Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第397号(2017.02.20発行)

海洋酸性化の海洋環境・資源への影響

[KEYWORDS]海洋酸性化/炭酸塩飽和度/海洋生態系
(国研)海洋研究開発機構地球環境観測研究開発センター研究開発センター長代理◆原田尚美

海洋酸性化は、近年、温暖化に加えて深刻な全球規模の環境ストレッサーとされ、その進行の把握や海洋生物並びに海洋生態系への影響把握が喫緊の課題となっている。
温暖化による水温上昇、貧酸素化など他の要因と合わせて複合的な海洋環境ストレッサーに対する海洋生物の応答を定量的に評価するために、外洋や沿岸域の特に酸性化の懸念される場所を中心に監視観測を実施することが急務である。

海洋酸性化とは?

海洋酸性化は、近年、温暖化に加えて深刻な全球規模の環境ストレッサーとされ、その進行の把握や海洋生物並びに海洋生態系への影響把握が喫緊の課題となっている。海洋表層にCO2が溶け込むと水(H2O)と反応し、炭酸水素イオン(HCO3-)を形成する。その際、水素イオン(H+)が放出されるために海水の水素イオン濃度が増加し、その結果、水素イオン濃度を表す物理量である水素イオン濃度指数(pH:potential hydrogen)が低下する。全海洋表層水pHの平均値は約8. 1とアルカリ性であるが、徐々に酸性方向にpH値が変化していくさまを海洋酸性化と称している。2012年に開催された国連の持続可能な開発会議(リオ+20)の合意文書『The Future We Want』に於いて、各国が取り組まねばならない世界共通の課題として特に海洋酸性化がクローズアップされ、現場で何が起きているのか、社会的にもその基礎データ取得の要請が高まっている。

外洋と沿岸の海洋酸性化

■図1 世界の9つの時系列観測点におけるpH値の観測結果
(出典:Greenhouse Gas Bulletin: ISSN2078-0796より引用)

『Greenhouse Gas Bulletin 2014』 (世界気象機関発行)にて熱帯から亜寒帯域までの世界の9つの時系列観測点における海洋表層の長期pH観測結果が報告された(図1)。それによると、全球海洋における酸性化はpH値で年間0.0011〜0.0024の低下として進行しており、わが国の近傍である北西部北太平洋KNOT/K2(北緯47度、東経160度)で観測された年平均のpH低下速度0.0024は9つの観測点の中でも決して小さくない。
一方、わが国の沿岸域では北海道大学、東京海洋大学、筑波大学、琉球大学、水産研究・教育機構、海洋研究開発機構などが忍路(おしょろ)(北海道)、厚岸(北海道)、大間(青森)、宮古(岩手)、館山(千葉)、下田(静岡)、瀬底(沖縄)の7箇所で水中のCO2分圧やpH値の定点観測を実施している。沿岸域の大きな特徴は、1日の間でpHが大きく変化することである。pHの日周変動幅は場所や季節、大雨等の気象イベントや付近の富栄養化など様々な要因によって変わり、生物は1日の平均pHだけではなく、最小のpHにより強く影響を受ける場合があることが確認されている。加えて、現時点で西日本には観測定点が少ないことから、各沿岸域における定点観測網の充実と、日周変動を含めたpH動態の把握が急務となっている。

生物や生態系サービスへの影響

■図2 北極海にて採取された炭酸塩有殻プランクトン
翼足類の骨格の断面図。色が赤いほど骨密度が高く、青いほど密度が低い。
(図:木元克典(海洋研究開発機構))

