南アジア地域の政治経済と中国
-コロナ禍における現代南アジアの動向−

深澤光樹
2021/07/15

はじめに
 コロナ禍で南アジア地域(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、モルディブ)の政治経済にどのような変化がみられるのだろうか。同地域の動向を確認する上で、まず南アジア地域の政治経済構造を中国との関係から紐解いていく必要がある。南アジア地域と「一帯一路」構想の関わりにみられるように、中国は同地域において影響力を持つようになり、その存在は現代南アジア地域の政治経済を考察する上で不可欠となる。
 南アジア諸国と中国との関係性を見る時、インドとインド周辺諸国では大きく異なる。インドは南アジアの中心国として中国と対峙しながらも中国と安全保障の側面を除いて協力関係を築いている。一方で、インド周辺諸国はインドと中国との間に置かれ、政治経済の舵取りが求められる。
 このような域内大国のインドと地域に隣接する大国中国の存在という、南アジア特有の構造を念頭に置きながら、コロナ禍で確認される各国の動向について見ていきたい。また、地域の時事問題に加えて長期に渡って南アジア地域の政治経済に影響を与えうるその他の要素にも触れながら、昨今の南アジア地域の状況と展望ついて考察していきたい1

現代南アジア地域の政治経済と中国
・インドと中国
 インドは南アジア地域の中心国として存在し、同地域のGDPの約80%、人口の約75%を構成する。近年中国の影響力はインド亜大陸やインド洋においても拡大しており、インドはその動きを常に警戒している。インドが中国の「一帯一路」構想を決して承認できないのは、パキスタンにおける同構想下の中国パキスタン経済回廊(China-Pakistan Economic Corridor : CPEC)が、インドとパキスタンが自国領土と主張するカシミール地方を通過するためである。インドと中国は約3,500Kmの国境が接しており、国境問題が絶えない。
 しかしながら、インドと中国の関係は対立ばかりではない。インドは「一帯一路」構想関連のプロジェクトを融資するアジアインフラ投資銀行(Asian Infrastructure Investment Bank : AIIB)や、新開発銀行(New Development Bank : NDB)への出資国であると同時に、最も融資の恩恵を得ている国の一つである。それだけではない。インドは中国からの直接投資を積極的に受け入れており、特に通信分野やエネルギー、鉄鋼、アプリ関連が盛んである。インドのスマートフォン市場では中国ブランドのシェアが非常に高い。インドの「メイク・イン・インディア」、「デジタル・インディア」など数々の経済政策は、中国との協力関係の中で進められているものなのである。中国にとってもインドへの進出は「中国製造2025」など政府が掲げる目標と一致しており、産業の高度化と企業の多国籍化、海外市場獲得の一助となっている。特に2000年代からインドの中国からの輸入、海外投資流入は増加しており、インドの中国に対する経済的な重要性が高まっている。政治的な側面に関しても、国境問題を抱えながらもBRICSなどの多国間枠組み、そして首脳会談をはじめとする二国間対話によって協力関係の維持に務めており、印中関係は深まりを見せている。
 中国の南アジア進出は、南アジア地域で影響力を持つインドにとって脅威として捉えられる。そのため、中国の同地域への進出によって、インドは「南アジアの中心国」という意識を強くする。国内においてはヒンドゥー・ナショナリズムが醸成され、大国化に向けた様々な政策が打ち出されている。対外関係においては、インド周辺諸国との関係構築を図り、また「自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific : FOIP)」構想の下でアメリカ、日本、オーストラリアといった国々と経済外交と安全保障で連携し中国と対峙する。日米豪印による安全保障の協力枠組みはクアッド(QUAD)として知られている2 。インドにとって、主要国との緊密な連携は南アジアにおける地位を高める作用を持っている。
 このように、インドは中国と経済面では協力し、一方で安全保障では対峙する中で、南アジアにおける中心性を高め、大国化への足掛かりを得ているのである。

