Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第396号(2017.02.05発行)

楽じゃないけど楽しい未知への挑戦~手作り水族館から有明海の再生へ~

[KEYWORDS]有明海再生/絶滅危惧種/手作り水族館
やながわ有明海水族館館長◆小宮春平

柳川掘割の在来魚や筑後川のソウギョなど有明海の生き物などを集めた「やながわ有明海水族館」が2016年10月に柳川市にオープンした。
やむを得ない事情で閉館することになった水族館を、有明海の再生を目指す学生が主体の「有明海塾」が引き継いだ。
小さな水辺の水族館を中心とした若者の繋がりを、自然環境を守る輪に成長させていきたい。

消えゆく自然の中で絶滅危惧種は何を見る?

自然は消えつつある。街中のビオトープの多くが本来あるはずのない「外来の歪な生態系」を移植したもの、川を泳ぐのは大陸産のコイのみ、山は生物多様性に欠ける人工の杉山だったりする。それらを見て「自然」と感じる人も多い。自然の消失とは、環境悪化のみならず、そういった人の感覚の劣化も意味していると私は考えている。
その最たる例が、環境問題を自らとは別の世界の問題と捉えている点だ。森と人(里)と海を水が繋いでいるのは紛れもない事実だ。有明海の環境問題は広範囲に渡っている。例えば、福岡市民が使う水の3割以上が有明海の命の源である筑後川から取られている事実をどれほどの人が自覚しているだろうか。経済の成長に伴い、子どもたちの遊び場となる水辺も著しく減った。かつての遊び場は今では危険な立ち入り禁止区になり、その結果、魚の釣り方やザリガニの持ち方も知らない小学生が大多数だ。体験だけではなく、食生活も自然と密接にリンクしている。しばしば口にする白身魚のフライがアフリカ産ナイルパーチであることはあまり知られていない。その魚がアフリカの湖で壊滅的な外来種問題と環境破壊を引き起こしていることなどなおさら知らないだろう。
環境への無関心を私はしばしば実感してきた。熊本県荒尾干潟で体長1mのシロザメを捌いていた時、地元の子どもたちは「グロい」や「可愛そう」などと言った。日々生き物を食しているのにも関わらず、食卓に並ぶ切身と目の前で解体された鮫は別物なのだろうか。私は「誰かが捌いてくれているから、皆は魚や肉を食べられるんだよ」と言うしかなかった。自然や生き物への関心が薄れてしまっては、その再生を訴えても他人事になるのは当然であり、この無関心こそが環境問題解決への最大の障害だ。今後、ますます自然離れが進むと、いっそう深刻になるだろう。多くの生き物が絶滅の危機にさらされるなか、自然で遊ぶ子どもたちも絶滅危惧種になってしまった。

