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オーシャンニューズレター

第400号(2017.04.05発行)

世界最古の釣り針が語る沖縄旧石器人の暮らし

[KEYWORDS]貝製品/水産資源/旧石器人
国立科学博物館研究員(元沖縄県立博物館・美術館主任)◆藤田祐樹

今まで謎につつまれていた沖縄旧石器人の暮らしぶりが、サキタリ洞遺跡の発掘によって明らかになってきた。
それは、川でモクズガニやオオウナギを捕え、海に出かけて魚を捕り、貝殻を集めて道具や装飾品を作り上げる、思いがけない旧石器人の姿だった。
私たちの想像を超えて、彼らは水産資源に親しんでいたらしい。

沖縄旧石器時代の謎

沖縄県南城市サキタリ洞遺跡において、世界最古となる旧石器時代の釣り針(2万3千年前)が発見された。現代の漁業文化に直接つながるかどうかはわからないが、旧石器人もまた、漁労活動に親しんでいたと思うと、なんだか嬉しい。
旧石器人といえば、先端に石器をしつらえた槍を手に、ナウマンゾウなどの大型獣を狩猟する姿が人気である。それでは、大型獣のいない島では、旧石器人はどのように暮らせばよいだろう。海を越えて島に渡るのは、世界中に分布を広げたホモ・サピエンスの重要な特徴である。ならば、渡った先でも、どのようにかして暮らしていたはずである。これまで、東南アジアの島々では、旧石器人が海の魚や貝を利用した証拠が見つかっていたが、それ以外の地域では、ほとんど見当もつかないのが実情だった。
沖縄も例外でなく、約2万年前の港川人(みなとがわじん)をはじめ、数々の旧石器人骨が見つかるものの、不思議と旧石器の発見はごくわずかで、彼らの文化や暮らしぶりはよくわからなかった。そんな中、私たち沖縄県立博物館・美術館はサキタリ洞の発掘調査を行い、冒頭の発見に恵まれたのである。

世界最古の釣り針発見!

サキタリ洞は、沖縄島の南端、海岸から2kmほど内陸にある。雄桶川(ゆうひがわ)の流れが築き上げた複雑な洞窟群(玉泉洞ケイブシステム)の中で、ひときわ大きく開放的な空間を持つ(床面積約620m2)。東西に開く洞口からは、さわやかに風が吹き抜け、大きく開いた東側の洞口から差し込む南国の強い日差しは、洞内をやわらかく照らす。何しろここは、現在は洞窟カフェとして利用されるほど、居心地が良い。
その洞窟に、かつて旧石器人も暮らしていた。洞窟の片隅に残る、1万3千年前から3万5千年前におよぶ堆積層を調査すると、おびただしい数の炭やカニ、カワニナ遺骸が続々と出土しつづけた。やがて調査が2万年前の地層に至ると、断片的な人骨、そして海の貝も見つかった。この洞窟に旧石器人がいた、まぎれもない証拠である。
やや興奮気味に調査を続けるうち、ふと、貝殻がどれも割れていることが気になった。貝を食べるとき、私たちは貝殻を割ったりしない。不思議に思い、破断面を丁寧に観察すると、なんと木や竹を削ったらしい痕跡が認められた。石器製作に適した石が少ない沖縄島で、どうやら旧石器人は、貝殻を割り、削り具として使用していたのだ。小さな二枚貝に穴をあけたビーズも見つかった。待ち望んだ旧石器時代の道具や装飾品が、よもや貝製であろうとは、調査に携わる誰一人として想像していなかった。
驚きのうちに調査を続けると、ついに、くだんの釣り針が姿を現した。2万3千年前の地層から出土したその貝製釣針は、洞窟の暗がりでヘッドライトの明かりをうけ、虹色に輝いていた。半円形の弧を描き、一方の先端がとがっている。その形状から釣り針であると思い至ったとき、私たちは愕然とした。旧石器人はシカやイノシシを獲ると思い込んでいたが、まさか釣り針が見つかろうとは・・・。