・インド周辺諸国と中国
 伝統的に、政治的にも経済的にも南アジア周辺諸国はインドとの繋がりが強い。そのため、南アジア地域で影響力を拡大する中国との関係構築は、南アジア周辺諸国にインドとのバランスをとる機会を与える。南アジア周辺諸国はインドと中国からの輸入超過で、対印、対中貿易は基本的に赤字となっている。南アジア周辺諸国の対印、対中貿易は2000年代以降に急速に増加した。各国全貿易に占めるインドと中国との貿易の割合はいずれも高いが、貿易額は対中貿易の方が圧倒的に高くなる。南アジア地域は中国の「一帯一路」構想における陸路と海上航路の要所が存在し、同構想下で重要な位置付けを得ている。パキスタンには中国西部とアラビア海を結ぶCPECと、CPECに接続しアラビア海の商業的拠点として機能するグワダル港が主要なプロジェクトとしてあげられる。他方で、スリランカにはインド洋の海上航路の要所であり、中国企業が参入するハンバントタ港やコロンボ国際金融都市などが存在する。バングラデシュにおいてもバングラデシュ・中国・インド・ミャンマー経済回廊(Bangladesh-China-India-Myanmar Economic Corridor : BCIMEC)が計画されていたが、中国が「一帯一路」構想に同プロジェクトを組み込んだことでインド側の反発を招き、その後進展が見られなくなっている。
 南アジア周辺諸国は中国の「一帯一路」構想を基本的に承認しており、各国は既述の一帯一路金融機関や中国の銀行からの融資を用いて、中国企業が関連する様々なインフラプロジェクトを計画、実施している。それらは鉄道やポート・シティ、発電所、橋梁、国際空港、高速道路など多岐に渡る。しかし、南アジア周辺諸国と中国の関係は「一帯一路」構想から突然に始まったわけではない。各国それぞれ始まった時期やその背景は異なるが、南アジア周辺諸国における中国の影響力拡大の素地は長期に渡って築かれてきたものと言える。
 近年の「一帯一路」構想を巡る「債務の罠」、「プロジェクト透明性の欠如」、「法令無視」、「環境破壊」、「国益優先」、「自国労働者の連れ込み」などの批判は南アジア地域における同構想下のプロジェクトとも関連が深い事柄である。例えばパキスタン、スリランカは特に対中国債務が拡大しており、債務返済が困難なことからスリランカではハンバントタ港の運営権が中国との合弁企業に99年間貸与の形で渡ったことは知られている通りである。その他にも中国の進出によって政治汚職の増加や、政治動向が揺れ動く国々が南アジア地域に確認されるが、これらの問題は中国側のみに責任が求められるものばかりではなく、各国の国内政治にも責任の一端があると言える。

