Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】最新号

第472号(2020.4.5 発行)

海外メディアに映る日本の商業捕鯨の再開

[KEYWORDS]日本の捕鯨/報道/反捕鯨国への説明
映画監督◆佐々木芽生

2019年に日本がEEZ内で商業捕鯨を再開したのをきっかけに、国内外で捕鯨を巡る議論が再燃した。
海外の反応は、概ね批判的だったが、捕獲数が減ることと南極海から撤退することを評価する声もあった。
捕鯨を日本の伝統と説明することが誤解と批判のもとになっている。
捕鯨が日本のアイデンティの一部であることを丁寧に説明していく必要がある。

海外メディアの反応の変化

ワシントン・ポスト紙より(2019年4月5日)

2019年7月1日、日本が排他的経済水域(EEZ)内で31年ぶりに商業捕鯨を再開したのをきっかけに、国内外で捕鯨を巡る議論が再燃した。海外の反応は、概ね批判的だったが、中には捕獲数が減ることと南極海から撤退することを評価する声もあった。さらに、これまでの一方的な批判記事ではなく、アメリカの一部主要紙が公平さに配慮した記事を掲載するようになったのは、変化の兆しとして注目したい。
日本の捕鯨が反捕鯨国から批判されてきた最大の理由は、大きく分けてふたつある。第一に、南大洋保護区である南極海で300頭を越えるクジラを獲ってきたこと。第二に、調査捕鯨と言いつつ実態は商業捕鯨で、「科学」を隠れ蓑にしていると見られてきたこと。商業捕鯨再開によって、南極海での捕獲も調査捕鯨も中止したので批判材料がなくなった。ノルウェーもアイスランドも自国の領海内で長年商業捕鯨をしてきたわけで、日本だけを批判しにくい状況になったと言える。
特筆すべきは、アメリカの主要紙ワシントン・ポストが、決して捕鯨賛成ではないが、日本の捕鯨に対して理解を示す特集記事を掲載したことだ。まず捕鯨船日新丸が4月に最後の南氷洋での調査捕鯨から下関に帰港したタイミングで発表された、「日本のクジラの町の不確かな将来」という記事(下図参照)。サイモン・デンヤー東京支局長が自ら下関を訪問して、日新丸の船員やその家族に話を聞き、クジラ料理の店を訪れ、南氷洋捕鯨の終わりへの地元の失望と不安を丁寧に取材している。また長門のクジラ博物館を訪れ、日本の捕鯨の歴史について詳しく説明している。さらに驚いたのは、記事のメイン画像に、17世紀の長門の捕鯨を描いた絵巻を使ったことだ。
今まで捕鯨の記事には、決まって血で真っ赤に染まる海や、捕獲したクジラが、甲板で腹を割かれて横たわっている画像や動画が使われてきた。捕鯨イコール「残酷」という印象が反捕鯨国で蔓延したのは、こうしたイメージ操作の結果と言える。ところがワシントン・ポストの記事では、絵巻以外にも一切残虐性を想起させる写真は使われていなかった。これまでの欧米の主要メディアにはない多くの新しい視点が盛り込まれている。
デンヤー支局長は、2019年9月には和歌山県太地町を訪れ、町のイルカ漁の解禁日の時の様子を取材した。「日本のイルカ漁、地域の伝統と世界の怒りの間の戦い」と題した記事(2019年10月14日付け)は、水族館用にイルカの生体を輸出していることに批判的ではありながら、太地町がイルカの生体販売からの高収入に支えられていること、また捕鯨は地元にとって400年前から生活の一部であることを紹介している。これまで活動家の声だけを拾う一方的な批判記事ばかりが目立った欧米の主要メディアで、支局長自らが遠く紀伊半島南端の太地町まで足を運んで取材する姿勢は評価すべきだろう。この記事でも太地町のイルカ漁につきものの血で真っ赤に染まる入り江の画像は、一切使われていない。

