Ocean Newsletter
第122号(2005.09.05発行)
- 高知大学海洋生物教育研究センター助教授◆岩崎 望
- たかはし河川生物調査事務所代表◆高橋勇夫
- 大阪府立大学大学院海洋システム工学分野教授◆池田良穂
- ニューズレター編集委員会編集代表者(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男
天然アユを取り戻す
たかはし河川生物調査事務所代表◆高橋勇夫全国の川からアユが減少している。
冷水病の蔓延など、その理由をいくつかあげることはできるが、その最たるものは「天然溯上の減少」であろう。
そんな中、高知県の物部川では漁協の息の長い取り組みによって天然溯上が増えつつある。
この漁協の取り組みの中にこれからの自然との付き合い方を垣間見ることができる。
アユの不漁
かつて全国一を誇ったこともある高知県のアユの漁獲量は、この30年間減少の一途を辿っている。特にここ10年ほどの不漁傾向は厳しく、回復の傾向を見出せないままとなっている。このような最近の不漁の原因として、二つほど分かっていることがある。一つは「冷水病」である。この病気にかかった琵琶湖産のアユを何の規制もなく全国の河川に放流種苗として供給し続けたことが原因で、いわば人災である。二つ目は早生まれ(10-11月生まれ)のアユの選択的な死亡で、これはアユの稚魚が生活する海の水温の上昇と関連しているらしい※1。ただし、これは高知県特有の現象かもしれない。
このように最近の不漁原因はいくつか特定されつつあり、その対策として、琵琶湖産アユ種苗の使用を見合わせたり、産卵期の保護期間を延長したりと、いくつかの対策が取られてきた。しかし、それでもなおアユ資源の減少に歯止めをかけることができずにいる。不漁の原因は他にもあるということなのだろう。
天然アユを復活させた漁協

高知県下全体が不漁の中で、県の中央部を流れる物部川-高知県で一番荒廃したアユ河川というありがたくない呼び方をされる-だけが2年続きの豊漁となった。特に2004年の天然溯上量の多さは「何十年ぶり」とも言われるほどであった。なぜ、荒廃した物部川だけにアユが多いのか?
物部川漁協でも10年ほど前から、天然アユの保全に力を注いできた。特に力を入れているのが産卵期を中心とした保護策で、アユ漁が禁漁になると(高知県では10月16日から)産卵場の造成、親アユと卵の保護区の設定といったことに取り組んできた。2年前からは親魚の数を確保するために禁漁期の前倒しも始めた。
なぜ、産卵場の造成が必要なのか? 物部川には大きなダムが3つある。ダムは水を堰き止めるだけでなく、上流からの砂礫をも止めてしまう。アユの産卵には小砂利底(写真1-1;通常下流部に存在する)が欠かせないが、ダムのある物部川ではその小砂利すらなくなってしまっている(写真1-2)。そのためアユが産卵する場所すらほとんどない。漁協では産卵期になると重機で河床を掘削し、産卵場を造成する。造成後3日もすると活発な産卵が始まる(写真2)。

2003年の11月中旬のある寒い夜、信じられないほどの数の稚魚が造成した産卵場でふ化したことが確認できた(漁協の依頼で調査を行っている)。2004年春の大量溯上はこういった漁協の取り組みがやっと実を結んだと言える。今の時代、「天然」のアユといえども「自然」に湧いてくるものではないのだ。
種苗放流の在り方
物部川に大量溯上があった2004年、四万十川は2年続きの極端な不漁に見舞われ、とうとう旅館がお客さんに出すアユすら手に入らない状態にまで追い込まれた。不漁の原因はいくつか考えられるが、一番大きなものは3年前(2002年)の秋に未産卵のアユを大量に漁獲したことだろう。極端な渇水のために産卵が大きく遅れ、禁漁期(産卵保護のため)内にほとんど産卵できなかったらしい。これも人災と言える。このまま四万十川からアユがいなくなり、種苗放流に全面的に頼らなければならなくなるとすれば、どのくらいの経費が必要なのだろうか?
四万十川の漁場の面積は約1,100万m2。「平年並み」と言われる年のアユの生息密度はおよそ1m2あたり1尾である。したがって平年並みを維持するには1,100万尾の種苗が必要となる。種苗1尾の単価は40円程度なので、放流に必要な金額はおよそ4億4千万円。ただし、すべてのアユが生き残るわけではない。仮に生残率を50%とすれば、9億円近い費用が必要となる。これは不可能としか言いようがない。四万十川の放流費用はその1/10以下の3、4千万円程度でしかないのだから。

一方、もしかつてのように四万十川に天然アユがたくさん戻ってくれば、どの程度の経済的価値があるのだろうか? 詳細は省くが、翌年の資源を確保したうえで得られる恵みは実に47億円と試算される。もはや選択の余地などないと言える。アユ資源を保全するには天然資源を保全することが最重要課題なのだ。ところが水産庁の通達では、「増殖」の軸となるやり方は種苗放流なのである。物部川では産卵期の保護対策(禁漁期や禁漁区を設けて親や卵を保護)は特に有効であったのだが、水産庁は「漁期や漁場の制限等の消極的行為(=禁漁)は増殖とは認めない」という通達を30年以上前から出し続けている。つまり物部川のやり方は水産庁には認めてもらえない。こういったことが影響しているのか、ほとんどの漁協で主な増殖策は依然として種苗放流なのである。
物部川漁協のその後
物部川漁協は、天然アユを増やすことに取り組む中で、山から川、さらには海までの一連の環境を保全することが不可欠ということに気がついた。そのため山の保全や環境保全のシンポジウム、環境教育にも力を注ぎ始めた。そういった漁協の取り組みは、県内外から理想的なモデルとして注目され始めた。地元高知県は「循環型社会づくり」を推進する中で、先進的取り組みと位置づけている。すべてがうまく回り始めたように思えた。
ところが、2004年8月以降、高知県はたびたび台風の襲来を受けた。川は濁った。他の川ではそういった濁りも4、5日もすれば消えたが、物部川ではその濁りがいつまでも続いた。ダムが濁水をため込んでゆっくりと排出するためである。濁水のために餌を取れないアユは痩せ衰え、産卵期になっても満足に卵を持っていない親が多かった※2。
県の事業のモデルともなった天然アユを増やす取り組みが、「県営」のダムによって大きな打撃を受けたことは本当に皮肉なことだと思う。濁りの長期化はダムによる貯水が原因であることは疑いの余地がないと思うが、ダムを管理する県はそのことを認めていないし、もちろん対策も取られていない。漁協では行政に対して少しずつ不信感を募らせている。諦観も芽生え始めた。種苗放流の問題にしろ、ダムの問題にしろ、今の「枠組み」の中で新しいことを始めることの難しさを改めて教えられる。それでもなお、物部川で始まった取り組みがこれからもきちんと生き残ってくれると信じているし、それを応援する人は決して少なくない。(了)
※1 Takahashi I. et al., 2003. Fisheries Science. 69(3): 348-444.
※2 高知県内水面漁業センターの分析
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