コロナ禍にみる南アジア地域の対外政治経済動向-対印、対中関係を中心に-
・インドの動向
 2020年6月にインド北部ラダック地方で国境紛争が勃発し、インド側で死者が出たことにより印中関係は急速に冷え込んだ。1962年の印中国境紛争以来、両軍が対峙してきた中で死者が出るのは45年ぶりのことだった。これにより、インドは中国のアプリの禁止措置や政府調達による中国企業の参入制限を開始した(日本経済新聞 2020.7.30)3 。今回の国境紛争がインド側に死者を出す惨事となったことは、両国関係にこれまでにない亀裂をもたらす可能性があるが、3カ月後の9月に国防長官同士が対話をしており、両国首脳は共に11月開催の上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization : SCO)とBRICSの会議にオンラインで参加している(日本経済新聞 2020.9.5, The Economic Times 2020.11.10, The Times of India 2020.11.17) 4。外交関係が不安視される中、これまでのようにインドと中国は二国間、多国間で常に関係性の維持に努めていることがわかる。
 モディ政権の国境問題に端を発する中国への対応は、中国からの経済依存の脱却と自国工業化の機会に結び付けるという意味合いもある。インドは中国からの工業品、機械製品輸入を中心として、莫大な対中貿易赤字を抱える。モディ政権が掲げてきたメイク・イン・インディアを実現するために、中国からの輸入を削減し、自国での生産に代替するという計画である。このため、工場を誘致し、国内製造業を活発化させ、最終的には輸出拡大に繋げたいという狙いがある。インド政府は2020年4月に携帯電話などの国内生産を促すために助成制度を設け、iPhoneの製造を手がけるウィストロンやペガトロンなどが既に申請を行っている(日本経済新聞 2020.10.8)。モディ首相は「自立経済圏構想」を打ち出し、米中貿易戦争やパンデミックで活発になった世界的な中国依存のサプライチェーン再編の動きがある中で、これを取り込みインドの工業化に繋げたいのである。全体としてはこの間中国の対インド投資は縮小したとみられるが、AIIBで承認されたプロジェクト数は5件で、総融資額では前年を上回る5
 既に述べたように、インドはインド太平洋においてクアッドを通じた中国への対抗姿勢を見せている。この事実上の対中国包囲網の動きは特に2010年代以降に活発化するが、2020年は更なる連携強化が見られた。10月には日米豪印の外相会談が東京で催され、今後同会議を定例化することが決まった(日本経済新聞 2020.10.7)。続く11月には日米豪印による共同軍事訓練「マラバール2020」がベンガル湾とアラビア海で二回に分けて実施された(The Hindu 2020.11.20)6 。その他にも日米豪印の中の二国間でも外相会議や防衛閣僚会議、軍事訓練が実施されており、インド太平洋を巡る中国に対抗する枠組み強化の動きがこれまで以上に加速している。
 他方で、インドは周辺諸国との協力関係構築にも積極的に取り組んでいる。各国とインドの政治経済関係の動向については次節以降で確認するが、「近隣ファースト政策」を掲げるモディ政権は新型コロナウイルス対策協力を南アジアの近隣諸国に呼びかけるなど、パンデミックを契機に周辺諸国との関わりを強めようとする意図がみられる(山崎 2020:69-72)。2021年1月にはインドで製造されたワクチンをネパール、ブータン、バングラデシュ、モルディブに無償で提供しており、今後販売も計画している(産経新聞2021.1.26)7

・パキスタン、スリランカの動向
 CPECをはじめとする「一帯一路」構想関連のインフラプロジェクトは2020年2月から中断していたが、新型コロナウイルス感染が拡大する中でも、パキスタン政府は4月に再開の指示を出した(Nikkei Asia 2020.4.22)。5月には中国パキスタン合弁企業がカシミール地方のディアマー・バシャ・ダムの建設プロジェクトを受注し、翌6月に中国とパキスタンは同地方における水力発電プロジェクトの契約を結び、中国企業のコハラ水力発電が工事を行うこととなった(日本経済新聞 2020.5.26;2020.7.8)。10月にパキスタン政府は「一帯一路」構想の一環で、アラビア海に浮かぶシンド州管轄権の二つの島を政府直轄領に再編した(日本経済新聞 2020.10.23)。
 これらに加え、港湾都市グワダルではフェンス敷設が進み、中国資本が注ぎ込まれる同地の安全性の確保が進められている(日本経済新聞 2020.12.16)。新型コロナ感染症拡大に伴う財政支出の増加と経常収支の赤字化により、パキスタンの財政状況はこれまでにも増して逼迫している。これによりパキスタンは中国に債務返済期間の延長を要請し、またCPECプロジェクト(鉄道事業ML-1)を巡って融資金利の交渉を行っている(日本経済新聞 2020.11.8)。CPEC公社統括者の汚職疑惑、二島の政府直轄の動きやグワダルにおけるフェンス敷設などを巡って、パキスタン国内では中国への反発感情が出ている。パキスタン政府は中国アプリの禁止措置を講じるなど中国への対抗姿勢も時に見せるものの、コロナ禍を通して中国への経済的な依存度は高まる一方である8
 スリランカでは2019年11月にゴタバヤ・ラジャパクサが新大統領に就任し、2005〜2015年まで大統領を務めたマヒンダ・ラジャパクサを首相に据える新たな体制に移行した。前シリセナ大統領はマヒンダ・ラジャパクサ時代に進んだ中国傾斜の修正を試みたが、新政権下では中国重視の政策に回帰するとの見方が強い。ラジャパクサ兄弟による新体制は、スリランカの強い政府を求める政治ムードと同時にシンハラ・ナショナリズムの高まりの中で生まれた(The Diplomat 2019.12.13)。マヒンダ・ラジャパクサ首相がイニシアチブを取る形で大統領に司法長官・警察長官任命権など権限を与えるための法案の策定が進み、2020年10月に議会で同法案が可決され、これにより大統領の権限は一層強化されることになった(日本経済新聞 2020.10.2;Al Jazeera 2020.10.22)9
 ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は初めての外遊先にインドを選び、同国との関係性を安定させることに意識を置いている。ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は就任してすぐにインドを訪問しモディ首相と会談を行い、インドから4.5億ドルの援助が約束された(The Times of India 2019.11.30)。また2020年9月には10億ドルの支援を得るとともに、対印債務繰延協議が進められた(日本経済新聞 2020.9.27)。スリランカはインドとの協力関係を築く一方で、中国からの協力を引き出している。3月には中国国家開発銀行(China Development Bank : CDB)から5億ドルの緊急融資を受け、その後同銀行から5月に8,000万ドルの融資が追加された(The Times of India 2020.3.18; Nikkei Asia 2020.5.15)。
 スリランカの全債務の約14%を中国一国が占めており、日本の約12%、インドの約2%と比較しても高い。一連のインフラ整備や経済援助と合わせてみれば、スリランカの中国への経済的な依存状態が理解できる(The Hindu 2020.6.28)。スリランカの財政状況が悪化する中でスリランカの外貨建て債務格付けは引き下げられ、IMFによるスリランカへの融資が見込めない中で両者の関係性が悪化している(Daily FT.2020.11.20;Nikkei Asia 2020.10.12)。スリランカは2020年9月には日本の鉄道整備計画の中止を発表し、12月になるとアメリカが2019年に交渉が進んだミレニアム挑戦会計(Millennium Challenge Account)による融資の中断を決定した(日本経済新聞 2020.9.26;2021.1.5)。2021年2月にはインドと日本との協力で計画が進んでいたコロンボの湾岸開発事業について、自国のみで開発すると変更を発表した(日本経済新聞 2021.2.4)。これらの状況に鑑みると、スリランカにおいて中国が今後更に影響力を強める可能性が示唆される。

