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【Ocean Newsletter】バックナンバー

第387号(2016.09.20 発行)

橘の由来

[KEYWORDS]人為的導入/カンキツ原種/遺伝子解析
JICAエチオピア事務所◆寺本さゆり

橘は古来より香り高い柑橘として、海や皇室と深くかかわり、親しまれてきた。
古くから自生しているものの、古文書には伝来の記述があり、その由来については諸説ある。
伝承と、実際の分布、変種の存在ならびに最近の遺伝子解析研究の成果から推測できる要因を総合的に考察した結果、現存する橘は人為的持ち込みと自然伝播の両方により日本列島にもたらされた可能性が推測される。

はじめに

リュウキュウタチバナ(C. tachibana (Makino) Tanaka var. attenuata)。沖縄本島北部

橘(タチバナ;Citrus tachibana)は柑子(こうじ)とともに古くからの自生が確認されているカンキツであり、日本の歴史書にたびたび登場するとともに、「右近の橘、左近の桜」として、その芳香と樹姿が愛でられてきた。この橘は、1957年に田中長三郎が確認したリュウキュウタチバナ(C. tachibana (Makino) Tanaka var. attenuata)を変種として含み※1、沖縄から静岡まで幅広く分布するものの遷移や開発により個体数は減少し、現在は絶滅危惧種に指定されている。
橘は日当たりが良く、古い石灰岩質層が露出するような地層を持つ海岸近くの崖上などの土が少ない場所を好んで自生していることが多い。現在では沖縄、高知、和歌山、三重、静岡に自生樹が多く残されている一方、植栽は奈良や京都の神社仏閣に多く、時折、四季橘を橘と取り違えている例を見かける。
柑橘類は中国南部から東南アジアが起源とされており、現在の栽培種をふくめた種全体の形成に、ブンタン、タチバナ、シトロンの関与が遺伝解析から示唆されている。1977年発行の『台湾植物誌』に台東縣にあるタチバナ原生林の記録があり、また筆者が2008年に沖縄本島北部大宜味村の山中で自生のリュウキュウタチバナを再確認したことから、橘の分布範囲は台湾から南西諸島を経て九州、四国、本州の太平洋側となっている。

人為的導入の可能性

奈良県北葛城郡廣瀬大社に植栽のヤマトタチバナ

元来、日本は海との関わりが深い。『古事記』や『日本書紀』にあるように、垂仁天皇の命により田道間守(たじまのもり)(多遅摩毛理)が「常世の国」から持ち帰った不老不死の霊薬が「非時香菓」(ときじくのかくのこのみ)(非時香木実)である橘とされている。常世の国とは海を越えた先であることは明らかだが、実際の場所は不明である。『万葉集』にあるように「橘を数珠にして手にかけて香りを楽しむ」、また『続日本記』には「酒杯に入れて賜った」との表現からも、花実ともに芳香のある小果カンキツ類であったと推測される。垂仁天皇は奈良県桜井市纏向(まきむく)を都とし、皇紀632~730年(紀元前29~紀元90年)在位とされているが、実際の年代整合性には疑問がもたれている。しかし、中国大陸から多くの渡来人(新羅王子の天日矛(あめのひぼこ)(田道間守の祖先)や秦氏等)が前後して日本に帰化定住していることは事実であり、さまざまな文化や技術がもたらされたとされている。また、他にも橘をめぐる伝説として、都における水上交通の要所であったと推測される廣瀬大社(奈良県北葛城郡)には、垂仁天皇の父である応神天皇の御世に竜神のお告げにより一夜で橘が生い茂ったとの伝承も残されている。この時代は奈良盆地の大部分は水没していたといわれ、現在とは違って都は難波津を通じて水路で海につながっていたと考えられており、海外から持ち込まれた橘が到着した地点である可能性も否定できない。
中国最古の本草書で、紀元100~200年頃の著作とされる『神農本草経』に陳皮(ちんぴ)として、干した柑橘皮の鎮咳効果が記載されており、また、風水思想の影響により、常緑で縁起の良い果樹として屋敷内に植栽する風習もあることから、渡来人により橘がもたらされた可能性は高いと考えられる。おそらく橘は、実用的な栽培品種として海外から導入され、大切に神社仏閣等に植栽されたことが考えられる。古文書に記載されている導入された橘は、さまざまな記述と分布、歴史由来、特性から現在の分類における食味の良い紀州小ミカン、あるいは橘のどちらかではなかったかとの憶測もある。

