Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第462号(2019.11.05発行)

セーリング競技支援から考える海洋情報の創出と活用

[KEYWORDS]海洋情報/海流・潮流観測/オリンピック
東京大学大学院新領域創成科学研究科海洋技術環境学専攻助教◆小平 翼

海洋観測の充実と計算機資源の充実により、近年、海の天気予報が精力的に行われ、その結果は船舶のウェザールーティング等にも活用されている。
観測および数値計算によって創出された海洋情報は海洋を持続的に利用する上で今後益々その重要性を高めると考えられる。
本稿では海洋情報の利用の一例としてオリンピック競技のひとつであるセーリング競技における取り組みを紹介し、海洋情報の活用について論じる。

オリンピックにおけるセーリングチームへの支援

東京オリンピックの開幕がいよいよ来年となった。セーリング競技は古くはヨット競技と呼ばれ、風・潮流・波の影響を頭に入れながら航行する、まさに自然と一体となった競技である。鍛え抜かれた選手たちの体力と操船技術も見所であるが、競技を特徴付けるのはやはり刻一刻と変化する気象海象を読み解く知的戦略性の高さであろう。
もし、レース海域で強風が吹く時間と場所を予測し、潮流の向きと強さが予め把握できれば、そんな予測情報は勝敗に直結する重要情報である。そのため、各国のサポートチームは情報収集に奔走している。彼らが本格的な風速センサや海流センサを用い、得られた情報を可視化しタブレット機器で確認している様子には驚く。
筆者が所属する研究室では2008年北京、2012年ロンドンでのオリンピックにおいて、レース海域での海の流れの情報を観測や数値計算に基づいてコーチに伝えることで、セーリング競技ナショナルチームのサポートを続けてきた(図1)。セーリング競技において最も重要となるのは風の情報に他ならない。しかし、レースでは風上に向かって帆走する際に右に進むか、左に進むかのコース選択を迫られる。その時に海流を活用するコースを選択できれば、そこに優位が生まれるからだ。

図1 ロンドン五輪レース海域付近の潮流観測の様子。写真手前は超音波多層流向流速計(ADCP)を搭載したトリマラン

レース海域の海洋情報の創出

一般にセーリング選手が求める気象海象情報は数キロ程度のレース海域における正確な予測であり、このニーズに応えることは非常に難しい。計算機は物理法則に則って流体の振る舞いをある程度予測することはできる。しかし、予測するためには過去あるいは現在の情報を把握する必要があり、予測する対象が狭ければ狭いほど、一般に空間的に高密度な観測を実施する必要がある。
ロンドンオリンピックのレース海域では、規則的な潮汐に連動した潮汐流が卓越していたため、予測の難易度は比較的低い海域であった。実際に、数値シミュレーションの結果(図2)とロンドンオリンピックのレース海域で潮流を観測した結果の比較からは、割合に良好な一致が見られた。
一方、東京オリンピックにおけるセーリング競技の実施が予定されている江の島周辺海域はロンドンオリンピックの状況とは全く異なる。江の島周辺海域は開放的な相模湾内に位置し、沖を流れる黒潮にも影響を受ける。また、相模湾では突発的な強い流れを伴う急潮と呼ばれる現象が稀に発生することが知られている。河川から淡水も流入しているため、雨天の影響を受けて沿岸付近の流れ場も変化すると考えられる。一方で規則的な潮流の強さは限定的である。
そのため、必然的に難易度は高くなり、予測に必要な観測は多くなる。幸い、相模湾はHFレーダーと呼ばれる表層流を面的に観測する機器によってモニタリングされている。しかし、既存のデータを用いた解析では、レース海域の流れに関して得られる情報は限定的であるとの結論を得た。東京オリンピックに向けた海流・潮流情報の創出は一筋縄ではいかないというのがこれまでの印象である。

図2 ロンドン五輪レース海域Weymouthの潮流シミュレーションの例

セーリング競技に必要とされる海洋情報

海洋情報の創出がひとつの課題であることは間違いないが、流れを正確に予測することが必ずしもセーリングチームの支援に直結する訳ではない。選手はレース中、対戦相手に優位な状況を展開すべく思考を巡らし、時々刻々と変化する風の状況を踏まえて瞬時の判断を重ねている。そのような状況の中で、風に加えて海の流れの影響も考慮するというのは至難の技である。また、風と違って海の流れは選手にとって体感し難い要素であり、流れの情報をレースの勝敗へと結びつけることは難易度が高い。
2012 年のロンドンオリンピックでは事前にセーリング競技の選手ならびにコーチの方々に海象予測による競技支援の取り組みを紹介し、その後選手の皆さんから意見を頂くという場を設けた。そこでは予測情報を詳細に伝えることでは足りず、選手の方々が関心を寄せる要素である潮止まりの時刻や「右海面有利」など簡単なメッセージも非常に重要であるということが確認できた。詳細な数値計算に基づいた天気予報も視聴者は結局のところ、傘は必要か、上着は必要かといったシンプルな情報に注目していることに似ている。

海洋情報の創出と活用

以上、セーリング競技支援における海流・潮流情報の創出と活用について述べてきたが、上述した内容はセーリング競技支援のみに限定されるだろうか。
仮に、日本沿岸の海ゴミを一斉に清掃することを例に考えてみよう。海の流れの特徴を踏まえていれば、恐らく効率的に作業を進められる。しかし、私たちはどれだけ詳細、そしてどれだけ広範囲に付近の海の流れを把握しているだろうか。セーリング、サーフィン、釣りや海水浴といった海洋レジャーにおける利用頻度が高く、かつ漁業の盛んな江の島付近でもその知見は上述の通り限定的である。マイクロプラスチックをはじめ海洋環境問題が叫ばれる中、沿岸の流れを広域にモニタリングし、海洋情報の量の充実を図ることの意義は大きいであろう。
また、海洋情報を受け取る主体がおしなべて情報を読み解けるとは限らない。専門家が創出する情報をより多くの人がより簡単に活用する方法を模索することは、海洋を持続的に利用する上で非常に重要な点だと考えられる。その際、メッセージがシンプルで明確であればあるほど情報の訴求力は高まると考えられるが、そのためには情報の高い確度が必要となる。
セーリング競技は数ある海洋における活動の一例であるが、本稿で述べた課題は海洋の持続的な利用を考えるうえで普遍性が高いのではないかと考える。(了)

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