国際協調なき新型コロナウイルス感染症対応
―国際政治理論からの問題提起―

中村長史
2021/05/14

はじめに
 2019年末に中国・武漢での罹患者発生が公表された新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)は、2020年に入ると世界中に拡大した。今や、コロナ対応が世界中の人々の健康に関わるグローバルな課題であることは、論を俟たない。にもかかわらず、このグローバルな課題に対して諸国家が十分に協調して取り組んできたとは到底言えない。なぜ、このような状況が生まれたのか。本稿では、この問いに答える準備作業として、「積極的協調」と「消極的協調」を鍵概念として状況の整理を試みる。むろん、紙幅の制約があるなか各国・地域のコロナ対応について包括的に扱うことはできない。そこで、本プロジェクトの趣旨ならびに筆者の役割に鑑み、本稿では国際政治理論の観点から大国間関係や国際機関を中心に論じることとする。

1.夢物語に終わった「パックス・コロナ」
 コロナ対応に際して諸国家が十分に協調して取り組むことができていないと指摘したところで、何ら驚くべきことではないという反応があるかもしれない。たしかに、国際協調が必ずしも容易ではないことは、中央政府なき国際政治の基本である。しかし、ここで留意すべきは、国家によって構成される社会(国際社会)全体にとって「共通の敵」と認識し得るコロナへの対応をめぐってさえ1、協調が不十分だという点である。例えば、2001年の9.11同時多発テロ事件後は、テロ組織という非国家主体が国際社会全体の「共通の敵」とみなされたため2、短期間ではあれ、またその是非はさておき、「対テロ」の一点で諸国家がまとまった。一方、今回のコロナ禍に際しては、2020年3月にブラウン元英国首相が暫定的な「グローバル政府(global government)」樹立構想を示す場面3やグテーレス国連事務総長がコロナ対応に専念するための「グローバル停戦(global ceasefire)」を呼び掛ける場面4があったものの、そうした協調はおろか、むしろ国家間対立が激化する事態となっている。
 これは、次の点を踏まえると、さらに不思議なことのように思われる。感染症と並ぶグローバルな課題には気候変動があり、対立が深刻化する米中間でも協調が望める可能性のある分野だとされるほど、諸国家がまとまって対処する必要性が高いと考えられている。コロナ禍は、この気候変動と比べても、緊急性がより高い。現在以上に甚大な被害が将来世代に及ぶと考えられる気候変動に対して、コロナ禍は現前の問題である。その点で、諸国家が協調して対応する必要性がより高いはずなのである。にもかかわらず、発生から1年以上が経過した2021年4月現在、コロナ対応を機に諸国家が一時的であれ協調する「パックス・コロナ」は夢物語に終わったと判断せざるを得ない。

