Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第545号(2023.04.20発行)

自然の海洋酸性化海域を利用した海洋生態系の将来予測

[KEYWORDS]海洋酸性化/CO2シープ/生態系機能
筑波大学下田臨海実験センター助教◆和田茂樹

地球温暖化の邪悪な双子と呼ばれる海洋酸性化は、海洋生態系に甚大な影響を及ぼすことが懸念されているが、その将来予測は容易ではない。海底からCO2が噴出し、海洋酸性化を模した環境になった海域の利用は、複雑な生態系のシステムに海洋酸性化が及ぼす影響を知る上で極めて有効である。伊豆諸島式根島でのこれまでの研究で、生物相だけでなく物質循環など生態系の機能的側面まで変化が生じることが明らかとなっている。

海洋酸性化と生物・生態系の将来予測

伊豆諸島の式根島には、海底からブクブクと泡が湧いている海域がある。そこが、筆者らが2014年から重点的に調査をしている「CO2シープ(CO2 seep)」であり、地球温暖化の邪悪な双子(evil twin)※1とも呼ばれる海洋酸性化の影響をリアルに知ることのできる場となっている。
産業革命以降、人間活動から排出されるCO2の量は増大の一途をたどっており、それに伴う地球温暖化の進行は全球規模で対応が必要な問題である。人類が放出したCO2の一部は海洋に吸収されていることが知られており、このプロセスは地球温暖化に対する抑制機構となっている。一方で、海水にCO2が溶け込むことで生じる海水の化学的な状態の変化(海洋酸性化)※2が、2000年代ごろから問題視されるようになってきた。海洋酸性化によって、サンゴや貝など石灰化生物の骨格や殻を構成する炭酸カルシウムの生成阻害や、光合成生物の活性増大をはじめ、生物はさまざまな影響を受けるとされている。
生物への影響を知る手法として、実験水槽で飼育した生物を高CO2の海水に入れて反応を見る曝露試験がある。影響を直接的に示すことができる重要なアプローチであるが、海洋酸性化に対する生物の応答は多岐にわたり、一般化することは容易ではない。また、生物は海の中で単独で生息しているわけでなく、資源をめぐる競争や捕食—被食関係など他の生物と相互に作用しあっている。生態系の中の複雑な生物間相互作用への海洋酸性化の影響は実験的な評価が難しく、だからこそCO2シープでの研究に期待がかかっている。

