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オーシャンニューズレター

第609号(2026.09.20発行)

ヒトゲノムから探る琉球列島の成立史

KEYWORDS 琉球列島/ヒトゲノム解析/集団形成史
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻助教◆小金渕佳江

琉球列島は独自の歴史を歩んできた島々である。本稿では、ヒトの全ゲノム解析によって明らかになった琉球列島集団の成立過程を紹介する。研究の結果、宮古諸島は沖縄諸島や八重山諸島とはやや異なる遺伝的特徴をもち、独自の集団形成史を経てきたことが示唆された。ゲノム研究は、考古学や言語学とともに、海を越えた人々の移動と交流の歴史を解き明かす重要な手がかりとなっている。
本州とは異なる琉球列島の歴史
琉球列島は、日本列島の南端に位置する島嶼である。沖縄県には北から沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島があり、その南北の距離は、東京─福岡間に匹敵する。琉球列島の北東側には九州が位置し、南西側には台湾が位置している(図1)。
筆者は大学院の博士課程修了後、琉球大学で研究職に就き、3年ほど沖縄諸島にある沖縄島で暮らした。住み始めて最も驚いたのは、本州よりも台湾の方が近く感じられることであった。那覇から東京までは約2時間半、台北までは約1時間半で到着する。また、長い夏や激しい台風など、沖縄の自然環境は筆者が関東で経験してきたものとは大きく異なっていた。
皆さんはこれまで、沖縄の歴史に触れたことはあるだろうか。筆者が義務教育を受けていた頃の日本史の教科書は、ほぼ本州の歴史のみを掲載していたと記憶している。それ以外の歴史が日本列島にあるのだと明確に意識に上ったのは、大学院の修士課程で琉球の人々に関する遺伝学研究を始めてからだと思う。本州では約3万8,000年前に旧石器時代が始まり、1万6,500年前頃には縄文時代が開始、そして約3,000年前には弥生時代となり、そして古墳時代へと変遷していく。
琉球列島は独自の歴史を経ていることが知られている(図2)。この地域は海洋に隔てられた島々から成り立っているが、約3万5,000〜3万年前の旧石器時代に人が海を渡って居住をした痕跡が確認されている。しかし、約1万5,000年前ごろから1万年前の間に当たる明確な考古遺物が発見されておらず、人類が居住していたのかそれとも無人であったのかは今のところ分かっていない。その後、沖縄諸島では九州の縄文文化の影響を受けた文化が展開した一方、宮古・八重山諸島では南方との交流を示唆する文化が成立した。その後も両地域は異なる歴史を歩み、11世紀頃のグスク時代に至って文化的な統合が進んだ。このように、琉球列島は本州と異なる歴史があり、ヒト集団も本州の「縄文人がいた所に、約3,000年前に渡来系弥生人がやってきて、彼らが徐々に遺伝的に混ざり合って現代人が成立した」という枠組みとは異なった成立史をもつことが推察された。

■図1 琉球列島の地図

■図2 本州と琉球列島の編年

ゲノムから見えてきた人々の移動
そこで琉球列島に居住する方々から提供していただいたDNAを用いた全ゲノム解析が行われた※。その結果、宮古諸島の人々は沖縄諸島や八重山諸島とはやや異なる集団形成史をもつことが示唆された。最初に、沖縄諸島集団と宮古諸島集団、八重山諸島集団の遺伝的近縁性の調査がなされた。その結果、沖縄と八重山は遺伝的に近縁であるが、宮古はそれら2つの集団とはやや異なる遺伝的特徴が認められた。また集団形成モデリングにより、現代の琉球列島の人々の主要な祖先は約1万5,000年前より最近に存在していた人たちであり、諸島内の旧石器時代を担った人々ではないことが示唆された。そして琉球列島の人々は、西端に位置する与那国島の西約100kmに位置する台湾の原住民とは、遺伝的近縁性はみられないことが示唆された。すなわち、集団形成の歴史が宮古と沖縄・八重山で異なる可能性があること、現代の琉球列島集団の祖先となるのは、列島の北側から海を渡ってやってきた人々が主要な集団になると推定されたのである。
次に、沖縄諸島と宮古諸島集団に注目して、集団形成過程の推定を行った。特に宮古諸島は、そこに含まれる島である宮古島、多良間(たらま)島、来間(くりま)島、伊良部(いらぶ)島、池間(いけま)島の出身者をそれぞれ異なる集団として扱った。その結果、宮古諸島の人々は主に北部(伊良部・池間)と南部(宮古・多良間・来間)で、異なる遺伝的背景を持つこと、すなわち、集団形成の歴史が異なることが示唆された(図3)。そこでどのような集団形成過程を経て、現代の沖縄の人々に至ったのかを推定した。その結果、本州の縄文人と遺伝的に近縁な祖先集団が渡来したことが示唆された。その後、グスク時代以降に沖縄へは九州から、宮古へは九州と沖縄から人々が移住したことが指摘された。そして宮古では、北部と南部でその移住の影響が異なっていた可能性が示された。グスク時代以降の沖縄からの移住は主に宮古南部で起こったことが推定されている。宮古北部の池間島と伊良部島は宮古島から海を隔てて数kmしか離れていないが、その地域へヒトの移住は限定的であったようである。なぜ宮古北部ではそのようなことが起こったのかということはよく質問される。その地域のコミュニティ形成の特徴が影響しているのかもしれないが、確実なことはよく分かっていない。
これまでは他の地域と遺伝的特徴が異なることが判明していた宮古諸島に注目していたが、沖縄諸島と遺伝的に近い八重山諸島の人々の成立過程もまだ詳細は遺伝的な調査がなされていない。また沖縄島の西側に位置する久米島や、八重山諸島の西側に位置する与那国島などもその成立の歴史には調査の余地がある。それぞれの地域では、ヒトの移住や指導者にまつわる伝説があり、それがゲノム解析による推定とどのように関係してくるかは、非常に興味深い点である。

■図3 沖縄島と宮古諸島、本州、漢民族のヒト全ゲノム配列を用いた主成分分析の結果。一つ一つの点は個人を表し、点が近いほど遺伝的な特徴が似ている。横軸のPC1と縦軸のPC2は、遺伝的な違いの主な傾向を表す。

海を越えた交流の歴史を探る
以上のようなヒトゲノム研究は、地元の方々の協力があって成立していることは言うまでもない。沖縄県では琉球大学を中心として、沖縄県民の健康への還元を目的としたプロジェクトが複数行われているが、宮古諸島に関する研究はそのプロジェクトのヒトゲノム研究の一環として行われた。琉球列島には特定の地域で報告例が多い疾患があることが以前より知られており、集団の成立史を明らかにすることが、これらの疾患の背景の解明につながるかもしれない。また、八重山諸島を含めた琉球列島全体の成立過程の調査は現在も続いている。
琉球列島は海によって隔てられた島々から成るが、その歴史は海によって結び付けられてきた歴史でもある。ゲノム研究は、考古学や言語学とともに、人々がどのように海を越えて移動し、交流してきたのかを解き明かす重要な手がかりとなる。今後も地域社会や異分野の研究者と協力しながら、海に囲まれた島々を生きる人々の歴史を解き明かしていきたい。(了)
※ 本研究は、JSPS科研費 JP19H05349, 21H00347, 21H02573, 18K14805の助成のほか、沖縄バイオインフォメーションバンク、琉球大学時空間ゲノムプロジェクトの支援を受けている。

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