・バングラデシュ、ネパール、モルディブの動向
 世界的な新型コロナウイルス感染拡大の中、バングラデシュは2020年7月から中国との貿易において優遇処置を受けられるようになった。この1カ月ほど前にハシナ首相は習主席とパンデミック下における二国間関係強化について議論をしており、また習主席は6月中旬にインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議にて、1年以内に後発開発途上国(Least Developed Countries : LDC)に対して中国市場へのアクセスを広げると話していた。このような流れの中で、バングラデシュから中国への輸出の際に関税免除となる特恵関税の適応品目が拡大された(The Economic Times 2020.6.20)。バングラデシュでは従来から欧米市場依存が問題視されていたが、中国市場へのアクセスを得る形で輸出先の多様化が一歩前進したことになる。
 また、パドマ橋建設などに続く中国企業によるインフラ整備が拡大している。2020年4月には、中国企業とインド企業が競っていたバングラデシュ北東部のシレット空港ターミナル建設プロジェクトを、中国企業が受注することになった(Nikkei Asia 2020.8.11)。この他にも、インドとの間で遅々として進まない北西部ティースタ川整備プロジェクトについても中国側が関心を示したため、バングラデシュは2022年までプロジェクト事前調査結果の提出期間を延長することに決定した(New Age 2020.12.21)。
 中国との外交のみならず、2020年12月にハシナ首相はモディ首相とオンラインでの会談を行い、両国外交関係の重要性を確認し、インフラプロジェクトに関連する7つの協定を結んだ(Live mint 2020.12.17)。また、バングラデシュの中国への接近を危惧するアメリカも、バングラデシュへの外交関係強化に出ている。2019年にバングラデシュはアメリカ国防省と新たな兵器購入に向けた交渉を開始し、2020年9月にはエスパー国務長官がハシナ首相と電話会談で軍備の近代化支援の提案を行なった(日本経済新聞 2020.10.11)。同年月に開かれた両国政府高官によるオンライン会議では、アメリカ企業による情報技術、製薬、農業分野でのバングラデシュ投資の加速について話し合われた。他方で両国政府間は9月末に航空協定の調印も行っている(Nikkei Asia 2020.10.6)。
 ネパールのオリ政権下では中国への接近が進んだ。2019年にネパールは中国との間で各種インフラに関する覚書を取り交わしたほか、約5億ドルの援助を受けた(The Week 2019.10.13)。中国資本による大型インフラプロジェクトとしては国際空港の建設が進められている(日本経済新聞2020.3.1)。ネパールと中国の政治的経済的結びつきが強くなる中で、アメリカは2019年にネパールを戦略的重要地として位置付け、翌2020年にはミレニアム挑戦会計の下でエネルギー、インフラなど約5億ドルの援助を行うことを決めた(Nikkei Asia 2020.6.11)。
 しかし、アメリカからの援助に関して前向きなオリ首相は与党内の親中国派から反発を受けており、オリ政権下で進んだ中国との協力関係が与党を分裂させている(産経新聞 2021.1.5)。インドとの関係については、2020年1月にネパールとインド両首相がインド政府の出資で建設されたビラトナガルの国境検問所の落成式をオンラインで行い、この際にインドはネパールに約16億ドルのインフラ開発融資を約束した(The Economic Times 2020.6.16)。
 モルディブでは2018年に親中派のヤミーン政権からソリ政権に移行し、中国傾斜の修正が始まった。ソリ政権はインドとの関係を修復し、14億ドルの融資枠をインドから得た(Live mint 2018.12.17)。また、インドはこれまでモルディブがアメリカとの間で防衛協定を結ぶことに反対していたが、2020年9月に一転して容認を決めた(Nikkei Asia 2020.9.27)。これはインド洋で影響力を増す中国を意識した動きと捉えられ、近年インド太平洋を巡る日米豪印の安全保障の連携枠組み作りが進んできたことが背景にあると言える。2020年8月には首都マレと三つの島を結ぶインフラプロジェクト、大マレコネクティビティープロジェクト(Greater Male Connectivity Project : GMCP)に対するインドの5億ドルの融資、そしてインドによる2億5,000万ドルの感染症対策財政支援が決まった(Hindustan Times 2020.8.13)。
 GDPの50%以上を観光業に依存するモルディブは南アジアでパンデミックの影響を最も受ける国と言われており、これまで既に多額の債務を抱えていたが、観光業の低迷により財政状況は更に悪化している。経済への打撃が大きいことから、モルディブの信用格付けは引き下げられている(日本経済新聞2021.1.7)。観光客全体に占める中国人の割合は高く、インフラ事業もこれまで中国に依存し、債務の約半分は中国によるものである。モルディブは債務の返済期限の延長や減額など中国との交渉を行っている(Nikkei Asia 2020.12.1)。

