Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第404号(2017.06.05発行)

3万年前の大航海を再現する実験プロジェクト

[KEYWORDS]人類の海洋適応/航海技術史/日本列島
国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表◆海部陽介

最近の研究から、最初の日本列島人は3万年以上前に海を越えてこの地へやってきたことがわかってきた。
祖先たちの大航海の謎に迫るために、私たちはクラウドファンディングでの資金獲得による、科学と冒険を融合させたプロジェクトを開始した。2016年には与那国島で草舟の実験航海を行ったが、今年より活動の舞台を台湾に移し、竹や木の舟の可能性を探るなど、さらに研究と実験を続けていく。
そして2019年頃に、台湾から黒潮を越えて与那国島を目指す大航海を再現することが最終目標となっている。

最初の日本人は航海者だった

■図1
想定される3万年前の地形と3つの渡来ルート

最近の研究から、私たち現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカで誕生し、5万年前以降に世界中へ広がったことがわかってきました。祖先たちの大拡散を可能にした最大の要因は、寒冷地の克服と渡海技術です。彼らはそうした技術を得て、それまで無人であったシベリアの奥地や海洋世界にも進出したのです。
そうした人類の海への挑戦の始まりを知るための重要な証拠が、日本にあることがわかってきました。
祖先たちが日本列島に現れた3万8千年前頃、氷期の寒さの影響で海水面は今より80mほど下がっていました。それでも対馬海峡や津軽海峡は開いており、琉球の島々も孤立していました。したがって彼らは、海を越えてきたことになります(図1)。
彼らが島へたどりついたのは、偶然の漂流のせいではなかったでしょう。漁をしていた男2人が流されるというような事件は当時もあったでしょうが、多数の男女が集団で渡らなければ、新たな土地に根づくことはできません。本州では、3万8千年前に、伊豆の島から黒曜石を運び込んでいた証拠があり、意図的な航海術がこの時期から存在していたことが明らかです。とりわけ琉球の島々への渡海は、困難だったに違いありません。最長220kmに及ぶ島間距離に加え、世界最大の海流である黒潮が、当時も今のように行く手を阻んでいた可能性が高いからです。
しかし、難しいと想像するだけでは、祖先たちの挑戦の実態は見えてこない。そんな気持ちに駆られて、私はこの実験航海のプロジェクトを始めました。
プロジェクト・チームには、遺跡を調査する考古学者や人類学者、過去の海流を復元する古海洋学者、人口維持に必要な移住者数をシミュレーションする数理生物学の専門家などがいて、多角的に研究を進めています。さらに海洋探検家が加わって、本物の海を相手に航海を体験するのです。こうして、科学と冒険を融合させたプロジェクトがスタートしました。

クラウドファンディングで資金を獲得

さて、強力なプロジェクト・チームはすぐにできましたが、課題は資金でした。研究者だけで小さくやるなら、少額で済むでしょう。しかしこのプロジェクトを研究者だけの体験で終わらせるのは、もったいないと、私は考えました。多くの一般の方々と、この壮大な謎解き体験を共有したい。しかし規模を大きくすれば、それだけ費用もかかります。困っていたところ、上司の林 良博館長から薦められたのが、日本の国立の博物館としては初挑戦となる、クラウドファンディングだったのです。初めての試みは試練の連続でしたが、博物館が一丸となって臨んだ結果、875名の方々から総額2,638万円が寄せられ、夢に描いていた最初の実験航海を実現できることになりました。
クラウドファンディングは、プロジェクトを広く共有したいという私たちの理念と親和性が高く、たいへん有効な方法だと感じています。支援者の方々には、博物館が提供する多彩な特典以外に、定期的に進捗状況をお伝えし、研究チームとの交流の場も設けています。

2016年の第一段階の実験航海(与那国島→西表島)

私たちの最終目標は、台湾から黒潮を越えて与那国島を目指す大航海ですが、その前に国内で最初のテストをしようということになりました。選んだのは、与那国島からその隣にある西表島を目指す航路です。直線距離で75km。西表島の標高が高いため、天気がよければ目的地が見えます。
この最初の実験に私たちが選んだのは、「草の舟を漕ぐ」というモデルでした。太古の舟は遺跡に残っておらず、直接知ることはできません。それでも当時の道具技術や、地元で入手可能な材料といった制約をかければ、可能性を絞れます。竹や木といった候補もありますが、まず最初に、成形が容易な草の舟を試すことにしたのです。
与那国島に自生しているヒメガマという草を刈り、古来から島で使われているツル植物で縛って、長さ6mほどの舟を作りました(図2)。ヒメガマ舟は、速度こそ人が歩く程度でしたが、浮力と安定性が優れていることがわかりました。
そして時計やGPSを持たず、風やうねりや星など、自然のサインから針路を読みとって舟を進める、テスト航海に挑んだのです。漕ぎ手となったのは、地元を中心とする男女の若者たち。移住をシミュレーションするため草舟は2艘にし、計14人が乗り込みました(図3)。
あいにく巨大台風の接近の影響で、出航できたのは、延長した期限の最終日でした。当日は曇天で目標の西表島が見えませんでしたが、そんな悪条件の中でも、漕ぎ手たちは方角や時刻を正しく捉えていました。しかし、舟は海流に流されてしまい、私たちは実験の中断を余儀なくされました。事後に解析した航跡データや海上保安庁の報告から、この日は北向きの海流が、普段の倍以上に強まっていたことがわかりました。
こうして私たちの最初の挑戦は、海の厳しさを思い知らされる結果となったのです。それでも祖先たちは、そうした困難を乗り越えて島にたどり着いています。私たちも諦めることなく、試行を繰り返して、なんとか島へ到達する術を探して行こうと考えています。

■図2
2016年の草(ヒメガマ)舟をつくる作業
■図3
西表島を目指す2艘の草舟

次の舞台は台湾

私たちは、2019年頃に最終目標の台湾出航を実現するため、準備を進めています。それは巨大な黒潮を越え、遠く水平線の下に隠れた目的地を目指す、3日間ほどに及ぶタフな航海になるでしょう(図4)。
祖先たちは、そこでどんな舟を使ったのでしょう? さまざまな可能性を検討していきますが、2017年6月上旬にスタートする台湾東海岸での活動では、地元のアミ族の方々の協力を得て、竹の筏舟を試作しています。3月からその作業が始まっていますが、大きな竹は草とはまったく別の特性を持つ素材で、どんな舟に仕上がるかが楽しみです。
祖先たちは台湾のどこから出発したのでしょう? 台湾の高山から琉球の島の視認性を確認し、舟のスピードと海流の強さを考えて作戦を練っていきます。
研究もさらに充実させます。帆の可能性追究のほか、琉球だけでなく、日本周辺の主要な海峡における祖先たちの活動の全体像を把握する計画を立案中です。そうして、かつてこの地域に存在したはずの、太古の海洋文化の全貌を解き明かしたいと考えています。(了)

■図4
実験航海の計画
  1. プロジェクト公式ウェブサイト http://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/
  2. 草舟の実験の全貌を伝えたテレビ番組が無料視聴できます。http://txbiz.tv-tokyo.co.jp/feature/vod/post_123919/

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