2.「積極的協調」なきコロナ対応
 世界中に広がったコロナであるが、人口に占める感染者数や死亡者数の割合は国によって大きく異なっている。感染者数の割合については検査体制の違いに左右される面もあるだろうが、死亡者数の割合が大きく異なる(大まかにいえば、北米・南米・欧州で高く、アジアで低い)点については、マスク着用習慣の有無や元々の健康水準の違い、特定地域の住民が獲得している免疫が存在する可能性等が、要因として検討されている。こうした社会的・身体的な面に加え、各国の政策について論じられる機会も多いが、当初注目を集めたのが権威主義体制の方が民主主義体制よりもコロナ対応に成功しやすいのではないかという議論であった。収束の見込みが立たない米英に対して、比較的早期に抑制した中国という大国間のコントラストが、この認識を強める一助となった。もっとも、この権威主義体制優位説に対しては、ごく早い段階から、重要なのは政治体制ではなく、国民の政府への信頼度ではないかという議論が提起されていた5。ある程度データが集まった2021年3月の時点になると、権威主義国にはコロナ抑制に関して長期的な優位性はなく、むしろ米英等の例外はありながらも民主主義国の対応は権威主義体制や混合体制よりもわずかに成功しているとの評価が出てきている6
 この論争については、今後より多くのデータが集まるにつれて一定の決着がつくであろうが、こうした政治体制の優位性をめぐる議論が生じること自体が、本稿においてはポイントとなる。諸国家がコロナ対応で十分に協働できていないことを示唆しているからである。これを「積極的協調」が欠けていたと表現することにしよう。たしかに、ワクチンを複数国で共同購入して公平に分配するための国際的な枠組みである「COVAX(COVID-19 Vaccine Global Access)ファシリティ」が立ち上げられるといった成果はあった。しかし、全体的に「積極的協調」が低調であることは否めず、ブラウン元英国首相による暫定的な「グローバル政府」樹立構想が形になることはなかった。
 「積極的協調」には指導的な立場の国が必要であり、その役割を真っ先に期待されるのが超大国の米国であることは衆目の一致するところだろう。しかし、米国自身が対応に苦心して国内で強い批判にさらされるなかでは、指導力を発揮することは難しかった。9.11同時多発テロ事件の際には、「旗の下への集結(rally-round-the-flag)」、すなわち、テロ事件前は支持率が低迷していたブッシュ大統領への国民の支持が国難の状況下で高まるという現象がみられたが7、今回のコロナ禍においては、むしろトランプ大統領への支持が低下する結果となった。発足時より単独行動主義を採っていた点ではブッシュ政権もトランプ政権も(程度の差はあれ)同様であるが、国内協調が困難ななかで国際協調の道を選択することは困難であったと考えられる。
 また、国際機関が指導力を発揮することも難しかった。むしろ、WHO(世界保健機関)等の国際機関は、諸国家のコロナ対応の好評獲得や悪評回避のために「利用」されたといえる。対応が比較的奏功している際には、国際機関から高い評価を得ていることを国内での国威発揚や対外的なソフトパワーへの転化のために強調するといったことがみられた。一方、政策実施の必要性は高いものの有権者に不人気な政策について有権者からの非難が予想される場合には、政府は専門家集団とともに8国際機関を前面に出して、非難回避(blame avoidance)を図ることがあった9。より単純に対応が奏功していない際には、国際機関へと責任転嫁することもあった10。例えば、トランプ大統領は、自国の死亡者数が急増していくにつれてWHOが中国寄りであるとの批判を強め、資金提供の一時停止や脱退を表明するまでに至った(表1参照)。

対応が奏功している時 対応が奏功していない時
対内発信 国際機関からの評価を用いた国威発揚 国際機関を用いた非難回避・責任転嫁
対外発信 国際機関からの評価を用いたソフトパワーへの転化 国際機関を用いた責任転嫁

表1. コロナ対応における国際機関の「利用」(筆者作成)

 もちろん、国際機関の側が国家の行動に多少なりとも影響を与えた面を無視するべきではなく、わかりやすさを優先した結果、表1の整理にはやや戯画的なきらいがあることは否めない。しかし、ここで重要なのは、コロナ対応に際して国際機関が強い指導力を発揮することは原理的に困難であり、それは大国の役割であったはずだということである。現在の国際社会においては、国際機関にとって、国家の意思から独立して機関としての意思決定を行なう「国家からの自立性」と機関として決定した意思に国家を拘束させる「国家への拘束力」を同時に高めることが極めて難しいからである11。国連の専門機関として専門家が集うWHOの場合は、政府代表に権限が集中している国連安全保障理事会(安保理)等に比べれば「国家からの自立性」が高い分、「国家への拘束力」は低い状況に甘んじざるを得ないのである。
 このように、超大国も国際機関も指導力の発揮が難しい状況にあっては、「積極的協調」は望むべくもなかった。ただし、米国がコロナのワクチン等に関して知的財産権の免除を支持する声明を2021年5月5日に発表するといった新たな動きがみられる点には触れておく必要があるだろう12。他の先進国も続いて支持を表明することになれば、米国が2021年1月に発足したバイデン新政権のもとで「積極的協調」に向けて指導力を発揮する転機となる可能性がある。これらを現時点で判断するのは時期尚早であるため、引き続き注視したい。