南アジア地域の政治経済を規定する要素
・パンデミックによる経済的な影響
 インドと南アジア周辺諸国の経済規模や人口、経済産業構造は大きく異なるが、南アジア地域にみられる外貨獲得の手段には共通点が存在し、地域大のパンデミックの影響を考察する上での材料となる。南アジア諸国の多くは欧米諸国を主な市場としており、ヨーロッパとアメリカにおける消費が回復しなければその分南アジア諸国の経済に影響が及ぶ。
 また、南アジア諸国は多くの海外出稼ぎ労働者を輩出しており、世界経済の停滞は母国への送金減少に繋がる。南アジア各国の対GDP海外送金流入額の比率は、ネパールが約27%、パキスタン、スリランカは約8%、バングラデシュは約6%、アフガニスタンは約5%、インドは約3%となっている(World Bank 2020 : 46)。特に中東諸国への出稼ぎ労働者が多いため、同地域の経済回復が出稼ぎ労働者の送金額に影響するところが大きい。
 観光業への打撃もまた、南アジア地域の経済を左右する可能性がある。特にGDPに占める観光産業の割合が高いモルディブ(約57%)、スリランカ(約10%)への経済のダメージは特に大きいといえる(WTTC ホームページ)10 。その他の南アジア諸国の観光産業がGDPに占める割合はインドが約7%、ネパールが約7%、パキスタンが約6%、バングラデシュが約3%となっている(同上)11
 南アジア地域にはパンデミック以前から多額の債務を抱えていた国が多く、対GDP債務比率は2019年度から2020年度にかけて、モルディブが約77〜120%、スリランカが約86〜102%、ブータンが約104〜109%、パキスタンが約89〜93%へと悪化するとの予測がある(World Bank 2020 : 108-131)12 。債務が拡大する状態で、パンデミックのための支出に加えて、このように長期に渡って外貨収入の現象が予想される。
 もちろん、インドやバングラデシュでみられるように、コロナ禍をICTセクターや医療分野における成長機会に繋げている国も存在するが、それらだけで経済の落ち込みを相殺することは困難である。南アジアは2020年に経済の縮小が世界で最も進んだ地域で、新たに貧困層に転じた人口が最も多い地域とされており、パンデミックによる同地域の「ニュープアー」の出現と対策が今後更に問題になっていくと考えられる(World Bank 2021;World Bank ホームページ)13

