究の成果は、東日本大震災で被災した釜石市に大きな力を与え、今なお続く強力な連携へと深化している。
希望学は、地域再生に不可欠な要素の一つに「ローカルアイデンティティの再構築」をあげている。センターの考える「海に輝きを取り戻す」ことこそ、まさに「ローカルアイデンティティの再構築」であると思い当たった。こうして、2018年より大気海洋研究所と社会科学研究所という異色の東大タッグにより、海をベースにしたローカルアイデンティティの再構築を通じて地域に希望を育む「海と希望の学校in三陸」※2がスタートしたのである。目的は、「おらほの海(三陸の方言で“自分の海“)に誇りを取り戻す」。社会科学研究所の研究者が、それぞれの専門とはまったく異なる「希望」という掴みどころのないテーマについて、真剣に市民と議論する姿には多くの学びを得た。

三陸に希望を育む

■写真2 海と希望の学校のヘッドマークをつけて走る三陸鉄道(株)の海と希望の学習列車■写真 3 海と希望の学園祭

「海と希望の学校in三陸」が始まって5年が経過し、われわれの掲げたコンセプトは、少しずつ地域の人たちに認められるようになった。海から遠く離れた盛岡市には、有志による「海と希望の学校 盛岡分校」が設立され、内陸部の学校や盛岡市動物公園、岩手県立図書館などとの連携が進んでいる。また、震災以降、三陸の希望の星であり続けた三陸鉄道(株)との協働による「海と希望の学習列車」の運行も続いている(写真2)。学校教育目標を「海と希望の学校」に変更した宮古市立重茂中学校との間に連携協定が締結され、中学校を中心とした地域との関わりも深まっている。海洋研究者であるセンターの教員が、専門外である地域作りや初等中等教育の魅力化、観光開発の現場などへ招聘されるようになった。2022年には大気海洋研究所と社会科学研究所、釜石市の間に連携協力に関する覚書が締結され、同年11月5日、6日に釜石市民ホールで行われた「海と希望の学園祭」には、地元の企業や団体のみならず、釜石市で波力発電の実証実験を進める東京大学先端科学技術研究センターや海上保安部ほか、地元企業、団体など多くの参加を得た(写真3)。
震災から12年が経過して、ようやく「海の素晴らしさ・面白さ」が地域社会に受け入れられるようになったのは、時間の経過ばかりだけでなく、「海と希望の学校」の成果でもあると信じている。(了)

  1. ※1原 素之「 東北マリンサイエンス拠点形成事業と震災後の海洋生態系」本誌第328号(2014.04.05)
    https://www.spf.org/opri/newsletter/328_1.html
  2. ※2海と希望の学校
    http://www.icrc.aori.u-tokyo.ac.jp/umitokibou_sp.html

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