Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第567号(2024.03.20発行)

男と女をつなぐ船
~南スラウェシにおける船づくりに見るジェンダー観~

KEYWORDS ブギス人社会/造船/へそ
金沢大学人間社会研究域客員研究員◆明星つきこ

ブギス人は、その卓越した造船・操船技術や海域ネットワークを駆使して、歴史的に東南アジア海域世界で広く活躍してきた。彼らは船に「へそ」を作って魂を吹き込む。
ブギス人の家と船は、性観念を含めた彼らのコスモロジーを体現する象徴的空間として認識されている。
ブギスの伝統的ジェンダー観
「ジェンダー平等」を目指すグローバルな潮流がある一方で、ジェンダー区分やジェンダー平等の在り方は、社会や文化、時代によって異なる。インドネシア・南スラウェシにおけるブギス人社会は、単に近代的な政治制度や経済的役割、あるいは法的権利の平等だけを意味しない多様なジェンダー観を示す一例である。
伝統的なブギス社会では、人間を身体的に二分した女性と男性という単純なジェンダー区分だけでなく、いわゆる第三の性と呼ばれるジェンダーの存在も指摘されており、オロアネ(男性)、チャラバイ(トランスジェンダー女性)、ビッス、チャラライ(トランスジェンダー男性)、マクンラニ(女性)の5つに区分される。チャラバイは字義的には「偽りの女」を意味し、一方のチャラライは「偽りの男」を意味する。これらの区分においては、身体が持つ性とは別に「心」が二元的に性別化されていることが前提となる。つまり「心の在り方」がまずあり、性的指向や社会的役割が決められる。また、ビッスは身体的には男性であり、性自認はチャラバイと重複しつつも男性性と女性性を等しく兼ね備えた特別な存在とされる。そのためビッスは歴史的には、とくに結婚式などの儀礼における祭司あるいはシャーマンとしての社会的役割を果たしてきた。
南スラウェシの船づくり
ブギス人は、その卓越した造船・操船技術や海域ネットワークを駆使して、歴史的に東南アジア海域世界で広く活躍してきた。彼らにとって船は単なる経済活動の手段ではなく、伝統的なブギス社会において、船はそのコスモロジーを表象する一つの物的要素として考えられている。
南スラウェシの船づくりの特徴として船の建造工程を人の誕生過程と同様に捉える世界観が挙げられるが、こうした文化的特徴は、とくに最初の工程であるキールの設置と、船を海に出す進水の過程において見られる。着工に際しては、キールの両端を10cmほど切り落とし、船首側の切断部材を海に捨て船尾側の部材を船主の家に持ち帰り、船の順調な建設と進水を願う儀礼が行われる。また進水に際しては、単に船の安全を願うだけでなく、「船に命を与えること」が重要とされる。進水前には人の臍(へそ)のように「船のへそ」を作ることで、船に魂が吹き込まれ、この世に誕生すると説明される(図1)。
■図1 「ポジ・ロピ=船のへそ」を作る様子(2022年10月、筆者撮影)

■図1 「ポジ・ロピ=船のへそ」を作る様子(2022年10月、筆者撮影)

ブギス社会における「へそ」
この「へそ」あるいは「中心」を作る/持つという考え方は、船特有のものではなく、土地や家、人体といった異なるレベルにおいて、それぞれの物的空間・要素における「中心」を示すものであり、南スラウェシの伝統的コスモロジーと密接に関わっている。人類学者クリスチャン・ペラス(1934-2014年、フランス)によると、「今日でも見られるイスラーム以前からのブギス社会における世界観では、宇宙、地域共同体、家、船、人体という5つの社会的空間は象徴的に同等であり、それぞれ垂直的、水平的に対応している」という。
垂直的に見た場合、ブギスの世界は天上界・地上界・地下(水)界の3つの空間に分割されている。天上界は男性性と神聖性、地下界は女性性と俗性が象徴され、それらが混じり合い人間が生活する場として地上界が表象されている。船とともに家屋は、こうしたコスモロジーを体現する物的要素の一つである。たとえば、伝統的な家の空間認識では、屋根裏が天界、床下の空間が地下界、そして居住部(床上)が天界と地下界を結ぶ場として認識されている。一方、水平方向に家を見た場合、入り口側は男性/夫/公の空間、後方は女性/妻/私の空間として認識され、それぞれ客間や台所等の水回りが設置され、中央は男女が結びつく「再生産」の場として主寝室が設けられる。垂直方向、水平方向どちらから見た場合においても、それらをつなぐ「中心」として主要な柱には「家のへそ」が作られる(図2)。つまりブギスの伝統的な家屋は単なるシェルターとしてだけでなく、性観念を含めた彼らのコスモロジーを体現する象徴的空間として認識されている。
また家と船の各部位に用いられる言葉の共通性は、両者は相互に関係していることを示している。たとえば、屋根の棟の先端部(日本家屋の鬼瓦に相当)と船首はいずれもアンジョンと呼ばれ、ムンリは家屋の後背部や船尾を意味し、またカタバンは床や甲板を意味する。これはブギスの家と船が相互に対応し、同様の役割を担っていることを示しており、船首側のキールパーツは家の入り口側に対応し、男性性/夫を、船尾側のパーツは家の裏口側に対応し、女性性/妻をそれぞれ象徴している。さらに中央のキール部材は男性と女性の結びつきを表している。
■図2 ブギス社会における伝統的コスモロジーのイメージ

■図2 ブギス社会における伝統的コスモロジーのイメージ

男と女をつなぐ「へそ」
南スラウェシや周辺社会に関する人類学的・民俗学的研究は、3つの象徴的空間および要素を貫く中心が「へそ」であり、各物的要素は「へそ」を持つことを指摘してきた。とくにブギス社会において、人体に加えて伝統的に生活の基盤であった家、船、土地は上界と下界をつなぐ中界としての象徴的空間・要素であり、それぞれに「へそ」が与えられている。これらの「へそ」は単なる擬人的な比喩ではなく、ブギスの伝統的コスモロジーにおいては、男と女という2つのジェンダーを結び付け、それらが補完し合うことで世界が構成されていることを象徴している。
このように海のジェンダー平等といっても、それぞれの社会や文化における海との関わり方やそこでのジェンダー観念やその表象方法は多様である。グローバル化が進む今日では、ブギス社会における性観念や船の哲学的側面を画一的に捉えることはできないものの、南スラウェシの船づくりは、海との暮らしのなかで人びとの価値観や技術的・儀礼的実践が形づくられる一つの在り方を示している。(了)

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