・ 南アジア諸国と日本の政府開発援助
 中国の「一帯一路」構想、南アジア周辺国であればインドからの各種支援やアメリカのミレニアム挑戦会計など、各国の政治経済に多大な影響をもたらす可能性が高い重要な対外関係は多岐に及ぶ。南アジア地域に対する政府開発援助(Official Development Assistance : ODA)もまた、その一つと言える。
 経済協力開発機構(Organisation for Economic Cooperation and Development : OECD)の統計で南アジア地域へのODA推移を確認すると、アジア地域ODAに占める南アジア地域へのODAの割合が高いことがわかる。2000〜2009年にかけて南アジア8カ国が受け取った一年あたりの平均援助額はアフガニスタン、パキスタン、インド、バングラデシュ、スリランカ、ネパールの順に高く、これら6カ国はアジア地域全体で47カ国ある被援助国の内、上位13国に入る。同様に、2010〜2017年の一年あたりの平均援助額はアフガニスタン、パキスタン、インド、バングラデシュ、ネパールの順で高くなっており、これら5カ国は47カ国中上位11位に入る。つまり、アジア地域のODAに占める南アジア諸国の割合が極めて高いことがわかる。
 この南アジア地域へのODAで突出しているのが日本である。日本のODAはアジアに集中しており、その中でも南アジア諸国への貢献が顕著と言える。QWIDS(Query Wizard for
International Development Statistics)を用いて2014〜2018年の日本のアジア太平洋地域ODAランキング上位20カ国の推移を確認すると、南アジア諸国は毎年5〜6カ国が含まれている。中でもインド、バングラデシュは常に上位5カ国に数えられる。南アジア諸国へのODAについて、各国に占める日本のODAの割合もまた高い。2018年の数字を見れば、南アジア8カ国中4カ国において、日本からのODAが占める割合は50%を超えている。日本の南アジア諸国への援助はパンデミック下でも確認することができる。新型コロナウイルスへの対応のための全般的な支援、そして感染症対策や医療体制整備の支援などが有償・無償の形で提供された14
 FOIPを主導し、またクアッドの一翼を担う日本は、南アジア地域における国際協力援助を被援助国の社会開発と経済発展だけでなく、同地域への日本企業の進出や安全保障の観点からも捉えている。日本はODA、あるいは民間投資や安全保障面を通して南アジア諸国との繋がりを強化しており、南アジアは日本が国際協力と経済産業政策、安全保障の三つを連携させて進出に取り組んでいる地域なのである。このように、日本は今後南アジア諸国の政治経済に影響を与える要素として同地域におけるインド、中国に続いて注目される存在と言える。