有明海塾水族館構想

■写真1 近藤潤三氏から若者世代(左、筆者18才)へつなぐ水族館の継承■写真2 有明海再生への挑戦の拠点「やながわ有明海水族館」

2015年8月、高校生や大学一年生が主体となって、有明海の再生を目指す「有明海塾」が発足した。その前年から有明海の海と山を繋ぐヤマノカミ(有明海特産種※1)を個人的に調査していた私(その時高校3年生)は、たまたま知り合った福岡県立伝習館高校生物部の仲介で、初期メンバーとして参加させてもらった。有明海塾を通して、大学の筑後川稚魚調査への参加や、今まで一切接することのなかった多様な分野の先生方の話を聞き、ようやく私はことの重大さを理解した。「豊饒の海」が失われた話は、テレビや新聞で度々見かけていた。しかしながら、話の本質はなんら理解していなかったのだ。有明海産だと思い込みながら、外国産の海産物を食べ続けてきた。昔の有明海の素晴らしさを知ってしまうと、その海をどうしても見たくなった。海外の海や川も、憧れの魚も、遠いだけなら辿り着ける。しかし失われてしまった豊饒の海は、目の前にあったはずなのに今は見ることができないのだ。荒廃してしまった流入河川の流域全てを含む有明海の再生。いつしかそれが、私の目標になっていた。数多くの方々と知り合い、仲間が見つかり、多様な生き物と接するなかで、自ら道を作っていく。決して楽ではないけれど、未知の未来を拓く楽しい道の入り口に辿りついた気がした。
そのようななか、有明海塾内で学び=遊びの場としての「水族館」の必要性が囁かれるようになった。しかし、学生集団だけではあまりにも無力だ。理想はあってもその実現はあまりにも険しいものだった。そんな状況でなぜ水族館構想が現実のものになったのか。それはもちろん、場を提供して下さった有明海を育てる会会長の近藤潤三さん(元筑後中部魚市場長)のおかげである。2016年6月に、近藤さんが2010年に私財を投げ打って開設された『おきのはた水族館』が、やむを得ない事情で閉館することになった。有明海塾の母体であるNPO法人SPERA森里海・時代を拓く(以下SPERA※2)に「水族館を引き継がないか」という提案がなされた。そのときの条件は「若者が主体となって運営するなら」であった(写真1参照)。
2016年8月6日、学生たちによる水族館作りが始まった。既設の水族館施設を借り受けての出発とはいえ、マイナスからのスタートとなった。物で溢れる館内の片付け、海水によって腐食してしまった機材や錆びきった備品の数々、作業は難航した。SPERAや鳥取の大学に進んだ有明海塾の仲間の助けも借り、床や階段を塗り直し、何とか先が見えてきたのは9月中旬であった。同時並行的に生物採集も進めた。柳川掘割の在来魚や筑後川のソウギョから、沖縄のオオウナギまで、作業の合間を縫って採取のため各地を駆け回った。継ぎ接ぎの拙い完成度だが、水槽や設備、展示する生き物もなんとか集まった。多くの方々の協力のお陰で、10月15日に、北原白秋生家近くの掘割の水辺に『やながわ有明海水族館』※3(写真2)として、オープンにこぎ着けることができた。

小さな水辺の水族館から世界へ風を

横の繋がりは大きな問題を解決する力になることも学んだ。伝える場としての水族館の出発は、多くの人々が変わる「きっかけ」の場になるのではないだろうか。現に次々と環境問題を憂う若者達が集い始めている。たとえそれは小さくとも、悪循環を断ち切るきっかけとなるに違いない。もちろん、そのためにはさらなる工夫と努力が必要だ。若者の発想で自由に作り上げる水族館、こんな機会を頂けることなど二度とないかもしれない。
2016年、私は初めて有明海のタイラギ(大型の二枚貝)を見つけた。足の裏に突き刺さったタイラギを見て、痛さと嬉しさで涙したものである。佐賀県太良町の干潟再生実験区では今まで見たことがないくらいのアサリ稚貝が発生した。それはさながら、かつての足の踏み場がなかったほどの密度であった頃のようにも思え、小さな実験区内の出来事でも嬉しかった。もしかしたら自然の流れも変わりつつあるのかもしれない。
水族館では、研究者や漁師などを招いて、ここだからこそできる教室を開く話も進んでいる。魚好きの子どもたちの遊び場にするアイデアも生まれつつある。そして今、私は各地にいる面白い若者たちを集め、新たなアクションを起こす計画を温めている。内容は福岡、佐賀、鳥取、静岡など各地の生き物オタク達を、水族館の2階に集めて、若者らしい何らかの化学反応を起こそうというものだ。これがこの手作り水族館から世界に向けての最初の風になるかもしれない。この若者の繋がりをいずれは自然環境を守る輪に成長させていくことが、私の密かな野望でもある。(了)

  1. ※1有明海特産種:わが国では有明海にのみ生息する種。同種あるいは極めて近縁な種が中国大陸沿岸域に生息する。
  2. ※2NPO法人SPERA森里海・時代を拓く:柳川に本拠を置き、森里海連環の理念のもとに有明海の再生を目指す特定非営利活動法人(2013年設立)
  3. ※3やながわ有明海水族館通信ブログ http://ameblo.jp/ariakekaijuku/

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