Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第532号(2022.10.05発行)

わが国沿岸域の酸性化の現状評価と適応策

[KEYWORDS]栄養塩負荷/藻場/干潟
(国研)水産研究・教育機構水産資源研究所主幹研究員◆小埜恒夫

地球温暖化問題のひとつに海洋酸性化がある。日本の沿岸域における海洋の酸性化の状況と沿岸生物への影響を調査するために、2020年から日本財団の助成事業として「海洋酸性化適応プロジェクト」が開始された。
すでに2年間の調査で酸性化の影響と原因に関するいくつかの知見が得られ始めており、沿岸水質向上技術も酸性化抑制に有用であることが明らかになりつつある。
日本沿岸域における効果的な酸性化適応策が期待される。

日本の沿岸域における酸性化の現状

化石燃料の消費等の人類活動によって大気中に放出されたCO2は地球温暖化等の問題を引き起こしている。放出されたCO2の約30%は海に吸収され、この吸収されたCO2が海水中で重炭酸や炭酸等の酸性物質に変化することで、海水のpHも徐々に低下しつつある。海洋中には炭酸カルシウムを殻として利用する生物(貝類、甲殻類、ウニ、ヒトデ等。以下これらを炭酸殻生物と記す)が数多く生息しているが、pHが低下すると生物が炭酸カルシウム殻を形成するためにより多くのエネルギーを消費し、殻が形成されにくくなるため、炭酸殻生物に大きな影響を与えることが懸念されている。これを海洋酸性化問題という。幸いにして日本の沿岸域では、海洋酸性化を原因とした生物の被害はまだ確認されていないが、国内でも特に漁業者を中心として、わが国沿岸における酸性化のリスクはどの程度なのか、また有効な対応策は存在するのかという懸念が増加している。
日本では1980年代から、環境省の公共用水域水質調査事業により全国の約2,000観測点で海水のpHが計測されており、このデータの解析から、沿岸域全体の平均値としては外洋域と同じ速度で海水のpHが低下している。しかしpHの変化傾向は個々の海域ごとに大きく違っており、日本沿岸の3割ほどの海域では、pHが低下していない、あるいはむしろpHが年々増加していることが把握されている。特に、リン酸塩などの栄養塩の負荷量が経年的に増加している海域よりも、栄養塩の負荷量が低下している海域の方で、pHが低下していない海域の出現率が高い。これは、海水のpHは大気中CO2濃度の増減だけで変化しているわけではなく、植物プランクトンや海藻の光合成によるCO2の消費や、有機物の分解によるCO2の放出などによっても大きく増減することと関係する。水質改善にむけた努力などによって栄養塩の負荷量が経年的に低下している海域では、過剰な有機物の生産が抑えられ、海底で分解する有機物の量が減少することが海水のpHを上昇させる方向に働き、大気中CO2濃度の増加によるpHの低下傾向を軽減、あるいは相殺していると考えられる。
日本の沿岸域ではさまざまな主体が沿岸水質の向上にむけた努力を行なっている。上記の解析結果は、こうした沿岸水質の改善に向けた取り組みが、同時に沿岸水の酸性化の抑制にも有効な方策となり得ることを示唆している。

日本沿岸域における海洋酸性化適応プロジェクト

■図1 海洋酸性化適応プロジェクトの調査海域である日生海域。白く見えるのはカキ養殖筏から一斉産卵している状況■図2 各観測点に設置されている海洋環境センサー

日本の沿岸域における酸性化の進行状況と沿岸生物への影響をより詳細に調査し、得られた知見から日本沿岸域における効果的な酸性化適応策を考案するために、2020年から日本財団による「海洋酸性化適応プロジェクト」が開始された。これはNPO法人里海づくり研究会議を中心として、国内研究機関から漁業関係団体まで幅広い立場の20組織が連携協力し、海洋酸性化の調査を行う画期的なプロジェクトである※1。わが国の重要水産資源の一つであるマガキを主な対象生物とし、宮城県志津川湾と岡山県日生海域、広島県大野瀬戸の3海域に環境センサーを係留して、海水のpHと関連する各種海洋環境指標の通年連続観測を行なっている。観測されたpHからはアラゴナイト飽和度(Ωara)を算出して酸性化リスクを評価している。Ωaraは炭酸カルシウム(アラゴナイト結晶)を殻として利用する生物に対する酸性化影響指標であり、例えばマガキの飼育実験ではΩaraが1.5を下回るとマガキの幼生に影響が現れることが報告されている。また、志津川湾と日生海域ではマガキ幼生の検鏡観察も実施し、pHが低下した時にマガキ幼生に何らかの影響が現れているか検査を行っている。
本プロジェクトの調査は現在も続けられているが、既に現時点までの2年間の観測結果からも、以下の知見が得られている。
・pHやΩaraは季節的な変動に加えて、数日〜数週間スケールの短期的な変動を示す。特に、大規模な降雨があった数日後に沿岸のpHが急激に低下する現象が頻繁に観察され、これは河川から沿岸に放出された有機物の分解が原因と考えられる。
・上記の降雨後のpH急低下時に、Ωaraが短期的に1.5を下回るケースが3海域ともに観察されている。
しかし、Ωaraが1.5を下回っている時期に各海域で採取したマガキ幼生からは、殻の溶解や変形といった酸性化の影響は1件も検出されていない。飼育実験と実際の海ではさまざまな条件が異なるため、実際の海中のマガキ幼生に影響が現れる酸性化閾値はΩara=1.5よりもさらに低いところにある可能性が考えられている。
環境省の公共用水域水質調査のpH観測は年数回であり、また海水調査と連動した生物調査は行われていないので、短期的なpHの変動の存在や、それに対する生物の応答といった知見は、本プロジェクトで初めて得られたものである。その結果、現時点においては、マガキに酸性化の影響が現れてはいないことが確認できたことは、現地の関係者に大きな安心材料として受け止められている。しかし、飼育実験上は幼生に影響が現れるとされるΩaraの値に、短期的とは言え現在の沿岸域も既に達していることは、これらの沿岸域でも酸性化が徐々に潜在的な危険水準に近づきつつあることを示唆している。飼育実験で影響が現れるpHレベルでも実際の海中では影響が生じていない原因の解明や、実際の海中でマガキ幼生に影響が生じる真のΩara閾値の割り出しが、今後の重要な課題である。
一方で、現在の沿岸域における主要なpH低下機構である大規模降雨後のpH急減の主要因が、河川から沿岸に放出された有機物の分解であることがほぼ判明したことは、この短期的なpH減少を抑制するための対応策に手掛かりを与えている。例えば主要な河口域に藻場や干潟を造成することで、大規模降雨時に河川から放出された有機物の粒子をこれらの藻場・干潟内にトラップし、マガキが生息する沿岸域に到達する有機物量を減少させてpHの急低下を抑えることができる可能性がある。
海洋酸性化の根本的な解決には全世界的なCO2放出量の削減が必須だが、これまで述べてきたように、実は藻場・干潟造成等の既存の沿岸水質向上技術も酸性化抑制に有用であることが、本プロジェクトを通して明らかになりつつある。これらの技術を併用し、海域ごとに適切な酸性化対策技術の組み合わせを考えていければと思う。(了)

  1. ※12022年3月に沿岸環境関連学会連絡協議会と日本財団の合同シンポジウム「地球温暖化に伴う我が国沿岸域の異変~忍び寄る海洋酸性化の現状~」を開催し、得られた成果などを基に今後の対策に向けた議論を行った。

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