Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第382号(2016.07.05 発行)

沖縄美ら海水族館における獣医師の役割

[KEYWORDS]美ら海水族館/イルカ麻酔手術/ 水中エコー
(一財)沖縄美ら島財団獣医師◆植田啓一
(一財)沖縄美ら島財団獣医師◆柳澤牧央

水中生活を営む水棲動物は、陸棲動物とは異なる取り扱いの難しさもあり、それぞれが水族館等の飼育下の動物の疾病に対して行う検査や治療方法に工夫が必要となる。
美ら海水族館では、日本では行われたことがなかったイルカの全身麻酔に成功したほか、水中での超音波画像診断も実施している。
水棲動物の健康管理と治療に関わる獣医師たちの取り組みを紹介したい。

私たち美ら海水族館の獣医師は、鯨類のイルカをはじめとして、海牛類のマナティー、ウミガメ類の他に板鰓類であるジンベエザメやナンヨウマンタなどの大型水棲動物の健康管理に取り組んでいる。
水中生活を営む水棲動物は、陸棲動物とは異なる取り扱いの難しさもあり、それぞれが水族館等の飼育下の動物の疾病に対して行う検査や治療方法に工夫が必要となる。
獣医師として水族館の仕事をはじめた時、美ら海水族館の内田詮三館長(当時)に、「この業界親の死に目には会えないぞ」と言われたことをいまでも私たちは思い出すことがある。
動物のなかには健康状態を悪くするとすぐに容態が急変するものもいるため、獣医師と飼育員たちが24時間つきっきりで治療にあたることもけっして稀ではない。水棲動物の健康管理、疾病の診断・治療の仕事に、まさしく終わりはないのである。

イルカの全身麻酔

2014年6月26日は、私たちにとって、初めてイルカの全身麻酔に成功した忘れられない日となった。
イルカの全身麻酔は、アメリカの一部で実施されているが、日本では実施されることがなかった。この理由には、全身麻酔が必要な手術や検査が少なかったこと、イルカの飼育に必要な受診動作訓練(採血や患部の状態を確認するときにイルカが協力的に動くように訓練すること)が進んでいることが考えられるが、一番大きな要因は、「イルカは麻酔をかけると死ぬ」という迷信が、日本の水族館業界に浸透していたことである。
イルカの全身麻酔が必要となった症例は、細菌性骨髄炎である。イルカでは比較的多い症例で、脊椎骨の一部が、細菌に侵され骨が融解する病気で、症状が進行すると、高い発熱や食欲不振を伴う全身症状が現れ、最後には死亡する。抗菌薬によって完全に治る報告もあるが、その一方で、多くの症例は、安楽死をしたり、長期治療の末に死亡する。根本的な治療には外科的手術による罹患した部位の摘出が必要になる。本症例もそのような症例であった。

イルカの全身麻酔の様子

全身麻酔の伴う手術を実施するために、当館の経営陣の理解をもらうのはもちろん、現場飼育員の理解をもらうのは大変であった。何しろ、日本ではどこも実施していないからだ。さらに、手術を実施する人員の確保にも問題をかかえていた。ふだん水族館で獣医業務をやっている獣医師はわれわれ2名しかおらず、普段外科手術や麻酔など行わない。そこで、多くの専門家の助力も必要となった。その点私たちは恵まれていた。私たちの母校は、酪農学園大学の獣医学科で、二人とも外科学教室の出身である。整形手術の専門家の泉澤康晴先生、麻酔の専門家の山下和人先生を、恩師として仰いであり、幸い二人ともこの手術を実施することを快諾してくれた。
この手術は、無事成功し、その後私自身は、2例のイルカの麻酔に成功し、幸い死亡事例は経験していない。
このような記事にすると、たいしたことではないように感じるが、日本におけるイルカの飼育の歴史は、1930年であったという報告までさかのぼることになり、実に85年もの間、実施されなかった技術が、イルカの全身麻酔なのである。その時代にも全身麻酔の技術は存在していたことを考えると、いかにイルカの麻酔というものがタブー視されていたかがわかる。このように、水族館獣医師には、必要であるにもかかわらず、挑戦されていない診断や治療が、未だ数多く残されている。

水中での超音波画像診断

冒頭でも述べたように、水棲動物は水中生活を営むため、その治療とともに疾病の診断方法についても工夫が必要となる。とくに水中での超音波画像診断検査(以下エコー検査)が可能となったことは大きい。検査のために動物を水から揚げる必要がなくなったため動物への負担が少なくなり、陸上動物と同様な各臓器の診断や妊娠診断も可能となったのである───。

マンタの水中エコー検査風景と撮影された画像

「ジンベエザメやマンタの妊娠画像診断を試みよ」、これが2009年春に私たちに課せられたミッションだった。それまで13年にわたりイルカのエコー検査を行っていた経験をもつ獣医師からみても、それは無謀な試みでしかないように思われた。
イルカの場合、受診動作訓練によりプールサイドに機器を置いて簡単に検査を行うことができる。しかし今回は対象が水中にいる魚類となる。残念ながら水から揚げることは身体の大きさ(ジンベエザメで約7m以上、マンタで約3m以上)からも不可能だ。そのためにもこちらから彼らのフィールドである水中に入りこみ、機器を水中に完全に沈めなければならない。われわれは、協力してくれるメーカーと、完全防水のハウジングシステムを作製してくれる業者を探すことから始めた。
この無謀な申し出に対して、富士フイルムメディカル株式会社の協力により同社のFAZONE Mを使用機器とし、有限会社SSP社にその機器を丸ごと収納できる「水中ハウジング」の製作協力を得ることができた。まさに世界初の試みだったが、予想通り作業は難航した。ハウジングは、収容するエコー機器が防水加工を施されている訳ではないため、100%完全防水機能を有し、かつ水中でのボタン等の動作をスムーズに行えるように作製しなくてはならない。これらの非常に難易度の高い製作課題を、約1年の製作日数をかけて、有限会社SSP社の職人技術により完璧に克服されることになった。
同時に私たちは、エコー検査を水中のナンヨウマンタに実施する手法を飼育員と検討した。マンタは妊娠した際には、子宮内に胎仔を宿す魚類だ。それまでの解剖学的知見により、妊娠時のマンタは背部からエコー検査を実施することが分かっていた。そこで私たちはその頃から技術として持っていた水中での採血手法を応用することにした。その結果、2011年にようやくハウジングが完成し、飼育員との共同作業による検査手法の確立により、マンタの妊娠診断にも成功することになった。
そして現在私たちが、とくに力を入れて研究しているのが、マンタの妊娠生態についてだ。彼らは妊娠子宮内に胎盤を作らずに、絨毛糸を形成して仔を1年近く発育させる。妊娠子宮には発達した絨毛糸が見事に繁茂し、その細胞質内には蛋白や脂質などを含むと考えられる分泌顆粒の産生を見出している。超音波画像診断でも、子宮内の絨毛糸の発達が映し出されて、また胎仔の妊娠初期からの発育やその成長中の呼吸や栄養摂取の状態を観察することができた。
残念ながら、現時点では雌のジンベエザメが性成熟に達しておらず、応用には至っていないが、いつの日かこの手でジンベエザメの胎仔の画像を捉えたいと思っている。
このように、水族館の獣医師たちは水棲動物の健康を守るために巨大な水槽の裏側でいつも全力を尽くしている。(了)

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