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第131号(2006.01.20 発行)
第131号(2006.01.20 発行)

どうなる! 日本の船員教育

世界海事大学教授◆中澤 武

国内の船員教育機関の規模が縮小され始めている。日本船員の需要から見れば当然の流れである。一方で船社による外国人船員の自社育成はその勢いを増している。産官学の強い結束が必要とされる船員教育について考察する。

はじめに

中国経済の急速な発展を背景に、わが国の外航海運は市況高騰に沸いている。2005年5月に大手3社の船隊拡大に対応した船員配乗計画が日刊海事通信に掲載されたが、各社ともフィリピンを中心にインド、東欧諸国等を将来にわたる主要な船員供給ソースと位置付け、現地におけるリクルート、トレーニング体制を充実させ、優秀な船員を自社の手で育成する方針を打ち出している。一方、国内の船員教育機関に目を向ければ、東京、神戸両商船大学は2003年にそれぞれ統合され学部規模となり、国交省系の船員教育3法人は近い将来統合が計画されているなど、船員の教育訓練においても、その主役が公的機関から民間機関へ移行する過渡期にあるようにも思える。重大な転換期にある日本の船員教育を考えてみたい。

船員教育には何が求められているのか

船舶職員に必要な海技免許は、世界各国がそれぞれの基準に従った教育訓練とそれに続く試験結果に基づいて発給されている。わが国の場合、船舶職員および小型船舶操縦者法に船員教育の内容や基準が定められていて、教育機関はその基準に従った内容を提供している。一方で、船員教育の内容および免許の発給基準等に関する最低基準を世界的に統一することを目的とした「船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約(STCW条約)」の締約国であるわが国(1982年5月批准)は、この条約の遵守も求められており、条約に改正等があった場合は、関連する国内法を改正し対処している。つまり現在の船員教育はわが国に限らず、その内容、教育訓練の実施方法および評価方法にいたるまで、STCW条約の要求事項を中心に動いていると言ってよいのである。

このような背景のなか、原則論として船員教育はどのようなものであるべきなのだろうか。まず、船員教育はそれが公立私立いずれの教育機関で行われようとも、わが国がSTCW条約の締約国である限り、その内容や基準等は教育訓練の最終目的である海技免許の発給元である国によって継続的に監視されなければならない。これは条約に明記された要件の一つであるから、監視責任を有する行政機関と教育機関の継続した情報交換が求められる。次に、船員教育はそれが高等中等いずれの教育機関で行われようとも、業務に直結した知識や技能が求められた基準以上であることを証明する海技免許の取得に結びついている限りは職業教育である。したがって船員教育の範囲や内容は、免許保持者が主として活躍する海運業界の要望を十分に反映させたものでなければならない。このように船員教育は、免許保持者の活躍の場である海運業界(産)、船員教育を継続的に監視する責任を持つ行政機関(官)、船員教育を実施する教育機関(学)、三者相互の密接な関連に基づいてその内容や教育訓練方法が検討され、運営されるのが本来の姿であると言えよう。それでは、現在の三者の関係が本来のあるべき姿にあるのだろうか、教育機関を中心として相互の関係を検証してみる。

教育機関と海運業界・行政機関の関係

教室で行われる教育内容は、社会的要求としてその水準を高めることが求められるに伴い、担当する教官の学術的な専門知識への依存度が増すことになる。この時に教育機関内で船員教育が職業教育の一つであるとの認識が希薄であれば、容易に各教官の専門分野に直結した学術色の強い教育内容となり、見かけ上の水準向上は得られても、海運業界が要求する船舶の運航に直結した質の高い知識や技能に関する内容とは程遠いものとなる。さらに、わが国の船員教育の特色のひとつである専用練習船における実習訓練は、世界にも類を見ない充実した設備と教官による標準化された教育訓練内容が提供できる反面、荷役装置を持たない専用練習船では、船員の重要な職務の一つである「荷物を扱う」ことに関する教育訓練に限界があり、近年顕著に進む専用船化と荷役の効率化に伴い、職務上の重要度が増加している荷役装置に関する教育訓練が不足するという問題も顕在化してくる。わが国の船員教育機関が本質的に持つこれらの問題は、近年の教育機関と海運業界の関係に少なからず悪影響を与えてきたとは言えないだろうか。

他方、わが国の船員教育機関は、国内法に定められた船舶職員養成施設として登録を受けることを通じて、行政機関と情報交換を行っている。船員教育に関連する国際条約が改正された場合には、行政機関は即座に対応する国内法を吟味し、必要があれば国内法を改正し教育機関にその旨を通知してくれる。これは教育機関の教官にとっては非常にありがたい方法で、国際条約の改正やその対応に煩わされることなく、改正された国内法の要点だけに対応し、あとは自身の専門分野の研鑽に集中することができる。しかしその一方で、国際条約の改正に至る経緯や改正の本質などの政策的な要素を知る機会は限られるため、船員教育の技術的ノウハウには無類の強さを示すが、船員教育の国際的視点や政策的な側面については限られた知識しか持たないか、興味すらないという極めてアンバランスな船員教育者が育つことになる。このことは世界の海事教育者が集まる国際海事大学連合や国際海事教育者連合の会議の場で、わが国の船員教育者が発表する論文のうち、STCW条約に関する論文数が船員教育の技術に関する論文数に比べて極めて少ないことからも裏付けられる。

おわりに

「MET(Maritime Education and Training:船員教育)は芸術である」。欧州の船員教育機関の友人がよく口にする言葉であるが、わが国で90年代後半に議論の盛り上がりを見せた「海技の伝承」問題と、これらがいずれも一度失われると二度と得られないという点で源流は同じに見える。だからこそ海技の伝承を必要とするなら、船員教育は、教育機関、行政機関そして海運業界のこれまで以上に強い結束の上に構築され実施されなければならないだろう。

他方、技術の伝承は、その技術が必要とされる時代と場所においては極めて円滑に行われるが、その技術が必要とされない時代と場所においてはいかなる努力をしても絶えてしまうという側面を持っているから、わが国がもはや海技を必要としない時代と場所にあるのであれば、むしろ船員供給国に代表される、今まさに海技を必要とする時代にある場所に伝承するという発想の転換をすべき時期なのかもしれない。本稿執筆中に飛び込んできた「日本郵船フィリピンに商船大学設立」というニュースは、もはや船員教育の公的機関から私的機関への過渡期というレベルを一足跳びに超えた新たな試みという印象すら受ける。

他国への海技の伝承は、国益には直接寄与しないかも知れないが、この場合でもわが国の教育機関、行政機関、海運業界の強い結束が必要なことは言うまでもない。フィリピンに代表される船員供給国の船員教育機関が今最も知りたいことは、国際的に認められる船員教育の構築とその運営手法であるから、管理者として海技の伝承に関わる船員教育者には船員教育の技術的ノウハウのみならず、国際的視点や政策的な側面に関する知識がこれまで以上に必要となる。行政機関はその意味からもバランスを持った船員教育者を育成することも視野に入れておく必要があろう。それを怠れば、海技の伝承と共に主導権までもが流出してしまうことになるだろう。(了)

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