Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第389号(2016.10.20発行)

「水辺空間の開発」に想う

[KEYWORDS]水辺空間 /天王洲アイル/水上レストラン
国際物流総合研究所主任研究員、元寺田倉庫取締役・天王洲総合開発協議会事務局長◆小泉武衡

1980年代に休眠倉庫等の施設を再活用しようとする、いわゆる「ウォーターフロントブーム」がおこったが、当時の運河は「物流のための用途にしか開放されなかった」ため、水辺の利用を行政が認め、「運河に浮かぶレストラン」が生まれるまでに10年近い長い月日がかかった。
当時の交渉のいきさつや経緯を紹介しつつ、今後も水辺の新しい魅力を発見し、地域振興が進むことを願う。

ウォーターフロントブーム

江戸は「水の都」と言われ、海はもちろん、河川や、造成された土地の周囲や掘削されてつくられた運河を通して、水路により、日本全国から、大消費地江戸に大量の物資が運ばれてきました。
鉄道や道路が未整備な1940年代においても、岸壁に接岸された船や「はしけ」から人力で陸揚げされた貨物を、岸壁の倉庫に保管するという方式が一般的でした。しかし、高度成長期に入り、輸送手段や交通網が整備されてくると、岸壁の倉庫は利用価値がなくなり、衰退していきました。
そのようななかで、水際の素晴らしさに着目した人たちが、休眠倉庫等の施設を再活用しようと活動をはじめ、1980年代後半にいわゆる「ウォーターフロントブーム」がおこりました

天王洲アイルの開発

空から見た天王洲アイル

1985年には、「天王洲アイル」(品川区東品川二丁目)の再開発計画が具体化され、天王洲総合開発協議会が設立されました。22ヘクタールのこの地に拠点を置く22の地権者(当時)による、民間主導型の地域再開発が始まりました。この地は、当時は倉庫や工場が立ち並ぶ「準工業地域」でしたから、オフィスビルや商業施設の再開発は、当面は不可能でした。交渉の結果、用途地域が「商業地域」に変更され、公開空地や住宅地を付置することで容積率を400%から500%にアップし、再開発が許可されました。ただし開発許可の必須条件として、各開発地権者による「耐震護岸整備とボードウォーク(遊歩道)の設置」(500万円/m)や「地域内の道路整備(幅員8mから11mへの増幅による民地拠出)」、さらに、各ビル間を結ぶ「スカイウォークの設置」、「地域冷暖房システムの整備」などがあげられ、地権者にとってはかなりの負担となりました
1991年に第一号の商業ビルが竣工し、1992年に地権者の費用負担(55億円)により、東京モノレールの天王洲アイル駅が開設され、再開発は軌道に乗ってきました。
天王洲アイルは周囲を運河(水面)に囲まれているため、その魅力をさらに伸ばそうと水辺の利用についても申請をしましたが、当時の運河は「物流のための用途にしか開放されなかった」ため、申請は通りませんでした。その後、われわれの地道な運動が徐々に行政側に認知されるようになり、当時の石原慎太郎東京都知事が、「水の都東京の再生」を掲げて、「東京港の運河域において、観光資源という新たな視点を取り入れ、この貴重な水辺空間を多くの人が楽しみ、憩い、集える賑わい空間に再生させる『運河ルネサンス』に取り組む」と宣言し、2005年に「品川浦・天王洲地区運河ルネッサンス協議会」が登録・許可されました。以後、各地権者による「水辺利用プロジェクト」が活発に動き出しました。

初めての運河に浮かぶレストラン

天王洲アイルに誕生した水上レストラン

こうした背景から、寺田倉庫においては、まずは運河に面した旧倉庫を改造した地ビールレストランを1997年にオープンさせました。「水辺からの眺めが日本じゃないみたい!」ということで、外国人シェフの料理の人気と相まって、天王洲アイルに多くある外資系会社の人たちに好まれ、日本の若者たちを含めての評判のスポットとなりました。
これでようやく1980年代からの念願であった「運河に浮かぶレストラン」に再チャレンジできることになったのです。
当初は、使わなくなった「はしけ」の再利用という案で申請しましたが、行政側から、設計図面の要求があり、そのようなものが存在しませんので、手間とコストを勘案した結果、計画を変更して「24m×8mの新造台船とその上に設置するレストランという二重の建造物」としました。ところがこのもくろみが、おそらく日本で初めてということで、計画が暗礁に乗り上げました。本建築物は船舶安全法と建築基準法・消防法の対象となり、審査するのがどのセクションなのかが決まらず、役所間を往き来していました。最終的には、水面上は「市街化調整区域」であるため、都市計画法43条1項の規定による建築物の新築の許可申請を行い、何とか品川区より許可を得ることができました。
また、道路接合面積不足の関係から、既存レストランの増築として建築基準法における用途不可分の一体建物扱いで計画しましたが、一般的な陸上の建築物と同様に消防関連法規の適用を受けることとなりました。
本建築物はその形状の特殊性により、一般の建築確認審査機関では対応できないため、当方の申請審査のために急遽組織された(財)日本建築センターの「海洋建築物(水上レストラン)構造特別審査委員会」に構造審査を依頼しました。その評定結果をもとに、ようやくのことで、国土交通大臣の「認定書」を受け、構造方法または建築材料について法的に適合することが正式に認定されました。
上記審査や法的問題をクリアした結果の構造・建築図面をもとに、東京都港湾局港湾経営部と、水域占用面積、料金の交渉を行い、水域占用が確定しました。これまでに基準となる金額が無いため、初めは陸上の駐車場並の金額での申し入れがありましたが、文字通り背水の陣で交渉した結果、超大幅な減額を勝ち取ることができました。水域占用料取り決めに際しては、都議会の承認が必要でしたが、こちらは問題なく通りました。
すべてのことが初めてでしたが、複数の行政の管轄が複雑に入り組んで完成したこの施設は、船と水面の境をあらわす「WATER・LINE(喫水線)」と命名されました(現在は天王洲のランドマークとして「River Lounge」に名称を変更)。

これからの水辺空間への想い

以上、当時のことを思い出しつつ、地域開発と水域利用についての交渉のいきさつや経緯について述べてきました。開発当初の厳しい規制に比べて、最近ではスムーズに許可申請の流れができているようであり、地域で企画立案された新しい試みにより、次々と新たな魅力を増し、地域興しが進めば、これに勝ることはありません。
日本は狭い国土の周囲を海に囲まれており、河川や湖なども至る所にあるので、「水辺の素晴らしさ」は当たり前のことと受け止められがちです。そうした中で「水辺の魅力」を知ってもらおうと行われる祭やフェスタといった行事を起爆剤に、その地域にある常設(コンテンポラリー)の施設等にも「こんなものもあるのだ」と足を止めて、新たな認識をインプットしてもらい、何かの機会にまた訪れてもらえるという、テンポラリー(一次的)からコンテンポラリー(恒常的)へと吸引力を強めて行く「仕掛け」がうまく機能していけば、年間を通しての水辺の賑わい空間を作ることができると思います。多様性を求めあう「プラス思考の行く末」を信じたいと思います。(了)

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