サキタリ洞は沖縄島の南海岸から約2km内陸にある。約2万年前の寒冷期には海水面が低下したが、それでも海岸線から5〜6km程度だったと推測される。
東側洞口より見たサキタリ洞。写真奥の右手に発掘区がある。旧石器人が暮らした洞窟で、現代人はコーヒーを楽しんでいる。
(写真:藤田祐樹博士 所蔵・提供)

世界最古の釣り針。ニシキウズ科の貝の底面を割って、平らな部分を砥石で磨き上げて作られている。幅は14mm程度。
(Fujita et al., 2016, 写真:沖縄県立博物館・美術館 所蔵・提供)

旧石器人の食事を探る

どれほど意外な発見でも、釣り針が見つかったとなれば、旧石器人は魚を釣らねばなるまい。はたして、釣ったはずの魚骨など、遺跡から出ていただろうか。あわてて掘った遺物を見直すと、なんと2点の魚骨が含まれていた。普通なら2点ばかりの魚骨を重要視しないが、釣り針が見つかったのだから話は別である。他にも魚骨があるはずと確信し、掘りあげた土を全て洗い、細かい動物骨をすべて取り出して、来る日も来る日も、ふりかけのような小骨を分類する作業に明け暮れた。その甲斐あって、川にいるオオウナギや、海にいるブダイ、アイゴなどの骨が次々と見つかった。
とはいえ、魚骨は全部で数十点。遺物全体から見ればわずかなものである。それに比べて圧倒的多数を占めるのが、モクズガニとカワニナの殻だ。いずれも一部が焼け焦げており、食糧であったことは疑いがない。サキタリ洞の西側に流れる雄樋川で、捕えられたものだろう。夜行性のモクズガニを捕えるには、漁獲は夜間に行わねばなるまい。たくさん獲れたモクズガニを手に、夜道を遠くまで歩いて帰るのは、いささか面倒である。川沿いに大きな洞窟があれば、休みたくなるのが人情というものだ。かくして旧石器人は、サキタリ洞に休み、モクズガニに舌鼓をうったのであろう。

旬の味覚を楽しむ旧石器人

「舌鼓をうった」などと主観的な表現を使ってよいのかと、訝る方もいるかもしれない。しかし私たちは、沖縄旧石器人はカニの味を楽しんでいたと確信している。なぜなら彼らは、モクズガニが旬を迎える秋に限って、サキタリ洞を訪れていたからだ。
季節利用の証拠は、カワニナ殻に残されていた。季節に応じて水温が変化すると、河川水に溶存する酸素同位体比が変化する。その変化は、水中で成長するカワニナの殻にも反映されていく。さすれば私たちは、カワニナ殻の成長線に沿って1mmおきに酸素同位体比を調べ、成長がとまった時点、すなわち、ヒトに食べられた時点の水温から、季節を推測することができる。かような分析の結果、調べたカワニナの約7割が秋、残りの3割は夏に食べられていた。
豊かな川の恵みに育まれたモクズガニは、秋の夜に海で産卵するため、いっせいに川を下る。繁殖にむけて栄養を蓄えた彼らは、身もぎっしりミソもたっぷり、食べるに最高の時期を迎える。カニが美味しくなる季節を狙ったのなら、沖縄旧石器人は「モクズガニは秋に限る」と思っていたに違いない。
旬のモクズガニをご賞味召され、釣りもたしなむ旧石器人。それが、私たちの提案する沖縄旧石器人の姿である。槍を片手に大型獣に挑む勇猛果敢な旧石器人とは、ずいぶん趣を異にするが、かように優雅な暮らしぶりは、南の島によく似合う。郷に入っては郷に従え。大型獣の不在も石材不足も何のその。季節に応じて川の幸を食べ、海に出かけて魚を捕え、豊富な貝殻を集めて釣り針や削り具、ビーズを作る。旧石器人たちは沖縄の島で、豊かに暮らしていたようである。(了)

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