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オーシャンニュースレター

第520号(2022.04.05発行)

近世の駿河湾漁況変動と自然資源利用

[KEYWORDS]漁況変動/森林資源/不漁期
東京農工大学農学研究院共生持続社会学部門教授◆高橋美貴

近世の静岡県駿河湾、とくにその北東部に位置する内浦湾では回遊魚を狙った立漁(建切網漁)が盛んだった。
これは魚群回遊さえあれば効率的に大量漁獲できる漁法だが、回遊資源量の変動に翻弄される歴史でもあった。
このような資源変動は、森林・耕地を含めた地域の自然資源利用にどのような影響をもたらしたのか。回遊魚の資源変動が気候変動・変化とリンクしていることも踏まえながら、近世の同湾を事例とした地域環境史を描いてみたい。

魚群回遊と地域環境史

■天保三年(1832年)の長浜村(静岡県沼津市)の風景を描いた画図『天保三年伊豆紀行』の中の『漁猟場ノ景』(静岡県立中央図書館所蔵)

近世の静岡県駿河湾、とくにその北東部に位置する内浦湾では、沿岸近くに回遊してくるカツオ・マグロ・ソウダガツオなどの魚群を狙った立漁(たちりょう)(建切網漁)が盛んだった。立漁は、魚群の退路を網で遮断しながら村前の入り江に追い込み、魚群を一斉に漁獲する漁法である。これは魚群回遊さえあれば効率的に大量漁獲できる漁法だったが、回遊資源量の変動は不可避で、この地域の歴史は漁況のダイナミックな変動に翻弄される歴史でもあった。このような資源変動にこの地域がどのように対応したのか、それは森林・耕地を含めた地域の自然資源利用にどのような影響をもたらしたのか。回遊魚の資源変動が気候変動・変化とリンクしていることも踏まえながら、近世の同湾を事例とした地域環境史を描いてみたい。
近世には一般に、村が地先水面を村の領域として所持し、新規漁業の抑制や外部からの侵入などを防ぎながら漁業秩序や資源の持続的利用を図っていたが、回遊資源を漁獲対象とする場合にはそれのみでは自村の漁業を守り切れなかった。地先水面を確保・維持するとともに、村の領域を超えて移動する魚群の回遊路、つまり魚道を同時に確保しなければならなかったためである。内浦湾では遅くとも17世紀後半には、魚群回遊を阻害する魚道上での他村漁師による操業を差し止める争論の発生を確認することができ、以後、魚道に対する相互の規制と配慮を踏まえた規範(「魚道の論理」と呼ぶ)が、この地域の漁業秩序として定着していく。この地域の立漁をめぐっては、漁獲物の一部を漁業に従事した漁師はもちろん、水揚げに参集した老人・女性・子どもも含めた村人が持ち去ることを容認する貰魚(カンダラ)慣行が存在し、立漁の豊凶は村人皆の関心事で、とくに深刻な不漁は村人全体に影響を及ぼした。それゆえ魚道の確保はこの地域の村々にとって重大な問題で、村々が魚道の確保にこだわり、「魚道の論理」が漁業秩序として定着していったのもこのためであった。
18世紀末になると、「魚道の論理」は駿河湾東部に及ぶ広がりを持つようになる。この海域はこうして、海面を面的に囲い込むのではなく、魚群の移動や滞留によって生み出される線と点の把握を通して、広域的な海面における操業のあり方に沿岸村々の規制力が働く空間という性格を帯びることとなった。

漁況変動と森林・獣害―気候変動・変化との関わり

この地域では深刻な不漁期がおよそ40年ごとに発生したが、不漁期にはいずれも森林資源の過剰利用が問題化した。不漁期には立漁での減収を補うべく、薪稼ぎへの依存度が高まったためだった。資源変動を不可避とせざるをえない海洋回遊資源を主要な漁獲対象とした地域にとって、森林は漁況の不安定性を緩和する緩衝剤としての役割も持ったのだ。
一方で、不漁が深刻化した場合には、森林資源の過剰利用が問題化するだけではなく、それがもたらす生態的・環境的な問題が地域に新たな課題を突き付けた。この地域の自然資源を利用した生業は、漁業と山稼ぎ、それに農耕の三つからなったが、不漁期における森林の過剰利用は必然的に農耕の重要性を高めざるをえない。この地域では、深刻な立漁の不漁が、森林資源の過剰利用→獣害の増加→獣害防除対策の強化という連鎖を引き起こした。深刻な不漁は、地域の自然資源の状態とその利用のあり方に大きな影響を与えたことになる。
16〜19世紀は小氷期と称される寒冷な時期が続くが、一様に気温が低いのではなく、温暖期と寒冷期が約40年の周期で繰り返す時代であったことが指摘されている。このことは、気候と漁況変動との関係性を予感させる。実際、水産学では近年、地球規模の温暖化などと結びつきながら、太平洋スケールでカタクチイワシやマイワシに代表される小型浮魚の資源量が数十年単位のダイナミックな変動を繰り返していることが指摘されている。
このような気候変動・変化は、他の回遊性魚類の資源量にも影響を与えているとされる。近世の内浦湾で確認された深刻な不漁期は、温帯域に生息するマグロ類の加入量を低下させる越冬場の低温期と合致している。とすれば、内浦湾沿岸地域の自然資源利用の変化は、数十年周期の気候変動の結果もたらされた漁況変動に対する地域社会の対応事例として位置付け直すことができよう。
この地域では、周期的に襲ってくる深刻な不漁が、19世紀前半にかけて連鎖的に「森林資源の過剰利用→獣害の増加→獣害防除対策の強化」といった回路を通して、地域の森林資源を徐々に食いつぶさせ、獣害の多発とそれに対する対策コストの増加を促した。数十年おきに到来する不漁期に耐え、それをやりすごす地域のレジリエンスは、19世紀前半の段階で限界に達しつつあったと評価できよう。
内浦湾では、20世紀初めに漁船の動力化に伴うカツオ一本釣漁の発展に対応して活餌イワシを漁獲・備蓄するアグリ網漁や生簀業などが立漁に代わって盛んとなっていく。それは、ダイナミックな資源変動から生じる影響を可能なかぎり抑えるべく、地域の自然資源を徐々に食い潰し、その限界に逢着したのちに見出した、この地域の新たな生き残り戦略のひとつであったと位置づけることもできよう。(了)

■図 沼津市江浦・内浦湾沿岸の村々

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