Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第605号(2026.05.20発行)

サーモン陸上養殖と地域資源の融合
~陸から拓く新たな海洋ガバナンス~

KEYWORDS 陸上養殖/地域資源循環/新たな海洋ガバナンス
九州栄養福祉大学教授◆大庭英樹

地球温暖化や海洋環境の変化により、水産資源の持続的利用が世界的課題となる中、閉鎖循環式サーモン陸上養殖は、環境負荷を抑えた新たな食料供給モデルとして注目されている。本稿では、「森林・里山を含む陸域環境が海を支える」という視点に基づき、日本および北九州地域における陸上養殖の動向と課題を整理し、再生可能エネルギーや放置竹林など地域資源と融合した循環型モデルの可能性を示す。さらに、陸上養殖を起点とした「陸から海を守る」海洋ガバナンスの展望を提示する。
閉鎖循環式サーモン陸上養殖
地球温暖化の進行や海洋汚染、生態系構造の変化が顕在化する中で、「海を守りながら、海の恵みを安定的に享受する」という命題は、もはや一部の専門家に限られた議論ではなく、人類全体が直面する共通課題となっている。乱獲や気候変動による漁獲量の不安定化が進む現在、持続可能な水産資源利用の在り方が世界的に問い直されている。
その有力な解決策の一つとして注目を集めているのが、閉鎖循環式のサーモン陸上養殖である。外洋環境に依存せず、陸上施設内で水を高度に処理・循環させるこの方式は、排水や病原体の外部流出を最小限に抑えることが可能であり、環境負荷の低い「持続可能なタンパク源」の供給モデルとして国際的に評価されている。ノルウェーや米国を中心に商業化が進み、研究開発と民間投資が連動する新産業分野として確固たる地位を築きつつある。
日本国内における動向と技術・経済的課題
日本国内においても、陸上養殖サーモンへの関心と取り組みは年々高まっている。北海道や宮城県では、地元企業と大手商社が連携し、大規模な陸上養殖施設が稼働している。「十勝ハーモニーサーモン」や「みやぎサーモン」といった地域ブランドは、安全性やトレーサビリティの高さを強みとして、消費者の地産地消志向や食の安全意識に応える形で高い評価を獲得している。
九州においては、北九州市を中心とする産業集積や、長年にわたり培われてきた環境技術・省エネルギー技術の蓄積を背景に、陸上養殖という新たな水産生産モデルを展開する可能性が広がっている。重厚長大型産業を基盤として発展してきた同地域は、近年、環境産業都市としての転換を進めており、資源循環や脱炭素を志向する取り組みを実装してきた実績を有する。
こうした地域特性を象徴する事例が、九州電力グループによる陸上養殖サーモン「みらいサーモン」である。本事業は、発電所敷地内という既存のエネルギーインフラを活用し、閉鎖循環式養殖を導入することで、安定的かつ計画的なサーモン生産を実現している。電力供給施設が有する用地やエネルギー基盤を養殖システムと組み合わせることで、効率性と事業の安定性を両立させた先進的なモデルと評価できる。
一方で、陸上養殖の普及と定着には依然として多くの課題が残されている。技術面では、水質管理、疾病防除、エネルギー効率の最適化など、複数の要素を同時に制御する高度な運用が求められる。閉鎖循環システムでは、バイオフィルターや各種センサーを用いてアンモニア濃度や溶存酸素量を常時監視する必要があり、その維持管理には専門的知識と経験が不可欠である。
また、サーモンシラミやアニサキスといった寄生虫対策も、消費者の信頼を確保する上で重要な課題である。特に大規模施設では、感染が発生した場合の影響が大きく、予防的なリスク管理の徹底が求められる。
さらに経済面では、初期設備投資が数十億円規模に達することに加え、水再利用システムや水温制御、酸素供給に伴うエネルギーコストが事業採算性を圧迫している。エネルギー消費の大きさは環境負荷の観点からも無視できない課題であり、特に北九州市のような環境先進都市においては、低炭素化と経済性を両立させる持続可能なモデルの構築が社会的要請となっている。
地域資源との融合による新しい循環型モデルの提案
こうした背景を踏まえ、筆者らが今後進める「サーモン陸上養殖と地域資源の融合プロジェクト」では、北九州市を中心に、地域大学として九州工業大学ならびに九州栄養福祉大学、IT企業として(株)OPTiM、陸上養殖サーモン事業者として(株)Pivot、が密に連携し、再生可能エネルギーや地場資源を活用した循環型システムの確立を目指す。高度経済成長期に深刻な公害を経験し、それを克服してきた北九州市の歴史は、環境配慮型養殖システムの社会実装においても重要な知的基盤となり得る。
本プロジェクトの特徴の一つは、1水槽あたり直径約3m、高さ約75cmの小型水槽を採用し、サーモンの飼育尾数を約300匹程度に抑えている点にある。施設規模をあえて小さくすることで、リスク管理の柔軟性を高め、大型施設では対応が難しい寄生虫や感染症リスクの分散・回避を可能にしている(図)。
さらに、北九州市周辺に広がる放置竹林という地域課題にも着目し、竹から抽出したポリフェノールやフラボノイドなどの天然抗酸化・抗菌成分を、飼料添加や水質浄化に応用する研究を進める。加えて、間伐・伐採された竹をバイオマス資源として活用し、閉鎖循環式養殖の加温や循環システムに必要なエネルギーの一部を賄うことも視野に入れている。里山管理、環境保全、養殖技術、エネルギー利用を有機的に結び付けるこの試みは、都市近郊に豊富な未利用資源を抱える北九州地域ならではの循環型モデルであり、地域課題の解決と新産業創出を同時に達成する可能性を秘めている。

■図 陸上養殖における小規模最適化に向けた試験水槽の概要(1水槽あたり直径約3m、深さ約75cm、トラウトサーモン飼育尾数:約300尾)

陸から拓く新しい海洋ガバナンス
養殖業はこれまで「海の産業」と捉えられてきたが、陸上での生産拡大により、エネルギー政策、環境政策、産業振興政策が交差する新たな「海洋ガバナンス」の領域が形成されつつある。とりわけ北九州市のように、環境政策と産業政策を両輪として発展してきた地域においては、陸上養殖はその統合を象徴する具体的な実践の場となり得る。
サーモン陸上養殖の発展は、海洋利用の「分散化」を促進する。限られた沿岸空間への依存を軽減しつつ、海と陸をつなぐ新しい食料供給モデルを構築することは、気候変動時代における海洋資源の保全と利用のバランスを再設計する試みでもある。これはまさに、「陸から海を守る」という新しい発想に基づくアプローチである。
「新たな海洋ガバナンスの確立」とは、科学、地域、産業を統合したこうした視点の延長線上にある。北九州という具体的な地域から生まれる実践知が全国へと展開されるとき、日本の海洋政策は次のステージへと進化するだろう。
健全な海を次世代へ引き継ぐために、私たちは今、陸から海の未来を描き始めている。本稿では、陸上養殖という「陸からのアプローチ」を取り上げたが、この取り組みの背景には、森林や里山を含む陸域環境の健全性が存在する。山・川・海が連関する自然の循環を視野に入れることは、海の持続可能性を考える上で欠かせない視点であり、今後も本稿で紹介した取り組みを一層積極的に推進していく所存である。(了)

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