Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第125号(2005.10.20発行)

第125号(2005.10.20 発行)

編集後記

ニューズレター編集委員会編集代表者(総合地球環境学研究所教授)◆秋道智彌

◆本号を通読して、海を語る「ことば」について考えた。小島美子氏の民謡論は、列島の音楽文化に新しい光を与える画期的なものだ。日本文化の東西論は縄文・弥生時代にさかのぼるが、日本海と太平洋を対比する視点の提示はほとんどなかった。民謡という音のことばが、シベリア、朝鮮半島、中国、東南アジアへとつながるとする指摘は海を越えてそれを運んだ人々の横顔をほうふつとさせるもので、親しみを覚える。

◆拓海広志氏の海の物流論では、わたしなどには難解な横文字の専門用語が文の半ば以上にわたって登場する。この業界では、企業と消費者を結ぶ流通機構の統合化、適正化、効率化などをめぐる熾烈な競争と革新が模索されているようだ。そのことが行間ににじみでている。物流は、音のような情念と夢をはぐくむ世界とは異質の機械論的な世界での人間の営みであろう。無機的で抽象的なことばの海にややとまどいながらも、携帯電話やパソコンの生み出すおびただしい「ことば」の氾濫する現代を考えれば、妙なリアリティーを感じるのは私だけではないはずだ。

◆カブトガニブランド論を提唱した吉田光宏氏の語りは、前2者とは異なる「海のことば」といえるだろう。環境を保全し、あわせて沿岸漁業に元気をという生活者を見据えたカブトガニブランド化の話題は具体的である。認証制度、安全性などを機軸とする付加価値を生き物に与え、資源の管理や生活の向上を考えようとする海の語りは開発か保全かの二元論を超えたものであり、一考に値する。情念の語りである民謡と、流通機構の機械論を両極端とすれば、ブランド化の提案は等身大で海を語るものといえまいか。

◆大切なのは、それぞれの語り口がいかに異なっていようと、海を巡る文化、経済、環境の錯綜する現代にあって、それらが人間の多様な営みを映し出すものであることを十分に理解すべきことではないか。 (了)

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