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オーシャンニューズレター

第175号(2007.11.20発行)

第175号(2007.11.20 発行)

パソコンで動く水害シミュレーションシステム

山口悟史●(株)日立製作所 中央研究所 知能システム研究部

パソコンの性能向上は、とどまるところを知らない。
かつてスーパーコンピュータを必要とした水害シミュレーションも、いまやパソコンで高速に動作するようになっている。
本稿では、日立製作所中央研究所で防災を目的として開発している、
最新の水害シミュレーションシステムの現状と活用方法を紹介する。
さらに、地球温暖化に伴う海面上昇により災害リスクが増加すると考えられる沿岸域の防災への応用を提案する。

1.水害シミュレーションシステム

図1 DioVISTA/Flood Simulatorによる水害シミュレーションの動作画面。
■図1 DioVISTA/Flood Simulatorによる水害シミュレーションの動作画面。
堤防決壊箇所からの水の流れが赤い矢印で、浸水域が紫色から緑色で示されている。

近年、集中豪雨や台風などによる水害が世界各地で増加している。この対策には、地域ごとの水害情報が書かれた地図が必要である。たとえば安全に避難をするためには、避難経路と避難場所の位置はもちろんのこと、浸水する時刻と水深分布の情報を素早く、わかりやすく市民に提供できる地図が必要であろう。このような地図を短時間で生成するシステムが、水害シミュレーションシステムである。
図1に、筆者らが開発した水害シミュレーションシステムである、DioVISTA/Flood Simulator※1の画面を示す。図では、3次元表示された地図上に浸水深が重ねて表示されている。このシステムに降水量や堤防の決壊場所などを入力すると、物理法則に基づいて水の流れをシミュレートし、水害情報地図を作成することができる。さらにこのシステムを(財)日本気象協会のオンライン気象情報提供システム(MICOS)と接続すれば、予想降水量を自動的に取得し、今後数時間先に予想される水害情報地図を自動的に作成することができる。このように、わかりやすく正確な情報を短時間で出力することが、このシステムの特徴である。
このシステムの特徴を生かし、幅広い分野への応用が進んでいる。たとえば市町村では、このシステムで作られた水害情報地図を、防災意識を高めるためのコンテンツとして活用している。群馬県太田市のウェブサイトでは、河川から溢れた水が時間とともに市街地に拡がる動画が公開中である※2。公開初日には1日で約6,000件のアクセスがあり、水害への関心の高さを伺わせた。
また、損害保険会社では、数多くの想定シナリオについて損害リスクを分析するシステムとしてこのシステムを活用している。ニッセイ同和損害保険(株)の関連会社であるフェニックスリスク総合研究(株)では、リスク分析の専門家が資産の水害リスク低減策を提案する、コンサルティングサービスを提供している。浸水するまでの時間、水深の最大値、水の来る方向などを水害情報地図から見積もることで、具体的で実効性の高いリスク低減策を立てることが可能になる。このコンサルティングサービスは、多くの来場者の安全確保が必要なアミューズメント施設などで好評を得ている。
さらに、国際的な人材者育成への活用も始まっている。筆者らは2005年より年1回、(独)土木研究所 水災害リスクマネジメント国際センター(ICHARM)での研修を一部担当している。この研修は東・東南アジア地域別「洪水ハザードマップ作成」コース※3と呼ばれ、アジア近隣諸国において情報を活用した水害対策ができる人材の育成を目指すものである。参加者はそれぞれ、インドネシア、カンボジア、タイ、マレーシア、フィリピン、ベトナム、ラオス、中国から来日する。これらの国では、低コストで効果がすぐ出る水害対策が求められている。そのためには、水害情報の上手な活用が欠かせない。このような水害情報を作成するためには、従来、水害に関する物理法則の講義を含め少なくとも数日の研修を必要とした。ところが本システムを利用することで、参加者はシステムを初めてさわってから15分程度で主要な操作をマスターし、2時間程度で水害情報地図を作成することができた。さらに、その地図を防災に活用する方法を参加者に発表させ、その際の課題などを討論した。このシステムを使うことで、水害情報の作成方法だけではなく、水害情報を上手に活用する方法についての理解を深めることが可能になったといえる。

2.沿岸防災のためのシミュレーション

図2 DioVISTA/Flood Simulatorによる高潮災害シミュレーションの動作画面。
■図2 DioVISTA/Flood Simulatorによる高潮災害シミュレーションの動作画面。
潮位の時間変化が手前のウィンドウの青色の曲線で、浸水域が奥のウィンドウの青色で示されている。

沿岸域は、地球温暖化に伴う海面上昇により今後災害リスクが増加すると考えられている。沿岸域の市民に高潮情報を提供することは、海洋基本法第21条にもあるように、防災上極めて重要である。さらに、高潮災害からの海岸の防護は、沿岸域の総合的管理の観点から取り組まねばならない課題のひとつである。そこで筆者らは、水害シミュレーションシステムに高潮災害推定のための機能を追加した。図2は、高潮災害シミュレーションの動作画面である。図に示すように、このシステムは潮位の時間変化を元に浸水域を推定する。さらにこの浸水域を自動的に予測するために、高潮予測情報を自動的に受信できる設計となっている。ただし、実際の業務への適用はこれからである。筆者らはこの世界初となるであろう高潮災害予測システムを沿岸域管理者に提供することで、沿岸域の防災に貢献したいと考えている。

3.防災は情報から

水害シミュレーションシステムは、高精度な地図データを必要とする。幸い、沿岸域の情報整備は急速に進んでいる。沿岸地形、道路位置、住宅位置、海底地形、海上気象など、多種類の情報がインターネットを通じオンラインで入手可能になってきている。とくに整備が進んでいるデータは、高精度な水害シミュレーションに必須である、高精度な地形データである。2007年に成立した「地理空間情報活用推進基本法」により、この情報整備と流通の勢いは加速されるだろう。水害シミュレーションシステムは、これら整備した情報の最も有用な活用先のひとつと考えられている。高精度で最新の地理情報が安定的に利用できるようになると、水害シミュレーションシステムはより正確な水害情報を生成できるようになる。
水害は技術者だけでは解決できない。立法や行政、あるいは保険、企業、個人など社会の幅広い分野における数多くの方々の努力が必要である。わかりやすく正確な水害情報があれば、幅広い分野の方々が水害の危険性を正しく理解し、対策を立てることが可能になるだろう。水害シミュレーションシステムの提供により、筆者らは水害の解決に貢献したいと考えている。筆者らは今後も、幅広い分野の方々の協力をいただきながら研究を進めていく所存である。(了)

※1 洪水の様子を可視化した洪水シミュレーション技術(日立製作所との共同開発)http://www.hitachi-hes.jp/products/product03/p03_08.html
※2 太田市洪水シミュレーション http://www.city.ota.gunma.jp/gyosei/0040a/006/bousai/study/simulation.html
※3 http://www.icharm.pwri.go.jp/html_j/training/index.html

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  • 編集後記 ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所副所長・教授)◆秋道智彌

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