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第72号(2003.08.05発行)

第72号(2003.08.05 発行)

徳島藩御召鯨船「千山丸」の保存と調査

徳島市立徳島城博物館 主任・学芸員◆須藤茂樹

わが国に唯一残る江戸時代の和船、すなわち世界に一艘しか残っていない国指定重要文化財「徳島藩御召鯨船千山丸」は、船舶研究者には以前から注目されていたものの、一般の方々にはあまり認知されていない。この機会に、「千山丸」の歴史的価値を多くの人々に知ってもらいたい。

「千山丸」をご存じですか

徳島藩御召鯨船「千山丸」(国指定重要文化財)

私の勤務する徳島市立徳島城博物館※1には、「千山丸」という名の江戸時代の和船の実物が残されています。この「千山丸」は、徳島市民の憩いの場である徳島中央公園の中の旧徳島城表御殿庭園(国指定名勝)に隣接した小屋に長らく保管されていました。そのため、春の花見や秋の菊花展の際には多くの市民・県民が訪れる関係で、なんとなくこの船を記憶に留めておられる方も多いようです。しかし、この船がどのような経緯で今まで保存され、またどのような価値のある船なのか、ご存じの方は案外少ないと思うのです。

その「千山丸」が、江戸時代の船という意味だけではなく、わが国の和船史上、唯一の現存例として極めて貴重との理由から、平成8年6月に国の重要文化財に指定されました。そこで、県民に親しみがありながら、その詳細について、よく知られていない「千山丸」の価値について、全国の皆さんに知っていただきたく、ここにご紹介したいと思います。

「千山丸」とはどんな船か

「徳島藩御召鯨船千山丸」は、全長1,044cm、幅175cm、深さ64cmで、材質は主に松・杉材を使用しています。船の水押には木彫りの金箔張の龍を置き、側面は前半分に金箔張した上に、赤や青の顔料で団扇や軍配等を描いています。船尾の戸立に「安政四年巳九月御船」の刻銘があり、徳島藩13代藩主蜂須賀斉裕の安政4年(1857)に相当します。

九州から四国、紀伊半島、房総半島で使用された捕鯨用の船が、速力が速く、小回りが利き、波に強いことから、江戸時代中期頃までには、大名の御座船に随行させる御供船として採用されていったと思われます。大名の鯨船は指揮、伝令、連絡、飛脚、本船への乗船などのさまざまな用途に使用されたようです。「千山丸」は蜂須賀家旧蔵「千山丸側面図絵巻」、「御船之図」(共に個人蔵)、蜂須賀家旧蔵「蜂須賀家御船絵巻」(所在不明)等に「千山御船」と他の御座船とともに見えることなどから、他の多数ある鯨船とは違い、藩主専用の「御召鯨船」と推定されます。藩主が本船(御座船)に乗り移る際に利用したり、釣りに出かける時に利用したりされました。明治に入って他の船は解体されましたが、「千山丸」はもっぱら蜂須賀家当主の釣船として利用するために、ただ一艘残されました。保存状態は、左側面は状態が良く、金箔もよく残っており、色彩も鮮やかです。右側面は長く直射日光を受け、埃を被っており、だいぶ剥落が進んでいました。

博物館に入るまでの経緯

「千山丸」は、徳島の蜂須賀侯爵家の別邸※2屋敷地内の御船蔵の中にあり、昭和18年頃軍用道路建設のため、蜂須賀家は敷地と御殿の一部を徳島市に寄付、「千山丸」も徳島市に寄付され、徳島公園内の子どもの国の片隅に置かれ、戦後は表御殿庭園脇の覆屋に保管されました。なお、蜂須賀家の御殿は徳島大空襲で焼失しましたが、「千山丸」は空襲の被害から免れたのです。この大きな船が、壊されることなく残ったのにはいくつかの理由が考えられますが、ひとつには大正天皇が皇太子の頃に徳島に来られ、この船に乗船されたエピソードをあげることができると思います。

しかし、その保管状況は、決して良い状態ではありませんでした。平成2年、博物館の建設計画が持ち上がると、是非「千山丸」を博物館に収蔵し、その展示の目玉とすると共に、後世に残すために万全の保管を期そうということになりました。そして、平成4年に博物館に展示されることになったのです。

「千山丸」の補修

40年以上の長きにわたり、公園の片隅に保管されていたため、汚れや顔料の剥落などが目立っていました。博物館に収蔵展示するにあたり、平成3年12月から同4年7月にかけて、複製製作・修理業者の京都科学に委託し、1年を費やし、現状を維持することを基本に、クリーニング、剥落止め、欠損部材の復元を中心とする補修を行いました。さらに、「蜂須賀家御船絵巻」や「同下絵」(徳島県立博物館蔵)等を参考に、旗や幟、覆屋を復元し、リアルさを追求しました。今回、補修するにあたって、監修を神戸商船大学名誉教授松木哲氏にお願いし、日本海事史学会の石井謙治氏にもご助言いただきました。監修の先生方からは、現状維持を基本に最低限の補修をすること、とのアドバイスをいただき、前述のような補修となったのです。

「千山丸」の歴史的価値

「千山丸」は、全国で唯一残っている大名の船の実物として、さらには出土品を除けば、実際に使用された和船として最も古く、建造年が明らかであり、日本の船舶史上極めて貴重です。今後の近世船舶史研究に資するところ、多大と考えられています。

唯一の大名の船の実物を所持することから、徳島城博物館の調査研究活動のひとつの柱として、大名の船、あるいは広く鯨船に関する調査を行い、収集した情報をいろいろな形で、市民、県民、さらには全国の関心ある方々に発信していくことが今後必要となると考えています。

近年では、四国のPR冊子に「四国の日本一」が特集され、「千山丸」はその表紙を飾りました。また、昨年度から日本財団の助成を受け、安達裕之東京大学大学院教授のご指導のもと、船の科学館を調査主体とした「千山丸」の詳細な学術調査を行っております。近々、その成果を詳細な図面や復元図、関係資料を盛り込んだ緻密な報告書の形で刊行する予定です。(了)

「徳島藩参勤交代渡海図屏風」(蓮花寺蔵  徳島市指定文化財)

※1 徳島市立徳島城博物館 徳島県徳島市徳島町城内1番地の8

※2 蜂須賀侯爵家の別邸 徳島県徳島市南常三島町112周辺


●フォローアップ

2004年5月に船の科学館より報告書が発行されました。
詳細は船の科学館学芸部(TEL:03-5500-1113)にお問い合わせ下さい。

船の科学館叢書1  重要文化財阿波藩御召鯨船 千山丸
和船文化・技術研究会編  ISBN4-902754-00-2

船の科学館
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