生物への影響を考える上で重要な指標が炭酸塩飽和度(Ω)である。ある温度・圧力下の炭酸イオンの飽和濃度とカルシウムイオン濃度の溶解度積を分母に、現場の炭酸イオン濃度とカルシウムイオン濃度の溶解度積を分子にして計算する※1。1以上が過飽和、1未満が未飽和の状態であることを示す。Ωが未飽和になると貝やサンゴなど炭酸カルシウムの骨格を持つ生物が骨格を作りにくくなる上、溶解の恐れがある。地球上で最もΩの低下が懸念されているのが極域である。海氷が溶解することによる炭酸イオン濃度の希釈の効果によって、夏季において北極海表層水のΩが低下する。北極海の中でもΩの低下が特に著しいのがチュクチ海(表層pH値: 7.9-8.4、Ω:0.8-2.0)、シベリア陸棚域(表層pH値: 7.5-8.1、Ω:0.2-2.5)などの西部北極海やベーリング海(表層pH値: 7.9-8.3、Ω:0.7-2.9)と報告されている※2
真っ先に影響を被るとされる生物は微小炭酸塩有殻プランクトン、ホタテ、カキ等の貝類、エビやカニなどの甲殻類などである。微小サイズの炭酸塩有殻プランクトンは、全海洋の80%もの炭酸塩沈降量を占める世界最大の炭酸塩生産生物である。にもかかわらず、海洋酸性化に対する応答を定量的に評価する世界標準的な手法がないため、海洋酸性化に対する影響評価が全く行われてきていない。そこで、炭酸塩有殻プランクトンの海洋酸性化に対する応答を定量的に評価するために、最近、東北大学と海洋研究開発機構がマイクロX線コンピュータトモグラフィーによる炭酸塩殻の骨格密度を計測する手法(MXCT)を新たに開発してきた。最新の成果によると、北西部北太平洋K2で採取される浮遊性有孔虫や北極海の翼足類※3の炭酸塩骨格密度は大きく季節変動し、pH変化に連動して最大で40%も低下することがわかってきた(図2)。
とくに稚貝が発生する時期にΩの低下が見られると成長不良となり、バイオマスの減少をもたらすことが懸念される。翼足類等は、サンマなどの回遊魚の餌となっており、外洋の食物網を支える底辺の生物が危険に晒されている。一方、わが国の沿岸域では貝類の養殖が盛んであり、例えば、北海道では水産資源の水揚げの25%がホタテガイで占められる。たとえΩが1以上の飽和状態にあったとしても、変化することそのものに対する耐性が弱く、Ωの大きな日変化がホタテやアワビ等の稚貝の成長期にあたると成長阻害が生じる可能性があり水産資源への影響が懸念される。
生態系サービスには、水産資源に加えて、観光の視点も含まれる。代表的な例はサンゴ礁である。日本近海では、石西礁湖のサンゴ礁が2007年の夏の高温によって、大規模な白化が生じ、約3分の1にまで減少したことが明らかとなった。加えて、海洋酸性化の進行によって、今世紀末の沖縄周辺では、優占するサンゴの種が造礁サンゴから礁を形成しない種に変わる可能性も指摘されている。サンゴ礁は漁礁を兼ねた豊かな生態系を持つことから、造礁サンゴ生態系の崩壊は、漁業や観光資源として生計を立てる人々の暮らしに大きな打撃を与えかかねない。

終わりに

自然科学者による、温暖化による水温上昇、貧酸素化など他の要因と合わせて複合的な海洋環境ストレッサーに対する海洋生物の応答を定量的に評価するために、外洋や沿岸域の特に酸性化の懸念される場所を中心に監視観測を実施することが急務である。加えて、飼育実験や生態系モデルを駆使して、その将来像をも定量的に予測するとともに、人文社会・経済学者による水産資源や観光資源への経済的影響評価などと合わせて多面的な評価結果に基づく適応策を検討していく必要があろう。(了)

  1. ※1カルシウムイオン濃度はほとんど変化しないため値を無視する場合が多く、炭酸イオン濃度の比として計算できる。
  2. ※2Arctic Monitoring and Assessment(AMAP): Arctic Ocean Acidification 2013
  3. ※3翼足類=有殻翼足目に属し、プランクトンとして海中を漂って一生を送る。一般的に、様々な形の炭酸カルシウムの薄い殻を持つが、殻を持たない種(例:コチョウカメガイ類)も存在する。翼足と呼ばれる左右に分かれた器官を使って羽ばたくように泳ぐ。翼足の付け根の繊毛を使って摂餌する。

第397号(2017.02.20発行)のその他の記事

ページトップ