仮想的な未来の生態系:CO2シープ

海底からCO2ガスが噴出する海域「CO2シープ」では、周囲の海水に噴出したCO2ガスが溶け込み、生態系が丸ごと高CO2環境に曝されている。すなわち、将来予測される高CO2環境下の生態系を垣間見ることができる稀有な海域である。筑波大学下田臨海実験センター(静岡県下田市)は、2014年から伊豆諸島式根島沿岸で調査を開始し、島の一角でCO2シープを発見した。式根島周辺の海域は温帯と亜熱帯の移行域であり、海藻とサンゴの混成群落からなる美しい水中景観が広がっている。しかし、CO2噴出域の近くだけは、サンゴや大型の海藻が減少し、小型の海藻や微細藻のマット状コロニーが海底を覆っている。サンゴや大型の海藻は、それ自体が小型の生物の生息場となるため、それらの消失はサンゴや海藻を生息場とするベントス(底生生物)や魚類の種数の減少を引き起こし、生物多様性の損失につながる。
CO2シープを利用して将来の生態系を直接見るだけでなく、なぜ生態系が変化するのかという理由を知ることが、海洋酸性化の進行への対策を講じる上で不可欠である。式根島CO2シープでは、海底の微細藻類が変化をもたらすキープレーヤーとなることが、複数の研究結果から見えてきた。高CO2環境下の海底に広がる微細藻類のマット状コロニーは、海中を懸濁する粒子を取り込み、厚みのある堆積物を構築する。その内部では蓄積した有機物が分解され酸素が消費されるが、水が交換しにくいために嫌気的(酸素を含まない状態)な環境が維持される。結果的に、海底面に貧酸素環境が形成され、微細藻類以外の付着生物の加入を妨げる。これらの変化は、CO2シープにおける現場観察を基にした研究と、数理モデルを使った理論的解析の両面から示されており、海洋酸性化の進行の影響を評価する上で注視すべき現象である。
生物相の変化は、生態系の機能的な側面にも波及する。例えば、光合成生産物が固定した炭素が生態系内で移行する過程(炭素循環)を知ることは、生態系内のエネルギーの流れや炭素隔離能を知る上で不可欠である。炭素循環のスタートである光合成に関しては、式根島の高CO2環境下で増加もしくはほとんど変わらないという結果が得られており、少なくとも負の影響は見られていない。しかし、海底に長期間付着して生育する大型の海藻から、小型の海藻や微細藻類といった短寿命の藻類に種構成が変化することで、海底からの海藻の脱離が増大することが示唆されている。沿岸の海藻の脱離は、沿岸の高い生物活性・バイオマスの維持という点では負の影響を及ぼす可能性がある一方で、隣接する海域へのエネルギー供給や、深海への炭素輸送を増大させる可能性も指摘されており、沿岸の生態系が持つ役割そのものが大きく変化していくと予想される。
近年、沿岸生態系はブルーカーボン(海洋の生物活動で隔離される炭素)を生み出す重要な場であることが注目されている。しかし、海洋酸性化に伴う沿岸生態系の激変は炭素循環の仕組みに影響を及ぼし、最終的にブルーカーボンの量的変化を引き起こすことで気候変動の進行にフィードバックする可能性がある。これは、気候変動の将来予測における大きなブラックボックスであり、未来の生態系であるCO2シープを利用したアプローチが極めて有効と考えられる。

国際ネットワークプロジェクトへの期待

CO2シープなどの自然の高CO2環境を利用したアプローチは、海洋酸性化に関する重要研究課題とされている。その一方で、CO2噴出部を操作することができないため、対象とする生態系の選択はCO2噴出海域周辺に限定される。そのため、1か所のCO2シープで展開できる研究の範囲は限定的であり、異なるタイプの生態系の将来予測を行うためには、複数のCO2シープを利用したマルチシープ研究が不可欠である。そこで2021年4月より、「自然の海洋酸性化生態系をつなぐ国際研究拠点」(ICONA: International CO2 and Natural Analogues Network)が(独)日本学術振興会の支援の基で発足した。これは、筑波大学下田臨海実験センター、東京大学、琉球大学、(国研)産業技術総合研究所、沖縄科学技術大学院大学などが国内拠点、イタリアのパレルモ大学やフランスの国立開発研究所が海外拠点として連携する国際ネットワークプロジェクトである。このネットワークでは、世界各地のCO2シープ研究者らが協力し、研究サイトを相互に利用しあうことで多様な研究アプローチを異なるCO2シープ周辺の生態系に展開していくことが期待される(図)。
例えば、日本側拠点の式根島CO2シープは海藻とサンゴの混成群落であるが、イタリア側拠点のブルカーノ島CO2シープは海藻と海草の藻場群落が広がる。フランス側拠点のパプアニューギニアのミルン湾CO2シープは、サンゴ礁生態系への影響評価が可能である。これらの研究サイトを横断する共同研究プロジェクトを進めつつ、新規CO2シープの探索やCO2シープを用いた研究手法のガイドライン策定、生態系への海洋酸性化の影響を考慮した提言の取りまとめなどを進めている。(了)

■図 ICONAの取り組み

  1. ※1いずれもCO2の増加を主因とする地球温暖化と海洋酸性化を双子と見なす表現
  2. ※2小埜恒夫「わが国沿岸域の酸性化の現状評価と適応策」本誌第532号(2022.10.5発行)
    参照 https://www.spf.org/opri/newsletter/532_1.html

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