Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第471号(2020.03.20発行)

ヴァイキングの切り拓いた交易ルート

[KEYWORDS]ヴァイキング/世界経済/交易地拡大
立教大学文学部史学科教授◆小澤 実

ヴァイキングは略奪活動を行った海賊としても知られるが、彼らが海を越えたのは交易のためだった。
イスラーム銀(ディルハム)を手に入れるためにスカンディナヴィアからその外の世界に進出を始めたヴァイキングは、やがてヨーロッパ大陸のみならず、北大西洋世界からカスピ海周辺に至るまでに交易ルートを拡大した。
交易が栄えることで故国はそのハブとなり商業地として発展し、交易によるネットワーク化によってヴァイキング世界は形成された。

ヴァイキングとは

8世紀後半から11世紀の半ばまでの西部ユーラシア世界では、それまで比較的地域内の活動にとどまっていたスカンディナヴィア人の活動が活性化した。一般的に私たちはこの集団をヴァイキングと呼んでいる。ヴァイキングの活動は、大きく分けて二つの方向性がある。
一つは、故郷であるスカンディナヴィア内部における国家の形成である。現在北欧にはデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・アイスランドの5カ国が存在するが、10世紀半ば以前のスカンディナヴィアにはそのような国家や国境はなく、豪族らが各地に割拠していたにすぎない。しかし10世紀半ば以降、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3国の中核となる王権が生まれ、現在の王室に連なる王国を形成した。
もう一つは北大西洋からカスピ海に至る諸地域への海外への展開である。8世紀以前もスカンディナヴィア人が海外に展開していなかったわけではないが、750年以降、彼らの展開スピードはそれ以前と比べて段違いに早くなった。スウェーデン・ヴァイキングは東へと広がった。バルト海を超え、ロシア水系へと侵入したヴァイキングは、ロシア平原に広がり、黒海をこえビザンツ帝国領へと侵入し、イスラーム世界でも活躍した。南へ展開したのはデンマーク・ヴァイキングである。イングランド本土とヨーロッパ大陸の河川を遡り、各地を略奪、そして定住した。私たちが知るヴァイキングの略奪活動である。
他方でノルウェー・ヴァイキングは西方へと向かった。彼らはイングランド北部からスコットランドの周縁部へ、そしてマン島からアイルランドの沿岸部に定住した。それのみならず、第二波は、ヘブリディーズ諸島を起点とし、オークニー諸島、フェロー諸島、アイスランド、グリーンランド、そしてアメリカ大陸へと至った。
このような、一見すると相対する二つの動き、つまりスカンディナヴィア内部が国家へと統合される動きとスカンディナヴィア外部へ展開する動きは、相互に連関しながら、「ヴァイキング世界」とでもいうべき、スカンディナヴィア人の言語と文化が広がる空間を紀元1000年前後のユーラシア西部に現出せしめた。

ヴァイキングの交易世界

それではなぜ、750年ごろを境に、ヴァイキングはスカンディナヴィアからその外の世界に拡大を始めたのだろうか。その理由の一つは、近年複数の研究者が注目するように、まさにこの時期にユーラシア西部からスカンディナヴィアへ、イスラーム銀(ディルハム)が流入し始めたことにある。つまり、ヴァイキングは、銀を求めて外の世界に広がっていったのである。
ディルハムの大量流通の背景にはいくつか理由がある。一つは、トランスオクサニア(ウズベキスタン地方)における銀鉱山の発見である。7世紀にアラビア半島に生まれたイスラーム教は、そもそも東ローマ世界のなかで誕生した新興勢力であり、彼らが用いる交換手段としての貨幣や価値体系も、東ローマ帝国のそれを利用していた。すなわち、ノミスマと呼ばれるローマ時代以来の高い品質を有していた金貨である。しかし豊かな銀鉱山が開発されて以降、イスラーム世界の通貨は質の高い銀貨に取って代わられるようになった。
第二に、特定の貨幣を流通させるイスラーム諸権力の拡大がある。もともとハザール民が割拠していたトランスオクサニアには、750年にバグダードを首都として成立したアッバース朝が拡大してきた。アッバース朝は、その支配地域のなかで独自のディルハムを生産し流通させていた。イスラーム諸権力は、貨幣に支配者の名前と発行年を刻むことにより、それが流通する空間に対する影響力を行使しようとしていた。この地域は、873年にアッバース朝カリフから現地支配の権限を委ねられたサーマーン朝の支配下に入り、サーマーン朝の貨幣が流通するようになった。その後、新興イスラーム王朝の台頭によりトランスオクサニアが混乱するまで、ディルハムのスカンディナヴィアへの流入は続くことになる。
第三に、イスラーム側とスカンディナヴィア側が欲しがる交換商品が、ちょうど合致したことにある。すなわち、奴隷、毛皮、海獣(セイウチ等)の牙など、イスラーム世界では入手が困難であり、しかしステータスを維持するために必要となる品々を、スカンディナヴィアは提供可能だったのである。
このようにしてスカンディナヴィアに流入した大量のディルハムは、社会全体を大きく変化させた。「ヴァイキング世界」のネットワーク化の観点から三点指摘しておきたい。
第一に、スカンディナヴィアと外部世界との間での輸出入量の増大である。すでに述べたように、スカンディナヴィア人は銀(当初はイスラーム世界から、10世紀末よりイングランドや大陸からも)や奢侈(しゃし)品を獲得するために、奴隷、毛皮、海獣の牙、琥珀(こはく)などを収集した。ヴァイキングの間で銀の需要が高まれば高まるほど、対価としての輸出品の量も増した。それは、輸出品の獲得のために、ヴァイキングが活動範囲を拡大することをも意味していた。地味豊かなイングランドや大陸のみならず、北大西洋世界からカスピ海周辺に至るまで、言語と船舶で繋がれたヴァイキング世界を成立せしめた。
第二に、商品獲得のための展開地域の拡大と拠点としての商業地の発展である。スカンディナヴィア内においても、デンマークのリーベやヘゼビュー、スウェーデンのビルカ、ノルウェーのスキリングサルというような交易地が、ディルハムが流入する750年以降、成長し始めた。それのみならず、古アイスランド語とスカンディナヴィア文化を一定程度共有するヴァイキング世界の各地でも、ダブリン、ヨーク、ルアン、ノヴゴロド、キエフといったマーケットと工房を伴う商業地が成立もしくは再活性化した。商業地は各地をつなぐハブとして機能し、ヴァイキング世界全体でそれら商業地を結ぶネットワーク化が進展した。
第三に、こうしたモノの取引量の増大とネットワーク化の進展に伴う社会の産業化である。銀と交換する奢侈品のみならずヴァイキング社会において生産されていた様々な武具や手工業品も、時代がすすむに従って、大量生産が求められるようになった。日用品、武具、装飾品のみならず船舶やルーン石碑にもその痕跡を認めることができる。ネットワーク化の進展は、本来自由農民が多数を占めていたと想定されるヴァイキング社会にも職能分化や階層分化をもたらしつつあった。こうした産業化により、工房を営む職人層が製品を作成し、その価値を認める在地有力者層が購入するという構造が「ヴァイキング世界」の中に出来上がっていたのである。(了)

■ヴァイキングの交易ルート(wikipedia 資料を改訂)

  1. ルーン石碑=ルーン文字で刻まれた石碑。中世期初頭以降、700~1100年頃に最も多く作られた。スカンディナヴィアではおよそ3千見つかっている。

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