絶滅危惧とクジラ

太地町の小型鯨類追い込み漁(2015年撮影)©「おクジラさま」プロジェクトチーム

1970年前後に、欧米を中心とする反捕鯨国で始まった捕鯨反対運動は、“Save The Whales”というスローガンを掲げて広まった。Whaleの前にTheという冠詞を置くことで、クジラは一種類だけで、絶滅の危機に瀕しているという印象が定着した。実際には、鯨類は大小合わせて80種類以上存在し、その中でシロナガスクジラのように絶滅危惧種もいれば、南極海のクロミンククジラのように50万頭以上いる種もあるという単純な事実さえ無視された。日本が獲っているのは、絶滅危惧種ではないにもかかわらず、英語圏の記事には、必ずと言っていいほど Endangered(絶滅危惧)という言葉がさり気なく潜り込んでいた。
しかし、ワシントン・ポストの記事をはじめ、商業捕鯨再開の報道においてEndangeredという単語を含む記事は、減っていた。大型クジラの多くが増えているというニュースは、ここ数年アメリカでも頻繁に耳にするようになった。さすがに、日本が捕るクジラが絶滅危惧種とは言いづらい環境になってきている。そこを端的に指摘したのが、コーネル大学で海洋資源と生態系を研究するチャールズ・H・グリーン教授だ。19世紀半ばに創刊された一般向けの科学雑誌として最古の『Scientific American』に、「日本の捕鯨は、クジラ保護にとって最大の脅威ではない」という教授の意見記事が掲載された(2019年8月13日付け)。彼は次のように主張している。(以下要約)「―どこの国にも捕鯨に携わって欲しくはないが、アメリカやカナダの政府やNPOが、自分たちのことを棚に上げて日本を批判するのは偽善だ。国際社会が怒りを向けるべきは、北米の漁業と船舶業界である。日本が捕獲するのは、生息数が十分にある種だけで、適正な管理のもとで行われる商業捕鯨は、鯨類保護への影響はほとんどない。一方、北大西洋セミクジラは、絶滅の危機に瀕しているにもかかわらず、北米大陸の東海岸を北上する際に、80%が漁網に絡まる危機にさらされ、船との衝突も大きなリスクになっている―」。感情的に日本ばかりを標的にするのではなく、事実を基に、本当の鯨類保護のリスクはどこにあるかを見極めようという冷静な科学者の声だ。

「日本の伝統」という表現の危うさ

太地町のスーパーで販売されている鯨肉(2015年撮影)©「おクジラさま」プロジェクトチーム

捕鯨の報道では、科学や事実よりも印象操作が重要な役割を果たしてきた。その点で日本側の説明が、捕鯨を「日本の伝統」と言うことが誤解と批判の基になっている点を指摘したい。伝統という言葉の持つ意味が日本と欧米では違うからだ。日本人にとって伝統は、後世に残し伝えるべきものと考えるが、欧米人は、長く続いた伝統が今の時代に合っているかどうかを検証した上で、合わないものは時代遅れとして排除する。だから捕鯨は伝統だと主張すると、奴隷制度や切腹のように、時代遅れで野蛮だから止めるべきだ、と返されて議論は噛み合わない。
例えば、アメリカやロシアの極北に生きるイヌイットは、数千年の捕鯨の歴史を持つ。だからと言って捕鯨がアメリカやロシアの伝統とは誰も言わない。クジラを食べたことのない若い世代が増えている今、鯨肉を食べるのは日本の食文化とさえ言えない状況になっている。和歌山県太地町のように、日本の一部沿岸地域では、今も捕鯨を営み、特有の文化を守ろうとしている。こうした地域にとって捕鯨は食や雇用、経済だけの問題ではなく、祭りや供養祭、歌や踊りを通じて生き物への感謝を表す精神文化、つまり人々の誇りであり、アイデンティティであることを丁寧に説明していく必要がある。(了)

  1. 【参考】著者による映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』(2017)の詳細については、サイト http://okujirasama.com/及びhttps://www.cinemo.info/67mを参照ください。
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