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オーシャンニュースレター

第527号(2022.07.20発行)

海洋・沿岸域で求められる適応策 〜IPCC第6次評価報告書第二作業部会報告書を受けて〜

[KEYWORDS]気候変動/IPCC/適応
(公財)地球環境戦略研究機関研究員◆椎葉 渚

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気候変動問題に係る科学的な知見を提供し、国際社会における政策形成にも大きな役割を果たしてきた。最新の知見を集約した第6次評価報告書が順次公開され、2022年2月には気候変動の影響、適応、脆弱性を担当する第二作業部会が報告書を公表した。
本稿では、特に海洋と沿岸域の視点から、当該報告書の知見を要約する。

気候変動が海洋と沿岸域にもたらす影響

白化するサンゴ(写真:shutterstock)

気候変動対策というと、省エネルギーや再生可能エネルギーの利用による温室効果ガスの抑制を想起する人が多数派ではないか。しかし、気候変動の影響が顕在化しつつある昨今において、影響にどのように「適応」していくのかという視点も等しく重要であることを、忘れてはならない。ここ数十年の温暖化によって生じた過剰な熱のうち、約90%を吸収しているとされる海洋は、さまざまな環境変化に直面している。気候変動適応の観点から、海洋と沿岸域における適応策を講じることは喫緊の課題である。
2022年2月28日、IPCC第6次評価報告書第二作業部会(AR6-WGII)報告書『気候変動(Climate Change)2022:影響、適応、脆弱性』が公表された※1。本報告書は、まさに気候変動適応の視点からさまざまな分野の科学的知見を集約している。報告書第3章では、「海洋・沿岸生態系とそのサービス」を取り上げ、海洋と沿岸生態系の気候変動影響と適応を詳述している。また、地域・分野別の章でも海洋と沿岸域に関する最新の知見を取り上げている。IPCCは2019年に、『海洋雪氷圏特別報告書』(SROCC)を公表し、海洋と気候変動の関連について包括的な情報を提供した。今回公表されたAR6-WGII報告書は、特に気候変動適応の観点からSROCCの知見に追加的な価値を与えるものとなっている。
本報告書の重要なメッセージの一つは、短期のうちに1.5℃に達しつつある地球温暖化が、生態系および人間に対して複数のリスクをもたらしうることが非常に高い確信度をもって明らかとなったことである。また、仮に温暖化を1.5℃付近に抑えたとしても、気候変動に関連する損失と損害を大幅に低減させることはできるが、それら全てを無くすことはできないという。つまり、気候変動による悪影響がある程度避けられず、さらに将来の温暖化の進行によって拡大していくことから、気候変動への適応が重要かつ緊急の課題であるということがこれまで以上に確信をもって示された。海洋についても、海面上昇や海洋熱波、海洋酸性化などの深刻化が、生態系および人間社会、特に沿岸地域に住む人々に深刻な影響を与えることが示唆されている。
特筆すべきは、気候変動による海洋・沿岸生態系への影響について、SROCC以降さらに科学的な理解が深まっているという点である。報告書は、海洋熱波の深刻化などに伴って、海洋・沿岸生態系は今後生態学的なティッピングポイント(転換点)に至る可能性があると警告している。サンゴ礁などのいくつかの生態系はすでにティッピングポイントを迎えており、温暖化が1.5℃を超えると、海洋熱波によりサンゴ礁、コンブ場、海草藻場などの生態系の一部に不可逆的な変化を起こし、1.5℃未満に抑えたシナリオであっても今世紀中に高いリスクを抱えるとされている。生態系のティッピングポイントは、それらに依存する人間社会への影響や脆弱性の増大と関連することも指摘されていることからも、深刻な問題であるといえる。

今、なぜ適応が必要なのか

一方で報告書は、温室効果ガス排出を削減し、人間が海に与えるその他の影響(乱獲や汚染など)を抑制すれば、海洋・沿岸生態系がティッピングポイントに差し掛かるリスクを最小限に抑えることも可能であるとの見方も示している。逆に、適応策を講じない場合、2050年までに海面上昇率がサンゴ礁の成長率を上回る可能性が非常に高いとされるなど、適応策の速やかな実施が不可欠であることも示唆している。
しかし、報告書によれば、沿岸域における適応策は現状では不十分である。海洋の適応に必要な資金の調達が世界的に課題となっているなど、さまざまな障壁を乗り越えなければならない。また、インフラ構築だけでは沿岸地域が直面する適応課題の全てに対応できないことや、世界の低平な沿岸域で深刻化するリスクに対処するにはガバナンスや制度の改善が必要だとの見方も示されている。社会システムの根本的な見直しも含め、海洋と沿岸域の適応努力を世界全体で底上げしていかなければならない。

地球温暖化の進行による海洋生態系に対する世界および地域的な影響およびリスク
(IPCC AR6-WGII報告書図SPM3(a),(d)を元に筆者仮訳。環境省暫定訳に準ずる)

わが国の海洋、沿岸域における適応に向けて

日本においても、IPCCの新たな報告書の公表を契機に、気候変動適応の視点から海洋および沿岸域を捉え直すべきだろう。気候変動の深刻化は、生態系への悪影響を招き、水産業や観光業へと波及するほか、海面上昇や沿岸災害の激甚化を通じて海洋や沿岸域に関わる人間活動にも大きな支障をきたす。海洋国家である日本は、こうした将来のリスクに備え、健全な海と安全な沿岸の暮らしを守るため、遠い未来を見据えた行動が求められる。
日本の海洋政策においては、すでに気候変動影響を見据えた対応が検討されつつある。国土交通省港湾局に設置された「港湾における気候変動適応策の実装に向けた技術検討委員会」や、国土交通省と農林水産省が共同で設置した「気候変動を踏まえた海岸保全のあり方検討委員会」はその例である。今後はこれらの検討を着実に実行へ移すとともに、最新の科学的知見を取り入れつつ、海洋分野の適応策について一層の充実を図る余地がある。具体的な適応策の検討と実施については、多様な海洋・沿岸域の適応策を検討したAR6-WGII報告書の知見が多くのヒントを与えている。また、現状では海洋に関連する各分野(港湾、水産業、生態系保全等)がそれぞれの管轄府庁ごとに取り組みを進めているが、関連し合う個別の政策や指針の整合性をとり、政策的統合を図ることも課題の一つだろう。
政策的な検討の加速に加え、多様な主体が海洋と沿岸域の適応について関心を寄せることも重要である。報告書は、多様な適応の取り組みには、政府、コミュニティ、民間部門、市民社会を含むさまざまな主体が統合的かつ協力的に関与することが必要であると指摘する。気候変動の脅威から海を守るために、私たち一人ひとりが適応について考え、知恵を出し合わなければならない。(了)

  1. ※1環境省による政策決定者向け要約の暫定訳 : http://www.env.go.jp/earth/ipcc/6th/ar6wg2_spm_0318.pdf

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