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オーシャンニュースレター

第522号(2022.05.05発行)

沿岸域研究の現状とこれから:海洋学の10年展望2021より

[KEYWORDS]沿岸環境/複合ストレス/大量データ
九州大学応用力学研究所准教授◆木田新一郎

海洋科学として今後10年程度の間に取り組むべき研究テーマは何か。
「国連海洋科学の10年」などを背景に、日本海洋学会では将来構想ワーキンググループが編成され、2021年11月に沿岸域・極域・中緯度・熱帯・深層・大気海面境界・新たな手法と問題等の各研究テーマにおいて1年半かけて議論した内容を発表した。ここでは「沿岸域」で述べられている日本の沿岸域研究に関する内容を紹介する。

日本海洋学会における将来構想の取り組み

日本海洋学会では「国連海洋科学の10年」や国連「持続可能な開発目標」などを背景に、今後10年程度の間に日本の海洋コミュニティとして取り組むべき研究テーマ、またそのために必要な研究基盤について議論する将来構想ワーキンググループ(WG)が2020年に編成され、活動してきた※1。将来構想の検討は、WGの各研究者が大切だと感じているテーマをベースに物理・化学・生物の分野合同で進められ、その内容は海域別(沿岸域・極域・中緯度・熱帯・深層・大気海面境界)と「新たな手法と問題」の計7グループから昨年11月に公開された※2。ここでは私が関わった「沿岸域」において、日本の沿岸域研究をできる限り一般的に、俯瞰的に眺めて議論した内容を紹介する。

より大きい視点から沿岸域の変化を捉える

広大な海のなかでも沿岸域は人間生活に最も身近な海域であり、人々が通常目にする海は沿岸域である。しかし最も身近な海でありながら、沿岸域は日本周辺に限らず世界的に理解が遅れている海域でもある。沿岸域は潮の満ち引きによって時々刻々と場が変化するうえ、少し距離が離れるだけで流れが大きく変化してしまうため、全体像を把握することが難しいからである。
地球規模で起こっている気候変化・変動によって日本の沿岸環境がどう変化していくのかは、科学的興味だけでなく環境問題・水産資源・防災・観光といった社会に直結する問いである。ただ残念ながら沿岸環境の将来変化に対して明確な答えを出すにはまだ謎が多く残されている。日本の沿岸域の特徴は黒潮・親潮・対馬海流のような南北方向に流れる強い海流の影響を受けつつ、雪解け水や雨水がつくる河川水や地下水が流れ込むことで、北海道から沖縄まで水温・塩分・栄養物質の異なる様々な特徴をもった海水が形成されていることにある。外洋域と接する沿岸、そして陸域と接し河川や干潟などが存在する極沿岸、と沿岸域は二つの側面をもっているのである(図)。これまでの沿岸域研究は、この二つの側面を湾ごとのローカルな特徴を理解することに焦点をあてた形で発展してきた。しかし、気候変化・変動が引き起こす沿岸域の変化を理解するには、近年の集中豪雨と大規模洪水といった気象災害がいくつもの都道府県、そして湾をまたいで起きていることが示しているように、複数の湾を含む日本の地方くらいの大きさをもつ空間スケールで起こる変化に関する研究を積極的に進めていく必要がある。

■図 沿岸域(木田ら、2021のFigure1より)

複合的に作用する環境ストレスのプロセス研究の重要性

沿岸域で起こる変化のなかでも特に知りたい情報は生態系の変化だろう。沿岸域の生態系は、場が変わり続けるなかで様々な生物がそれぞれの反応速度で並行かつ相互に応答しているため、極めて複雑である。ただ近年、場を決める物理過程が徐々に明らかになってきた。また生物の群集レベルでの実験解析も始まっている。今後はこの生物過程を含めた物質の輸送・変質過程をいかに定量的に評価できるかが沿岸域の生態系を理解するための重要な鍵となるだろう。さらに沿岸域の持続性を議論するには複合ストレスの理解が欠かせない。陸域に接する沿岸域は、人間社会の影響を直接受けることで、赤潮(富栄養化)、貧酸素水塊、といった沿岸域に特徴的に出現する環境ストレスに加えて海面上昇・酸性化・貧酸素化・温暖化といった地球規模で起こる現象も波及する。単独のときと比べ、複合的にストレスが作用するとき、生態系はどう応答するのか。空間スケールが異なる際の共通性や違いについてはまだ不明な点が多い。野外と実験室では生物の環境場への応答メカニズムの理解にはギャップがあり、この隙間を埋めていく作業が地道ながらも重要である。物理・化学・生物の分野を超え、野外・数値モデル・実験解析といった研究手法を融合させながらプロセス研究を積み上げていかなければならない。

新技術を活用して大量にデータを獲得できる時代へ

日本の沿岸環境は、世界的に見ても多様で生産性が豊かである。この沿岸環境を守り、持続していくには、温暖化による生物の北上や社会活動の変化に伴って起こる沿岸域の変化をいち早く捉える必要がある。データ不足は沿岸域の研究にとって長らく課題であったが、新技術の発展によりこの現状からついに脱却できる時期にきたのかもしれない。高解像度化が進む衛星観測に加えて、安価な測器とスマホ・ドローン・AIの発達によって大量のデータの獲得と分析を可能にする技術がそろい始めている。多少精度が落ちても数多くの測器を漁船から投入したり、海底や漁具に張り巡らしたりすることで測定数を格段に増やせば、時間・空間解像度の高いネットワーク化した観測網が構築できる。世界を見渡しても日本ほど隈なく漁業が営まれている沿岸域は少ない。スマホやドローンで撮影した画像も観測データとして活用し、公開・共有できれば市民との共同モニタリングも実現しやすくなる。AI分析によって場所ごとに異なる海色の特性を抽出したり、サンゴ・海草・海藻の種判別もできるかもしれない。ドローンや海中ロボットを利用することで船舶スケジュールに縛られない高頻度観測も実現できる。これまで培ってきた船舶からの高精度な観測に加え、これら新技術を用いたモニタリング環境の整備は、海況予測モデルの精度検証と高度化、ひいては将来予測モデルの信頼性向上にも大きく貢献できるだろう。
「国連海洋科学の10年」におけるコースト・プレディクト(https://www.coastpredict.org※3のように世界の沿岸域研究は観測・予測の統合に向けて動き始めている。亜寒帯から亜熱帯に広がり、海流や河川の影響を強く受ける多様な沿岸域をもつ日本は、その知識を活用し、世界のなかでリードできる立場にある。マイクロプラスチックのような沿岸由来の環境問題の解決など、この恵まれた日本の沿岸環境を次世代へと引き継いでいくためにも、新技術が導入しやすくなった今こそ沿岸域の知識獲得を推し進めていくときである。(了)

  1. ※1日本海洋学会将来構想ホームページ https://kaiyo-gakkai.jp/jos/about/committee/future-vision
  2. ※2海洋学の10年展望2021:沿岸域 https://doi.org/10.5928/kaiyou.30.5_87
  3. ※3N. PINARDI著「コースト・プレディクト始動~グローバルな沿岸海洋の観測と予測~」、本誌第514号参照 https://www.spf.org/opri/newsletter/514_2.html

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