Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第567号(2024.03.20発行)

ポリネシアにおける多様な性の共生
~マフとラエラエ~

KEYWORDS タヒチ/マフ/ラエラエ
金城学院大学文学部外国語コミュニケーション学科教授◆桑原牧子

南太平洋にある仏領ポリネシアには、西洋文化接触以前から男性として生まれたが女性の役割を担って生きる人々がいた。
1960年にタヒチ島に空路が開かれると、外部文化の影響を受けて社会は大きく変容し、従来の「マフ」に加えて「ラエラエ」が現れた。本稿では、オセアニア島嶼部における多様な性の共生の一部を紹介する。
タヒチ社会における性別分業
オセアニア島嶼地域にあるタヒチ社会(仏領ポリネシア)では、西欧文化接触以前からマフと呼ばれる生物学的には男性として生まれながら女性の役割を担う人たちが、親族や社会の成員からその存在と役割を認められて生きてきた。マフは幼少期より女児のようなしぐさをみせて女児と遊ぶのを好むことから、家族や親戚から女児と同様に扱われた。性別分業が明確になる思春期にはマフは女性の役割を習得し、女性が築いていたのと同様な人間関係を構築していた。去勢は行わなかったが、女性的な容姿であり言動をとった。
タヒチ社会の性別分業は社会制度や信仰を反映していた。伝統社会では男性は漁労、農業、建築などを行い、女性は料理、洗濯、掃除、育児、植物繊維編み、タパ(樹皮布)制作などを行っていた。18世紀のタヒチ社会にはタプと呼ばれる、人やモノとの接触や場所の侵入への禁忌があり、階層や年齢などと共に性差にも課せられた。例えば、女性は男性と同席しての食事やマラエ(祭祀場)での儀礼への参加が禁じられ、男性は女性の調理器具の使用が禁じられた。
このようなタヒチ社会における女性の分業と重なる役割に加え、マフが首長の生活の世話をしながら性的欲望の対象としても仕えていた。マフは女性と同様な性別分業を担い、男性と性行為をしていた。
ラエラエの出現
1960年にフランス本土から多くの軍関係者が駐屯し、空の航路が開かれたことで旅行者が仏領ポリネシアを訪れるようになった。それにより、女装や化粧をして軍関係者と観光客相手に売春をする人々が主に首都パペーテに出現して、ラエラエと呼ばれるようになった。
ラエラエはマフとは異なる性として誕生したのではなく、マフのなかから性自認と身体の一致をより重視する人々が身体に変工を加えたことで出現した。マフの身体的特徴は女性のしぐさ、声、話し方、服装、ひげやすね毛などの脱毛であるが、ラエラエはそれに加えて、女装、化粧、アクセサリーを着用した。さらに、女性ホルモンの摂取、豊胸手術、性別適合手術を行う人も出てきた。
ラエラエの多くはパペーテでナイトクラブのホステスやダンサー、セックスワーカーなどの「夜の仕事」で働いてきた。しかしながら、役場職員、販売員、テーラー、美容師、ホテルの清掃員やレストランのサーバーなどの「昼の職業」に就く人も少なくない。タヒチ島では「昼の仕事=マフ」「夜の仕事=ラエラエ」とのステレオタイプ的見解が広まっているが、実際は、マフとラエラエは共にさまざまな仕事に就き、両者の職種は重なる。
曖昧な境界
タヒチ社会には男女を分かつ境界線が曖昧な部分があり、物腰がやわらかい男性が少なくない。マフには男性に男性性を確立させるための「伝統的な」役割がある。このような「村に一人」は必要とされる存在としてのマフのイメージは現在に至るまで存続する。しかし、離島であっても、西洋文化との接触から多くの影響を受けている島とそうではない島ではマフとラエラエの社会的な位置づけが異なる。さらには、外に開かれた島の間でも、影響を受ける西洋文化の内容によって、社会のマフとラエラエの認識と受容が異なる。
女性が外で働き始めると、彼女たちの夫、兄弟、息子といった世帯の男性も家事を担うようになった。パペーテでは女性の就業率が高く、家事は夫婦あるいは世帯の他の成員の間で分担して行われる。マフのなかには家事を担う人がいる一方で、女性と同様に高等教育を修めて外で働き始める人が出てきた。女性の家庭内での役割の変化に伴い、マフの役割も変化したのである。
タヒチ社会では、ファアアムと呼ばれる実親以外による子供の養育が頻繁に行われてきた。マフは気配りがきき、子育てが上手と定評があるために、ファアアム親として子育てを担ってきた。年配のマフは親族やコミュニティの良き「ご意見番」的存在であることが多い。
マフやラエラエは親戚や近所の幼馴染みのなかに必ず見出せるほどに身近な存在である。マフの性的指向は不問にされがちである。ラエラエは、性的指向に関しては男性対象に売春をしたり男性パートナーを持ったりすることから、同性愛者であると周囲から認識されてはいるものの、女装や豊胸手術などの身体の性自認に関わる特徴の方が全面に出やすい。性的欲望が同性に向けられる人たちは、西洋のカテゴリーを使って「ゲイ」「レズビエンヌ」として認識される。西洋文化接触以前は、性別分業において女性の役割を担い、同性愛との性的指向を認められていた性的少数派は「マフ」でくくられていたが、現代になって、「ジェンダー」に焦点を当てることで女性的役割と伝統社会・文化的役割が強調されるマフと、身体の性自認の問題に焦点を当てることで女性の身体性の獲得が強調されるラエラエと、性的指向に焦点を当てられるレズビエンヌとゲイとにカテゴリーの多様化が進んだ。
タヒチ島パペーテ

タヒチ島パペーテ

多様な性の共生
マフ、ラエラエ、さらにはゲイ、レズビエンヌの間では互いを相対化している。タヒチ島ではマフとラエラエの対比において、家族・社会において役割が明白でないラエラエがマイノリティ化し、マフや世帯内の役割が明白なラエラエはマイノリティ化しない。マフとラエラエは、社会の受容や差別に自ら応答したり、対抗したりしてきた。マフは自らを「伝統的」「ポリネシア的」であるとし、「家族とのつながり」や「家庭や社会における役割」を強調することや「身体を変えない選択」をすることで、自らが「自然な」性であり、ラエラエとは異なることを主張する。ラエラエは女性の身体性獲得に力を注ぐことでマフとの違いを示し、自らの性でもって西洋化、グローバル化を体現し、さらには、家族・親族との関係に縛られずに自由に生きる現代人であることを示す。
このような性的少数派間での相対化は、仏領ポリネシアにおける西洋のLGBTQのような性的多数派に対抗する集合体の結成を妨げる。しかしだからこそ、伝統的に社会に位置づけられてきたマフを性的多数派との中間に置くことによって、単独では排除されがちなラエラエを主流社会に位置づけることが可能になる。このことは、筆者のパペーテでの研究に協力してくれたラエラエが、親しい仲間に囲まれ、街の人々や家族とのつながりを緩く保ちながら生きていたことからもわかる。(了)

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