3.「消極的協調」なきコロナ対応
 
コロナ禍において諸国家は積極的に協調して対応にあたらなかったばかりか、対立を避けるという形で消極的に協調することさえなかった。2020年3月にグテーレス国連事務総長がコロナ対応に専念するために世界各地の武力紛争の停戦を呼びかけると、国連安保理でも、この呼びかけを支持する声が高まった。しかし、米中の対立によって合意に時間を要し、「少なくとも3ヶ月の停戦」を呼び掛ける決議の採択までに3ヶ月以上を要した13 。米国が決議のなかでWHOに言及することに強く反発したのに対し、中国はWHOへの言及に強くこだわった。拒否権を有する大国がWHOへの言及の有無という決議の本筋とは関係の薄い点で合意できず、緊急性の高い決議を採択できない事態に陥ったのである14
 米国と中国は、より直接的にも対立を深めた。米国では、オバマ政権末期より知的財産権侵害、技術移転強要、技術の盗取といった情報通信分野での中国の行動への懸念が強まっていたが、トランプ政権は、ファーウェイ制裁に加え、コロナ禍においても情報通信分野での中国企業排除を目指す「クリーンネットワーク」計画、人民解放軍との関係が疑われる留学生のビザ取り消し等の措置を講じた。米中間には、情報通信以外にも、香港、台湾、ウイグル等の多くの対立要因があり、バイデン政権においても、手法は改めつつもトランプ政権の姿勢を踏襲する可能性が高い。すなわち、トランプ政権時の二国間の関税引き上げ等が中国の行動を変化させることに成功していないという認識から、同盟諸国と協力した多国間的な手法で中国に圧力をかけることが考えられる15。コロナ禍は続くが、米中対立もまた続くことが予想されるのである。

おわりに
 このように、コロナ禍において諸国家、とりわけ米中の間には、コロナ対応で協働する「積極的協調」のみならず、対立を控えて各々のコロナ対応に専念する「消極的協調」さえもみられなかった。コロナというテロと同様の国際社会の「共通の敵」が存在し、気候変動等の他のグローバルな課題よりも緊急性が高いにもかかわらず、国家間の協調はみられなかったのである。
 この分析が的外れなものでないとすれば、日々報道される個別国家の「非合理な政策」や国民の「気の緩み」といった属人的な要因のみならず、国家間の「積極的協調」と「消極的協調」の不足という構造的な要因がコロナ対応を不十分なものとしていることにも目を向ける必要がある。筆者の杞憂であればよいのだが、コロナ禍でさえ国家間の協調がないのを仕方がないことだと受け止めてしまう現実追随の風潮が国内外にありはしないか。現実主義と理想主義を併せ持つ重要性を強調するがゆえに理想主義が行き過ぎる状況に対して現実主義の立場から自覚的に批判を加えたE・H・カーのひそみに倣うならば16、過度の現実主義(現実追随)が横行する現状の打開には理想主義の力を借りる必要があるのかもしれない。ブラウン元英国首相による暫定的な「グローバル政府」樹立構想やグテーレス国連事務総長による「グローバル停戦」の呼びかけを実現には程遠いながらも紹介したのには、こうした意図があった17
 では、なぜ、これほどまでに協調の機運が失われているのだろうか。この点につき、コロナ以前より指摘されていた「リベラル国際秩序の動揺」をめぐる議論にさかのぼって分析することが、次の課題となる。