古代における自生範囲拡大

橘は古くから日本列島の温暖な海岸地域に自生していたことは明らかであるものの、現在の分布範囲から考えられる伝播の可能性についてはさまざまな要素が考えられる。橘の適地は海岸地域であり、現在残る自生地範囲から推測すると、黒潮にのって運ばれることも、渡り鳥による伝播があったことも可能性として考えられる。
果皮の薬効もさることながら、もともとは天然酢として利用価値のある果汁は、黒潮にのって移動する海洋民族には非常に重宝であった可能性もある。旧石器時代から縄文時代にかけての海洋移動については諸説あるためここでは触れないが、このような背景から、先史時代に人為的な伝播があったこともまた否定できない。

遺伝子解析が示唆するタチバナの由来

1990年代からDNAを利用した遺伝子解析が主流になり、さまざまな技法によりカンキツ類の由来と種としての拡大発展について研究が実施されてきている。橘は沖縄自生の小果マンダリンであるシークワーサーと遺伝的に大変近いことは明らかとなっているが、胚性からみると、シークワーサーや本土の橘は優性形質である多胚性※2であり、リュウキュウタチバナは単一劣性遺伝子による単胚性※2である。
最近の佐賀大学と鹿児島大学の研究では、最新の次世代型シーケンサーを使った遺伝子解析が柑橘類の起源と品種成立の謎を探る目的で実施されている。これらの成果から、橘が現在の食用柑橘類の原種のひとつである可能性が示唆されており、ブンタン(マレー半島付近)やシトロン(インド北部)との相互交雑と突然変異により現在の柑橘品種群を形成していったとの説が有力となってきている。リュウキュウタチバナ、ブンタン、シトロンともに単胚性であり、現在の主要品種にみられるような多胚性、自家不和合性※3、雄性/雌性不稔性※4、単為結果性※5といった形質は、長い年月の間の自然交雑、突然変異から獲得し、人為的な選抜により種としての多様性を発展させていったものと考えられる。

さいごに

橘は日本で古くから親しまれてきた果樹であり、伝説上は海との関係性が強く示唆され、かつ古くから自生があったということからその由来について不明な点が多かった。しかし、環境要件と歴史的背景や遺伝子解析から推察すると、人為的導入と自然伝播による橘とが混在して今に至っている可能性が推測できる。現存する貴重な遺伝資源として、さらに学術研究を進めることで橘の起源や伝来の謎解きをしつつ、『橘街道プロジェクト』(奈良県郡山市)※6のように地域における種の保全と継承活動が盛んになることを期待したい。(了)

  1. ※1『琉球の柑橘(琉球柑橘豫察報文)』田中長三郎、1957年、琉球政府経済局発刊
  2. ※2単胚性・多胚性=カンキツほか数種類の種にみられ、単胚は交雑による交雑胚1つが形成される通常のものであるが、多胚性とは交雑胚に加えて母樹と遺伝的に同一の胚を複数以上形成する性質のことである。
  3. ※3自家不和合性=雌雄同株の植物で、自家受粉では受精しない性質。
  4. ※4不稔性=雄性不稔は花粉が機能せず、雌性不稔はめしべが機能しない性質。いずれも育種上は重要な形質となる。
  5. ※5単為結果性=受精を伴わず子房だけが発達し、無種子の果実を生じる現象。
  6. ※6橘街道プロジェクトhttp://www.tachibanakaidou.jp
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