Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第387号(2016.09.20発行)

東京湾の精神分析

[KEYWORDS]東京湾/環境心理学/精神分析
東京大学海洋アライアンス特任研究員◆杉野弘明

東京湾を自立した有人格の生き物(有機体)として精神分析を試み、無意識レベルで見いだされた心理学的問題(コンプレックス)を紹介してみたい。
東京湾を一つの有機体として捉え、その課題解決や発達を考えるのであれば、人間の発達支援現場においてコンプレックスを含めた当人の個性を考慮して考えるのと同様に、東京湾が抱えるコンプレックスを含んだ個性を考慮していくことが重要である。

はじめに

海に行く。正確には東京湾に行く。最近、私は毎週のように東京湾に行っている。研究者としての調査目的というのもあるが、私個人として、東京湾に会いに行っている、という表現の方が言い得ていると感じる時もある。何がそんなに自分を惹き込むのか、という問いから出発して、いろいろと思いを巡らしてみると、自分の中でいくつかのことで腑に落ちたことが出てきたので、これを機会に書いてみようと思う。紙幅の関係上、すべてを議論し尽すことは叶わないが、今後の議論を開いておくための一種の研究ノートとして残しておきたい。

なぜ、東京湾に(会いに)行くのか

三番瀬の水面(2015年11月1日、筆者撮影)

「なぜ、東京湾に(会いに)行くのか?」と問われれば、その答えは「面白いから」であるが、どのように面白いかと自問自答してみると、どうやら海や東京湾に自身が研究する心理学との共通点を見出しているらしいことが浮かび上がってきた。そう思えるようになったきっかけは、海の研究に携わりはじめて数か月後、ようやく見つけたフィールドに身を置き始めた頃だ。干潟のクリーンアップ作戦や調査をしているNPOの方々の活動に参加させて頂けるようになり、まずはあまり先入観や仮説など、そういったものを持たずに、活動の参加者として現場に入ろうと、気を付けながら現場へと向かった。目の前の人工的な護岸の先に、一見して穏やかな水面が広がっていた。風はあまりなく、波もゆるやかに揺れていた。そんな海の姿に少しの間目をこらしていた。干潟の潮が満ちている状態であるから、そこまで水深は深くない。けれども、底は見えない。それどころか、日の照り返しや、ゆらゆらとちらつく波に邪魔されて、本当に表層しか目に映らない。護岸から、身を乗り出して、少し先の底を見ようとする。石が積まれているのがなんとなくわかる。手を伸ばして石に触ろうとすると、11月のわりには冷たくない水が肌を包む。手が伸ばせる範囲、これが護岸から水の中に触れるには精一杯の距離だった。水面は目に見え、観察可能であること。しかし、それは光の反射や屈折によって往々にして定常的に揺らいでいること。水面の中に目を凝らすことはできるけれども、深く、深いところには及ばないこと。水の中にも少しは体を差し込み触れることはできるけれども、自分の身体の限界が存在すること。これら全ての要素が、海と人の心理の共通点である。

東京湾を心理学する

ところで、もともと心理学とは個人心理学として発達したものであり、その研究蓄積の多くは人間を対象としている。しかし、人間が生きていく上で不可分である人間を取り囲む環境を系に含め、人間‐環境系を問題意識に据える環境心理学と呼ばれる分野も存在する。私は現在所属している東京大学の海洋アライアンス(海洋に関わる教育・研究活動を学問分野・部局横断型で行う機構)において、この環境心理学における理論や手法を応用し、自然環境としての海に対する人々の意識調査を通して、海の保全や開発、漁業やその他の活動を巡る合意形成などといった課題の解決に資するための研究を行っている。
心理学というと、多くの人々がフロイトの精神分析を思い浮かべることだろう。精神分析ではカウンセラーとクライアントが一度切りではなく、何度も何度も顔を合わせ、セッションを重ねていくことで、無意識のレベルにある心理学的問題(コンプレックス等)を見つめていく。このフレームワークは自分と東京湾にも当てはめることができる。何度も、何度も東京湾に出会い、長い関わりを通して、無意識を浮き彫りにしていく。この時、環境心理学の相互浸透作用論(transactionalism)(人間と環境を要素分解せず不可分な全体的構造(gestalt)として捉える視点)では、私が東京湾と出会っている海"際"において生起する事態を、私の生活文脈における体験的意味を失わない場所(place)における相互浸透作用(transaction)として捉えようとする。しかし、人間と海の在り方を考えると、海という自然環境は人間にとって非可住領域であるため、人間の生活そのものに対して常駐的に"囲むもの"として存在する部屋や建物、都市に対する人間の在り方とは少し違い、むしろ先に述べたクライアントとカウンセラーの在り方そのものに近いと言える。すなわち、このプロセスは、お互いはお互いの人生に一定の隔たりを持った自立系(subject)として生きていながらも、まさにセッションという限定された時間と場所において、意識的にお互いの境界("際")を"揺り動かす"ことで初めて"包括"が意識されるような形で、自分も東京湾も照らし出されていくものである。
このような自分と(私以外の東京湾に関わる人々も私から見た環境として含む)東京湾の共同主観的(transsubjective)な立ち入りは、すなわち両者それぞれが"揺り動かされながら"も"包括される"様(揺包的様相)を、思考的な関係の中でパノラミックに知覚する手法である。

東京湾の無意識

では、東京湾の無意識と言ったときにどのようなものが浮き彫りになってくるのか。以下にこれまでの私と東京湾の出会いから見いだされたいくつかの事項を紹介する。

  1. 1)都市的コンプレックス:東京湾は大都市圏に隣接する水域である。都市には往々にして激しい人々の流出入が見受けられるため、東京湾のヒストリーと住民のヒストリーがしばしば重ならない事態が生じることがある。また、それだけではなく、集団(人と人)や場所(人と東京湾)の記憶や想いに差異を生じさせ、東京湾に対する認識の違いや意見の相違を形成する。
  2. 2)ゲシュタルト的コンプレックス:東京湾上は人間にとって非可住領域であるため、"地"となる東京都市圏と"図"となる人々の生活が織りなすゲシュタルトの"際"として海岸(護岸)線が存在する。東京の人々の生活と東京湾は、現在明確な"際"の内と外の関係性を持っており、また穏やかな内湾であることを受けて外圧が低い状況下において、人々の積極的な東京湾に対する働きかけ(内圧)がない場合、都市としての発展の歴史と共に膠着した隔たりは毅然と存在し続けてしまう。
  3. 3)自然環境的コンプレックス:自然環境は人工度合いが高い都市環境とは異なり、人間社会の遷移(succession)ユニットとはスケールも変化の度合いも違っている。しかし、歴史的な(主に海際における)人工的な改変は、東京湾そのものが人間の遷移スケールとは異なる独自のものを有していることを覆い隠し、実体と人々の認識のズレを生じさせている。

上で「コンプレックス」という言葉を使ってはいるが、何もそれが「悪い」と言っているわけではない。「コンプレックス」は即ち「個性」でもある。本稿では東京湾をあたかも人格を有した生き物(有機体)として精神分析を試みたが、このメタファーは実は、東京湾について発展(development)や衰退(decay)を論じるという、ごく一般に行われる叙述の背後にも隠れている。東京湾を一つの有機体として捉え、その発達を考えるのであれば、それは人間の発達を当人の個性を考慮して考えるのと同様に、上記にコンプレックスとして示された個性を考慮していくことが重要である。(了)

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