1 ウイルス自体を敵視したりコロナ対応を戦争になぞらえたりする言説に必ずしも与するものではなく、いわば「非国家主体」が招いている事態であるがゆえに国家間の協調を促進し得たのではないかということが、ここでのポイントである。コロナ以前の感染症に対する国境を越えた保健協力体制(グローバル・ヘルス)については、詫摩佳代 『人類と病―国際政治から見る感染症と健康格差』、中公新書、2020年を参照。
2 むろん、これは自然とそうなったのみならず、米国政府の政策選択の結果でもあった。ブッシュ政権は、ビン・ラディン容疑者の捕捉という形で個別のテロリズムに対応するのではなく、世界中のテロリズムに対応する方針を示すことで、対内的にも対外的にも支持を得ることに成功した。Michael Cox, “Meaning of Victory: American Power after the Towers,” Ken Booth and Tim Dunne eds. Worlds in Collision: Terror and the Future of Global Order, Palgrave, 2002, p.155; Robert Keohane, “The Public Delegitimation of Terrorism and Coalition Politics,” Ken Booth and Tim Dunne eds. Ibid., p.141.
3 “Gordon Brown Calls for Global Government to Tackle Coronavirus,” The Guardian (26 March, 2020).
4 United Nations Secretary General, “Secretary-General's Appeal for Global Ceasefire” (23 March, 2020).
5 Rachel Kleinfeld, “Do Authoritarian or Democratic Countries Handle Pandemics Better?”, Carnegie Endowment International Peace Commentary, March 31, 2020; Ivan Krastev, Is It Tomorrow, Yet? : How the Pandemic Changes Europe, Premier Parallèle, 2020.
6 Lowy Institute, Covid Performance Index: Deconstructing Pandemic Responses. (accessed March 29, 2021)
7 J. E. Mueller, “Presidential Popularity from Truman to Johnson,” American Political Science Review 64, 1970, pp.18–34; William D. Baker and John R. Oneal, “Patriotism or Opinion Leadership? : The Nature and Origins of the “rally'round the flag” Effect," Journal of Conflict Resolution 45-5, 2001, pp.661-687.
8 例えば、日本では新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(2020年7月3日の廃止後は新型コロナウイルス感染症対策分科会が発足)が設けられたが、専門家会議が世論から非難を受けるリスクについて次第に当事者にも認識されるようになっていった。河合香織「分水嶺-ドキュメント コロナ対策専門家会議 連載第6回 専門家会議の『卒業』」『世界』3月号、2021年、152-153頁。
9 M. P. Fiorina, “Legislative Choice of Regulatory Forms: Legal Process or Administrative Process?,” Public Choice, 39-1, 1982, pp.33-66; Kent Weaver, “The Politics of Blame Avoidance,” Journal of Public Policy, 1986, pp.371-398.
10 ダグ・ハマーショルドやコフィー・アナン、マラック・グールディング、ジャン=マリ―・ゲーノといった一般に高い評価を受けている国連幹部でさえ、国連の活動がうまくいっているときには加盟国はその栄誉にあずかろうとするが、うまくいかないときにスケープゴートにされるのは事務局のみであったと繰り返し振り返っているのは、決して当事者の被害妄想だと片づけられるものではない。Brian Urquhart, Hammarskjold, Harper & Row, 1972, pp.50-51; Marrack Goulding, Peacemonger, Johns Hopkins University Press, 2002, p.342; Kofi Annan, Interventions: A Life in War and Peace, Penguin Books, 2012, pp.60, 157; Jean-Marie Guéhenno, The Fog of Peace: A Memoir of International Peacekeeping in the 21st Century, Brookings Institution Press, 2015, p.295.
11 Kenneth W. Abbott and Duncan Snidal, “Hard and Soft Law in International Governance,” International Organization 54-3, 2000, pp.423-424のような法化(legalization)の形態に着目する議論では、その指標の一つとして、義務の解釈がどの程度第三者へ委任されているかという意味で委任(delegation)という言葉が用いられるが、本稿がいう自立性に含まれる。また、法的拘束力がどの程度強いかという意味で義務(obligation)、義務の定義がどの程度厳密かという意味で厳密さ(precision)という言葉が用いられるが、共に本稿がいう拘束力に含まれる。自立性と拘束力については、最上敏樹『国際機構論 第2版』、東京大学出版会、2006年、178頁も参照。
12 Office of the United States Trade Representative,“Statement from Ambassador Katherine Tai on the Covid-19 Trips Waiver” (May 5, 2021).
13 UN Doc. S/RES/2532(1 July, 2020) para2.
14 東大作「コロナ禍によるグローバル停戦は可能か」『外交』62号、2020年、62-63頁。
15 古城佳子「ポスト・トランプ状況と国際協調の行方」『世界』1月号、2021年、200頁。
16 E・H・カーの『危機の二十年』については、前半部では現実主義と理想主義を併せ持つ重要性が指摘されるにもかかわらず、後半部ではもっぱら現実主義が重視されており、矛盾していると指摘されることがある。しかし、上記のように理解すれば、カーの立場は決して矛盾するではない。そもそも「首尾一貫した現実主義者など存在しない」と説くカーの現実主義が、国際政治の現象を体系的に説明するものではないのは当然である。そのような理論を求めてしまうと、『危機の二十年』は知的混乱をきたしているようにみえるかもしれない。あくまでも理想主義の行き過ぎを戒める「武器としての現実主義」だと考えるのが自然といえるだろう。Carr, E.H. Carr, The Twenty Years Crisis 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations, Macmillan, 1939/1946, pp.10, 89; Tim Dunne, “Theories as Weapons: E. H .Carr and International Relations,” Michael Cox ed. E. H. Carr: A Critical Appraisal, Palgrave, 2000, pp.221, 224.
17 E・H・カーのひそみに倣うならば、むろん、こうした普遍的道義を掲げる提案の裏に強者(大国)の特殊利益が潜んでいないかを吟味することもまた必要となるだろう。


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