おわりに
 これまで南アジア地域に形成されてきた政治経済構造の枠組みを基に、コロナ禍における南アジア諸国の動向について確認してきた。中国は現代南アジア地域の政治経済に影響を与える当事者であり、南アジア地域の中心国インドは中国との協力と対立の中で大国化を試みている。伝統的に親インドであった南アジア周辺諸国は、中国との関係性を構築することでインドとの関係のバランスを取ろうとしている。
 新型コロナウイルス感染拡大によって、南アジア地域に以前から存在した政治経済関係の枠組みの中で様々な動きが確認された。印中政治経済は国境紛争を境にこれまでにない緊張状態に陥り、インドでは反中国的な経済政策が継続されている。インドはこの間、印中関係悪化に伴い自国経済政策を調整する一方でクアッドの協力関係の強化に務めきた。
 しかし、インドの中国との経済的な結びつきは簡単に排除できるものではなく、外交においても両国は交渉の場を定期的に設けている。対立の中にも引き続きインドと中国はお互いの関係性から得られる実質的なメリットを見失っていないと考えられる。
 インド周辺諸国と中国間、そしてインドとインド周辺国間では各種投資案件や「一帯一路」構想関連のプロジェクトに進展がみられた。これらに加えて、インド周辺諸国はパンデミック対策やワクチン協力、債務返済問題、などを入り口としてインドと中国双方との交渉を行っている。インドと中国はパンデミックへの対応の中で南アジア周辺諸国への影響力維持ないし拡大を意識しており、周辺諸国はインドと中国との外交を基軸に経済の建て直しを試みている。バングラデシュやパキスタンは大国間で比較的安定した政治的経済的関係性を維持しているようにみえる。本稿では触れていないが、ブータンも同様である。しかしパキスタンは中国と、ブータンはインドとの強力な結び付きが前提にあるため、これらの国々の中で大国間のバランスに成功しているのはバングラデシュと言えるかもしれない。他方で、スリランカ、モルディブ、ネパールは大国間で一国政治経済が揺れ動き、順応を試みている段階ともとれる。
 パンデミックによる輸出停滞、海外送金流入の減少、観光産業へのダメージは長期に渡って南アジア地域経済の回復を不透明にする可能性がある。この状況により、インドと中国、特に資金力に余裕がある中国が南アジア地域にどのような影響を及ぼすかは重要な問題と言える。また、中国のインド太平洋における影響力拡大を懸念するアメリカや日本は、インドと安全保障の連携体制を組み、軍事訓練を行うと同時に南アジア諸国において経済協力やODAなどによって政治的経済的影響力を高めようとしている。この動きが南アジア地域に与える影響力も大きいと考えられる。
 南アジア地域の政治経済動向は流動的であり、依然としてパンデミック後を見据えられない状況ではあるが、これまで確認してきた南アジア特有の要素が、各国の安定した経済成長に寄与し、貧困緩和と生活の向上を実現することができるか否かが今後重要となってくる。

【参考文献】
日本貿易振興機構アジア経済研究所(2020)『アジア動向年報2020年度版』日本貿易振興機構アジア経済研究所。
平川均(2019)「「一帯一路」構想とアジア経済」平川均・町田一兵・真家陽一・石川幸一編『一帯一路の政治経済学』所収、文眞堂。
深澤光樹(2019)「「一帯一路構想」と南アジア」平川均・町田一兵・真家陽一・石川幸一編『一帯一路の政治経済学』所収、文眞堂。
堀本武功(2019)「モディ外交:大国化指向外交の展開」『現代インド・フォーラム』No.42、日印協会。
山崎恭平(2020)「4 新型コロナで南アジア40年振り不況に」『国際貿易と投資』No.120、国際貿易投資研究所。
OECD. 2019.“Development Aid at a Glance Statistics by Region 4. Asia”OECD.
World Bank. 2020.“COVID-19 and Informality” South Asia Economic Focus (October),
World Bank, Washington, DC.
World Bank. 2021. Global Economic Prospects, January 2021. Washington, DC: World Bank.
 
【参考ホームページと新聞】
外務省
産経新聞
日本経済新聞
AEI
AIIB
Al Jazeera
Daily FT
Hindustan Times
JETRO
Live Mint
New Age
Nikkei Asia
OECD
QWIDS
The Diplomat
The Economic Times
The Hindu
The Times of India
The Week
World Bank
 


1 第1章「現代南アジア地域の政治経済と中国」は本稿で扱う時事的な問題を展開する上で、南アジア地域の政治経済の基本的構造を示すもので、深澤(2019)を基とし編集作成したものである。詳細については参照にされたい。「一帯一路」構想に関連した動き、そして中国へのインドの対応が顕著にみられるインド周辺諸国として、本稿では主にインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、モルディブに焦点を置いている。また、本稿はパンデミック下(主に2020年)の南アジア地域にみられる政治経済の変化を追う総論として位置付けている。そのため、時事問題を扱うことから情報源の多くは新聞報道(インターネット版を含む)や各種ホームページに依拠することに留意されたい。

