Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第547号(2023.05.22発行)

ALPS処理水の海洋放出と国際法~放射線影響評価(RIA)の位置づけ~

[KEYWORDS]環境影響評価(EIA)/国連海洋法条約/ALPS処理水
摂南大学法学部法律学科講師◆鳥谷部 壌

福島第一原発で増え続ける「ALPS処理水」を海洋放出によって処分する計画が進行している。
政府による海洋放出方針決定後の2021年11月、東京電力は処理水を海洋へ放出した場合の環境と人への影響予測をまとめた「放射線影響評価(RIA)」を公表した。他方、国際法は、他国の環境に重大な悪影響を与えるおそれのある活動について、「環境影響評価(EIA)」の実施を義務づけている。
東京電力によるRIAを国際法の観点から検討する。

東京電力による放射線影響評価(RIA)

東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」)で増え続ける汚染水は、大半の放射性物質を取り除く多核種除去設備(ALPS)に通した後、原発敷地内に建設された1,000基余りのタンクに保管されている。ALPSなどを使いトリチウム以外の放射性物質を安全基準以下まで浄化した水は「ALPS処理水(以下、処理水)」と呼ばれる。政府が処理水を海洋放出する基本方針を決定したのは2021年4月のことである。本方針を受けて東京電力は、「放射線影響評価(Radiological Impact Assessment: RIA)」を実施し、同年11月、報告書を公表した(その後、複数回改訂)。
RIAが評価対象としたのは、放出されたトリチウムの海への拡散と、人体と海洋生物(ヒラメ、カニ、藻類など)への影響である。シミュレーションの結果、海水に元々含まれるトリチウム濃度より高くなるのは、原発から2~3キロの範囲に止まるとした(図)。また、海へ放出された放射性物質の影響は、海水や砂浜などからの外部被ばくと魚介類を食べることによる内部被ばくを考慮しても、一般人の年間被ばく限度を大幅に下回る結果となり、人体や海洋生物への影響は「極めて軽微」とする。国際原子力機関(IAEA)はRIAをおおむね好意的に受け止めた。

■図 RIAにおけるトリチウム海洋拡散シミュレーション結果
出典 東京電力ホールディングス株式会社、処理水リーフレット別冊(放射線影響評価)
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/images/ria_202112j.html

RIAは国際法からの要請

わが国では、大規模開発事業の実施前に事業者自らが環境に及ぼす影響を予測・評価し、その影響をできるだけ小さくする仕組みとして、環境影響評価法が1997年に成立している。しかし、海洋放出は同法の適用対象外だ。事業開始後や事故による影響は同法が予定している事業に含まれないためである。今回のRIAは、同法に基づく環境影響評価(Environmental Impact Assessment: EIA)でないとすれば、いかなる法的根拠に基づいて実施されたものか。
政府は、先の基本方針のなかで、「関連する国際法や国際慣行を踏まえ、海洋環境に及ぼす潜在的な影響についても評価するための措置を採る」とした。ここから、RIA実施の背景には国際法の存在があることがわかる。国際法が海洋放出の実施までにEIAを要求しているとすれば、今回のRIAは国際法上のEIAに相当するものといえようか。そうであれば、RIAは国際法が要求するところのEIAに沿っているかが国際法上重要となる。

国際法におけるEIAの実施義務

国際法は、文書にした国同士の約束である「条約」と、国の慣行の集積を通じて形成される法規範である「国際慣習法」からなる。後者はすべての国を拘束する。最近の国際判例は、他国の環境に重大な悪影響を与えるおそれのある活動について、活動を計画する国には、EIAを実施する義務が課せられるとした(実施主体は事業者でも構わない)。判例はかかる義務を国際慣習法とみなし、次の3つのステップからなるものと解する(道路建設事件、国際司法裁判所判決)。すなわち、活動を計画する国は、①活動計画が重大な越境環境損害のリスクを伴うかをまず確認しなければならず(予備的評価)、②そのリスクが存在する場合にはEIAを実施しなければならず(本来的なEIA)、③EIAの実施により重大な越境損害のリスクが確認された場合には、その防止・軽減措置の決定に必要があれば、影響を受ける国に通報しその国と誠実に協議しなければならない(通報・協議)。
国際慣習法に加え、海洋放出にあたり、わが国が守らなくてはならない条約として国連海洋法条約がある。EIAの実施義務を規定する同条約206条は、先の3つのステップに即して読み解くことができる。すなわち、その活動を管轄する国は、①計画中の活動が実質的な海洋環境の汚染または海洋環境に対する重大かつ有害な変化をもたらすおそれがあるかを確認しなければならず(予備的評価)、②そのおそれがあると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には、当該活動が海洋環境に及ぼす潜在的な影響を実行可能な限り評価しなければならず(本来的なEIA)、③その結果について公表するか国際機関に提供しなければならない(公表・提供)。

RIAは国際法に沿っているか?

今回のRIAは、国際慣習法および国連海洋法条約が要求するEIAの実施義務(①~③)のどこに位置づけられるものか。もしRIAを、「本来的なEIA」(②)とみなすとどうなるか。国際慣習法と条約はいずれも、実施すべきEIAの具体的内容を特定しておらず、各国が国内法令等で定めるところに委ねている。わが国の環境影響評価法は海洋放出には適用されないとすると、国際法は、EIAの内容について、管轄国たる日本政府(実施主体は東京電力)に自由裁量を与えていることになる。RIAを本来的なEIAに位置づけることは、一見問題ないように見えるが、予備的評価の段階で海洋放出の重大な越境損害のリスクをわが国が認めたことになる。にもかかわらず、RIAでは越境的な影響のおそれが一切検討されていないのは、やや不可解である。もとより、RIAの予備的評価書は少なくとも公表されていない。
他方、RIAを「予備的評価」(①)とみなすとどうなるか。予備的評価では、他国への悪影響が「重大な」や「実質的な」というレベルに達しているかが問題となるが、この判断にあたり一般的な基準は存在せず、個別の状況に照らして、活動が行われる国の判断に委ねられる。RIAによれば、その影響が日本の領海内でさえ「極めて軽微」とされるのだから、まして他国は言うに及ばずである。よって、国際法上のEIA実施義務は予備的評価の段階で終了し、海洋放出にあたり、本来的なEIAを行う必要はないと解するのである。こちらの説明のほうがしっくりくる。いずれにせよ今回のRIAは、その評価書の内容を前提とすれば、処理水の海洋放出について国際法上のEIA実施義務の違反を生じさせる大きな問題は見当たらない。
ただ、処理水の海洋放出に対しては漁業関係者の水産物などへの風評被害への懸念が強く、日本政府には漁業関係者の理解を得るべく今後も粘り強く対話を継続することが望まれる。同時に、処理水の海洋放出の中止や延期を求める近隣国である中国や韓国、太平洋島嶼国に対しては、できる限りの説明の機会を設けるとともに、海洋放出前後の監視体制の強化などを通じて、RIAのデータの透明性を高める必要があろう。(了)

第547号(2023.05.22発行)のその他の記事

ページトップ