50代の女性という、皮膚炭疽にかかったウエストトレントンの郵便配達員の年恰好で思いだしたのは、8年前の今ごろ、私たち一家がアメリカに来て初めて知り合ったフィラデルフィアの郵便配達員の女性でした。夫婦して30代半ばにして突如大学院生活を始めた私たちは、勉強に追われ、ハロウィーンの季節が来ても子供たちを学校の仮装行列に参加させるだけで精一杯でした。ハロウィーン当夜に子供と一緒に近所を廻り歩くことなど思いもつかず、誰からもキャンディをもらう機会がなかった子供たちが唯一お菓子にありついたのは、郵便配達の女性のお陰でした。彼女は、子供のいる家庭の郵便受けに、お菓子を入れた袋を配っていたのでした。いつも郵便物のぎっしりつまったかばんを重そうに肩から下げて歩いている姿を見かけていた私は、あのかばんに加えてお菓子まで運んで配ってくれた彼女に感動したのを覚えています。
あれからハロウィーンはアメリカでもっとも楽しい行事の一つとして我が家にも定着しました。例年10月半ばになると、子供たちはお友達と何の仮装をし、どの付近を廻って歩くかの作戦を練り、10月31日のハロウィーンの日を心待ちするようになりました。私は モトリック・オア・トリートモ と叫びながら家にやってくる子供たちのためにたくさんお菓子を買いこみ、その日はいつもよりオフィスを早めに出て家で待機します。子供たちが大手を振って、真っ暗闇の中を知らない家のドアをたたいてお菓子をせしめる冒険性、仮装をこらす楽しさ、大人も子供も一緒に楽しみを分かち合うことができること等、コミュニティへの信頼を基盤としたアメリカらしい行事の一つと思っていました。
それなのに、今年のハロウィーンは全く期待外れでした。炭疽菌騒動で神経質になった大人たちの大半は、子供たちを外に出さずに家でお友達を呼んでパーティをしたり、大人が同行して、よく知っている家にしか行かせませんでした。我が家の戸を叩いたのは隣近所の子供と家の子供たちの友人のみ。85人分ほど用意したお菓子はいつまでたっても減りません。外に出てみても例年のように仮装をこらした子供たちが楽しそうにわいわい言いながら近所を歩き回っている姿はどこにも見られず、黒々とした闇がまるで私たちの不安な気持ちを象徴するかのようにあるだけでした。
11月7日現在、炭疽菌感染者は総計17人(肺炭疽8名、うち4名が死亡。皮膚炭疽9名)、抗生物質の投与を受けた人の数は32,000人にものぼったとされています。炭疽菌のための検査を受けた郵便局や他の建物は300以上、中でも最も多く菌が検出されたのはダシェル議員に宛てた手紙が開封されたハート議員会館とブレントウッド中央郵便局だとされています。
それでも11月5日の地元紙の一面は、ニュージャージー州で炭疽菌の被害で閉鎖されていた4つの郵便局のうち、ウエストトレントンとプリンストンの郵便局が営業を再開する、というニュースで占められ、また州のヘルスコミッショナーは、その2局の郵便局員に対し、60日分渡されていた抗生物質の摂取を中止するよう勧告しました。
11月6日には肺炭疽で当初生存の可能性は五分五分といわれていたトレントン本局の郵便局員が無事に退院の運びとなり、記者会見で「炭疽菌恐れるに足らず」と国民を勇気付けるなど、少しづつ明るい話題も聞かれるようになっており、また、新たな感染者が出てきていないことから、一応今回の炭疽菌騒動は峠を越えた、と考えられています。
とはいうものの、犯人逮捕の目処は全くついておらず、ニューヨークで肺炭疽の犠牲になったベトナムからの移民の女性についてはその感染経路すら全くわかっていません。いつまたどこかで何かがおきないとも限りませんし、震源地はまたしてもこの付近かもしれません。
今回は発症者が出ることなしには感知できない生物化学テロの恐ろしさを身に沁みて感じるとともに、情報が不確かなもとでの行動のしかたの難しさを痛感しました。今回、不幸にして犠牲になった方々が身をもって示してくれた教訓をきちんと情報として整理し、今後の生物化学兵器対策の一助とすることが、彼らに報いる最大の手だてではないかと考えます。
(茶野順子氏は、91年にSPFに入団、98年より米国フォード財団に出向中である。)
※このレポートは個人の意見であり、必ずしもSPFのそれを代表するものではありません。