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Ocean Newsletter
第520号(2022.04.05発行)
“足元の海”から始める海洋リテラシー
[KEYWORDS]漁港/幼魚/漂流物岸壁幼魚採集家、海あそび塾塾長◆鈴木香里武
SDGsの普及により海洋ごみ問題に意識が向いてきたが、海に馴染みがない人にとってはまだ遠い世界の出来事のように実感が湧いていないと感じる。ゴミによる悪影響については理解している人が多いように思うが、それをも利用して生き抜く幼魚たちのたくましさに触れることで、海の尊さに気づき、守りたいという自発的な意識が芽生えれば、一人ひとりが楽しみながら取り組める新しい海洋リテラシー教育の扉が開くのではないだろうか。
「知る」プラス「実感」で、「行動」に繋がる
「フエルタニシ共和国のトロボッチ族が貧困に苦しんでいます。助けてください」。そんなポスターを見て今すぐ何かしようと動けるのは、聖人と呼ぶべき一握りの心清らかな人だけでしょう。こんな国も部族も実在しませんが、もしあったとしても、知らない国の知らない部族にとっての危機は、残念ながらわれわれ日本人にとってリアルにイメージすることが容易でない出来事なのです。
海の環境についても、似たようなことを感じてなりません。危機的状況である。伝えなければならない。一人ひとりが動かなければならない。でも、頻繁に海に行く人や元々海の生き物に興味を持っている人でなければ、どこか遠い世界の出来事のようでイメージしにくい。これが現状なのではないでしょうか。今は情報社会。データを集め、知識を深めることは誰にでも簡単にできます。「知る」ことはできます。それが「行動」に結びつくためには、「感じる」というステップが魔法のように機能してくれます。海の環境問題を身近に感じるために、どこを入り口にするか。それは意外と身近なところにあるかもしれません。
漁港は漂流物の終着点
約30年間、漁港で稚魚や幼魚を観察する中で、500種類ほどの生き物に出会いました。道具は基本的にタモ網しか使わないので、活動できるのは自分を中心に半径5m以内くらいのごく限られた範囲。“足元の海”だけでこれだけ多種多様な生き物に出会える理由は、漁港という特殊な環境にあります。
かつて行なった実験では、外海との出入り口がすぼまっている漁港は、湾などの地形と比べて満潮時に海水が勢いよく流入することが示されました。それに乗って、流れ藻などの漂流物が入って来るのですが、そこには様々な幼魚や幼生が身を隠しています。体の小さな幼魚たちは、敵に見つからないよう海面を漂う物に身を寄せて移動していることが多いのです。漂流物はまた風によっても運ばれ、漁港の角に溜まります。こうして漁港に入ってきた幼魚たちは、そこが案外住みよい環境であることに気づきます。流れは穏やかで、大きな敵は少なく、エサも隠れ家も豊富な場所。人工的建造物である漁港が、いつのまにか生き物たちのゆりかごという役割をもつようになっているのです。
潮流や風に乗ってやって来るのは、流れ藻や枯れ葉など自然由来の物だけではありません。ペットボトル、食品トレー、空き缶、ビニール袋、謎のオモチャとおぼしきカケラなど、漁港の角は海洋ゴミの溜まり場にもなっています。2020年の初夏からは、その中に突然マスクを見かけるようになりました。人々がマスクをするようになってからほんの数か月後のことです。人間活動がこんなにも即座に海に反映されるのだと驚きました。遠く離れた沖合や深海での出来事ではなく、足元で見られること。漁港は海の今をリアルに感じる身近な入り口なのだと思います。
一人ひとりが楽しみながらできること
日々SNS※に海や幼魚の映像を投稿していると、皆さまからいただくコメントに学びと気づきが詰まっています。かつてこんなことがありました。流れ藻とゴミが混在した海面を数匹の幼魚が泳ぐ映像を投稿すると、幼魚についてのコメントが多く寄せられました。一方、漂流物のない静かな海面に1枚だけビニール袋が浮かんでいる映像を投稿すると、コメントはそのゴミについて指摘するものがほとんど。ゴミの量は前者の方がはるかに多いのです。どこを切り取るかで印象はガラリと変わるのだと感じて、伝え方の大切さに気づくと同時に、そこを間違えたら・・・、と怖くもなりました。
それ以来、海洋ゴミ問題の伝え方の入り口を常に意識するようになりました。ゴミ拾いボランティアに参加される方は本当に素晴らしいと思います。でもみんながみんなそうではないでしょう。ではこう考えてみましょう。幼魚は漂流物に身を寄せています。たくましい彼らは、漂うゴミでさえ身を守るために利用しているのです。タモ網ですくおうとするとき、泳いでいる幼魚は素早く逃げますが、ゴミごとすくうと簡単に網に入ります。目的はあくまで幼魚観察。ついでにすくえてしまったゴミはどこかにまとめておいて、帰るときにゴミ箱に捨てる。これなら楽しいと思えるのではないでしょうか。続けられるためには、楽しいのが一番です。
道端に捨てたゴミ、川に流したゴミ、これらは海へと流れていきます。ゴミをポイ捨てしないのは大前提。ただ、既に海へと流れてしまったゴミは、拾えるかたちで浮いているうちに拾うことがとても大切なのです。細かく砕けてマイクロプラスチックになってしまっては、タモ網どころか様々な道具を使っても回収が難しくなってしまいます。幼魚観察を通して拾えるゴミはごくわずかな量でしょう。でも個人個人のちょっとが集まると、その集合力は計り知れません。ちょっとの行動とちょっとの怠惰の積み重ねがいかに大きな差を生むのか、ピンとこないという方は「1.01の法則と0.99の法則」を調べてみてください。人間はこれだけたくさんいるのですから、人の心によって未来はいかようにも変わると信じています。
昨年の秋には軽石のニュースが世間を騒がせました。軽石に付いて大量のアミモンガラが沖縄の漁港に流れ入ってきたという記事を見ました。漁業への影響や生態系に対する懸念が主に取り上げられる中で、この視点は興味深いなと思いました。アミモンガラは、漂流物に身を寄せて生活する幼魚の代表格とも言える南方系のカワハギの仲間です。彼らにとってのニューアイテムである軽石を、こんなにも早く利用してしまうこと。幼魚たちの適応力の高さに驚かされるばかりです。
人間とゴミをただただ悪者扱いして、「悲しい」「ひどい」と海の現状を嘆くことだけが環境意識への入り口ではありません。幼魚たちの生き様に触れ、「かわいい」や「たくましい」、今風の言い方をするなら「尊い」がきっかけになれば、何かが変わるかもしれません。魚が動けば、心が動く。SDGsという枠組みがあるから動くのではなく、各々の気持ちが自然とそちらを向くように、身近なところから実感をもてるかたちで伝えていく令和の海洋リテラシーを、これからも模索してまいります。(了)
- ※鈴木香里武ツイッター https://twitter.com/KaribuSuzuki
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