2 QUADはQuadrilateral Security Dialogueからきている。
3 インドにおいて中国のアプリは2020年6月に59、9月に118、11月に43のアプリが使用禁止となり、2020年末までに合計220アプリに達した(日本経済新聞 2020.11.25)。
4 これらに加え、2020年12月18日に行われたインドと中国の外相会談で両者はラダック地方において軍事衝突を避けるための対話を継続することに合意した(The Economic Times 2020.12.31)。
5 アメリカン・エンタープライズ・インスティチュートによる中国の対インド民間投資データによれば、2020年を通した投資は2件と2019年の14件と比較しても少ない(AEI ホームページ)。しかし、同機関が全ての投資をモニターできていない可能性にも留意されたい。インドが2019年にAIIBから融資された額は8億8,500万ドルであったのに対して、2020年は19億8,500万ドルとなった(AIIB ホームページ)。この内、新型コロナウイルス感染防止対策関連プロジェクトは2件で、額は12億5,000万ドルにのぼる。
6 マラバールはインドとアメリカによる軍事訓練として始まり、2007年には日本、オーストラリア、シンガポールが参加したが中国の反発によりオーストラリアはその後参加を見送っていた(これはクアッド1.0とも呼ばれる)。2017年以降に日米豪印の枠組みの必要性が4カ国で見直され、これ以降のクアッドはクアッド2.0とも呼ばれる。「マラバール2020」(第24回)にはオーストラリアが参加し、13年ぶりの日米豪印4カ国共同訓練となった(The Diplomat 2020.11.23)。日本は2017年よりマラバールに正式に加わっている(日本経済新聞 2020.10.21)。
7 ワクチンはイギリスのアストラゼネカが開発したものをインドが製造。アフガニスタン、スリランカにも条件が整い次第発送される予定(日本経済新聞:2021.1.20)。
8 パキスタン通信規制庁は10月9日に中国のアプリTikTokの配信禁止を決めたが、10日後の19日には禁止を解除した(日本経済新聞 2020.10.21)。2020年8月、CPEC公社の代表を務める元陸軍中将アシム・サリーム・バジュワは、軍の地位を利用して親族にビジネスの便宜を図ったとの疑惑で批判を受ける。ハーン首相の特別顧問だったが9月に辞任、CPEC公社の代表は継続することとなった(The Diplomat 2020.9.4)。
9 これにより、首相の権限は各省と大臣の任命権と罷免権、そして政府の選挙や行政サービス、警察、人権、汚職調査などの機関における任命権にまで拡大した(Al Jazeera 2020.10.22)。
10 モルディブにおける観光産業雇用者が同国全雇用に占める割合は約60%、スリランカが11%になる(WTTC ホームページ)。
11 参照したWTTCホームページではブータンのデータは確認できない。観光産業雇用者が同国全雇用に占める割合はインドが約8%、ネパールが約7%、パキスタンが約6%、バングラデシュが約3%となっている(WTTC ホームページ)。
12 インドは約72〜90%、バングラデシュは約48%〜59%、ネパールは約30%〜38%となる見込み(World Bank 2020:108-131)。
13 世界銀行のデータによれば、2020年の南アジア地域の実質経済成長率はマイナス6.7で世界各地域との比較で最も低い。また、2021年1月予測を基とした世界銀行の試算では2020年に1億1,900万人から1億2,400万人の人々が1日当たり1.90ドル以下で暮らす貧困層となり、南アジア地域はその内の約60%を占めるという(World Bank ホームページ)。
14 2020年6月にはモルディブに総額9億円、ネパールに総額3億円、7月にスリランカに総額8億円、7〜8月にかけてバングラデシュに総額約14億円、9月にインド に10億円が無償資金として提供されている(外務省 ホームページ)。円借款では8月にバングラデシュに対して350億円、9月にインド に対して500億円、同月にモルディブに対して50億円の支援が行われた(同上)。

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