Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第390号(2016.11.05発行)

ポリネシアの孤島、プカプカ環礁のレジリエンス

[KEYWORDS]環礁/モトゥ(共有地)/レジリエンス
慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室教授◆山口 徹

南太平洋の真ん中に浮かぶプカプカ環礁。このポリネシアの孤島には、島の資源を回復するために村にはモトゥとよばれる共有地を設ける試みがある。
サイクロンなどさまざまな自然災害から生き残るための知恵をそこから学びとることができる。

資源の保護と共有

■写真1 マタアラの小屋でパンダナスの葉をなめす女性

—ココヤシの木立を抜けてタロイモの天水田をわたるそよ風が、発掘調査で火照ったからだに心地よい。掘り下げたトレンチから横に目をやると、トタン屋根の下に腰かけた白髪の女性が、乾燥させたパンダナスの葉を小刀でなめしている(写真1)。帽子やござを編むための下準備である。細長い葉を慣れた手つきでさばきながら、その女性はさりげなくこちらの様子をうかがっている。—
ここは、南太平洋の真ん中に浮かぶプカプカ環礁。クック諸島の首府、ラロトンガ島から1,300kmほど離れた赤道直下のサンゴ礁の島である。目を閉じると浮かんでくるこの情景は、1995年におこなったマタアラでの発掘調査の記憶だ。島に3つある村のひとつ、ロト村のモトゥ(共有地)への入り口で、ここまでくると村の喧騒は聞こえない。
モトゥは1年のうちの限られた期間しか開かれない。その時期を決め、集める食料の量を人びとに割り当て、タロイモの耕地を新たに区分けするのは、首長が主催する村会である。ポリネシアの島々は系譜社会であり、土地の保有や資源利用が親族組織を単位に営まれることを踏まえると、この仕組みはとても珍しい。親族組織をこえる村レベルの管理によって、ひとり当たりの食料配分の平準化が効率的に計られていると評価できる。
人が入らないあいだにココヤシはたわわに実をつけ、タロイモが大きく育つ。島の人々の大好物のヤシガニもまるまる太る。だから、資源保護区といっても差し支えない。ただし、モトゥが閉じられているあいだは、村の掟が破られないように、プレという見張りが見廻る。マタアラという地名はまさに「見張り小屋」という意味で、番屋が立つ場所のひとつなのである。普段は入れないその場所を、村の若者たちといっしょに数週間にわたって発掘していたのだから、白髪の女性はきっと私たちがモトゥの奥に勝手に入らないか見張っていたのだろう。

暮らしを支える天水田

■写真2 落ち葉を集めて天水田の緑肥にする老人

オセアニアの貿易風帯には、西はパラオ諸島から東はツアモツ諸島まで環礁の島々が数多く点在する。サンゴ礁原の上に形成された州島(すとう)が首飾りのように連なり、濃紺の外洋からマリンブルーのラグーンを限りとる景色は、楽園オセアニアの典型のように見える。ところが、州島の大半は海抜3mをこえず、その幅もせいぜい2km弱にとどまる。完新世中期に海面から顔を出した離水サンゴ礁の上に、砂礫が堆積しただけの不安定な陸地である。
地質学的には若い陸地だが、2000年も前から人間が住み始めた環礁を調査したことがある。東ミクロネシアのマジュロ環礁である。そのころの州島は海面の上に顔を出してから数百年ほどしか経っておらず、幅は現在の半分ほどだった。海鳥や海流によって運ばれた種子から潮風に強い植物が根を張り、その潅木のあい間にココヤシが育ち始めてはいたようだが、人間の生存には厳しい状況だったにちがいない。それでも、そこに住み始めた人びとは自然に翻弄されていたわけではない。州島の地下にしみ込んだ海水の上に比重の軽い雨水が帯水することによって、レンズ状の断面をもつ地下水層が形成される。この淡水レンズを利用するために、州島中央の湿地を掘り下げ、ココヤシの葉や海鳥の糞を肥料にして土を作り、サトイモ科の根茎類を早くから栽培してきたのである。マジュロ環礁ではミズズイキ類が、プカプカ環礁ではタロイモがこうした天水田で今も栽培され、ココヤシとともに島の暮らしを支えている(写真2)。

自然災害に対応する力

ポリネシアの中央に位置するプカプカ環礁の初期居住はマジュロ環礁に比べると新しく、600年前までしかさかのぼらないが、それでも10haを超える天水田がロト村のモトゥのなかに広がっている。自然の営力と人間の営為の絡み合いが生み出した歴史的産物であり、その景観にさまざまな伝承が語られる。伝承の1つは、今から10世代以上むかし、大きな津波か嵐の高潮被害によって生じた食糧難の時期に、生き残った島民たちが1つの州島に集まり、土地や資源の配分を島全体で合議するようになった経緯を今に伝える。後に3つの村に分かれたが、共有地モトゥの仕組みはこの出来事に由来すると考えられている。
ところで、地球温暖化によって2100年までに55cmの海面上昇が見積もられるなか、環礁州島の浸食や水没が懸念されている。しかしそれ以上に、島民の暮らしにとって喫緊の問題は、温暖化に関連する気象イベントの激化である。特に、サイクロンの連鎖的な発生や干ばつの長期化によって、大事な天水田が塩害を被ってしまうと、タロイモ栽培が長期にわたって阻害されるだろう。
プカプカ環礁は大きなサイクロンに襲われたことが過去に何度かある。1973年のサイクロンはその1つであり、翌年は追い打ちをかけるように降水量が少なく、タロイモやココナッツの収量が数年にわたって減少してしまった。その厳しい状況のなかで3つの村の区分が解かれて、タワ・ラロ(西側)とタワ・ンガケ(東側)の2つに分け直された。島のすべてのモトゥも、これに合わせて2分された。この仕組みは現地でアカタワと呼ばれる。もちろん、別の村の島民が自分たちのモトゥに入ることにストレスが無いわけはなく、アカタワは1年ほどで解消されたようだ。それでも、一部の村が限られた資源を独占するのではなく、より広い範囲で分け合う仕組みだったことは間違いない。それは、環礁社会のレジリエンス(回復力)のあり方としてとても興味深い。
実は2005年の初頭に、5つのサイクロンがクック諸島近海で発生した。とくにプカプカ環礁を直撃したサイクロン・パーシーは、カテゴリー5に達した大嵐だった。その高波と暴風雨によって90%以上の家屋が全壊し、ほぼ全島民にあたる600名近くがニュージーランド空軍の救援でラロトンガ島に緊急避難したという。島の生活は壊滅的なダメージを受けた。それでも6年後には、多くの島民が帰還をはたしている。
島の生計を支えてきたタロイモ天水田はどれほどの被害を受けたのだろうか。塩害の影響は今も残っているに違いない。帰還を果たした島民たちはアカタワを復活させただろうか。1995年に出会った人々の顔が浮かんでくる。みんなが元気か確かめたい。そして、生き残る知恵を学びたい。環礁社会のレジリエンスをテーマに、調査プロジェクトを立ち上げようと考えている。(了)

  1. "Five weeks of fury: the story of the 2005 cyclones."http://www.cookislands.org.uk/5cyclones3.html

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