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オーシャンニュースレター

第522号(2022.05.05発行)

ゲノム編集による養殖魚育種の加速化

[KEYWORDS]ゲノム編集/陸上養殖/マダイ
京都大学大学院農学研究科准教授◆木下政人

ゲノム解読技術の目覚ましい進展や遺伝子機能情報の蓄積に加えて、近年開発されたゲノム編集技術を組み合わせることで、これまであまり手が付けられていなかった魚介類の育種・品種改良を短期間で実現できる可能性が出てきた。
そしてその先に、新たな養殖形態の構築や地域創生が期待される。
ゲノム編集育種の紹介と社会受容への取り組みについて述べる。

育種とはゲノム変異の蓄積作業

私たちが普段食べている農畜産物で原種はほぼなく、ほとんどは品種改良されたものである。品種改良は、栽培したものの中から突然変異(つまりゲノムの変異)により、人に有用な個体を選抜することであり、この作業を育種という。人類は農耕を始めてから1万年以上育種を繰り返し、その恩恵が現在の農畜産物となっている。このように人類の食料生産はゲノム変異の蓄積の歴史である。
これまで育種は、「紫外線や自然放射線などによりゲノムが傷つけられる」、あるいは、「細胞分裂時のDNA複製にミスが生じる」ことにより自然にゲノム(遺伝子)に変異が入り、新たな特徴が生み出されたものを選抜する「選抜育種法」により行われてきた。ゲノムに変異が入ることは自然でも起こり、それは進化の原動力となっている。そこに人為的な選抜を加えたものが育種である。
このような自然に起こるゲノムの変異は偶然に起こる現象であるため、いつ、ゲノム上のどの位置(どの遺伝子)に、何ケ所に、変異が入るか予測できない。そのため目的の特徴を持つ農作物を短期間で計画的に得ることはできない。
これまでゲノム上の狙った遺伝子を改変する対象は、胚性幹細胞(ES細胞)が樹立されているマウスなど、ごく少数の生物に限られていた。これに対してゲノム編集技術は、生物種を問わず任意の遺伝子(DNA配列)を改変できる画期的な技術である。現在、最も一般的に用いられているゲノム編集方法はCRISPR/Cas9※1と呼ばれる、細菌や古細菌が持つ免疫システムを利用したものである。CRISPR/Cas9は、特定の塩基配列を認識するguide-RNAとその場でDNAを切断するヌクレアーゼタンパク質で構成されている。ゲノム編集技術の根幹は、狙ったDNA配列を切断することである。切断されたDNAは、生物(細胞)自身の作用により通常は元通りに修復されるが、時として修復ミスを起こすことがあり、その結果として遺伝子機能が改変される。この方法では、細胞外のDNAの挿入は起こらない。
ゲノムDNA解読技術の画期的な進歩と各遺伝子機能の知見を土台とし、有用形質をもたらす遺伝子を狙ってピンポイントで改変するゲノム編集技術を用いることで、短期間で確実に目的の形質を持つ個体を作出できるようになった。
図1に示すように、従来の選抜育種方法またはゲノム編集を用いた育種(ゲノム編集育種)方法のいずれにおいても、「ゲノムに傷を生じさせ、その後の修復時に変異が導入される」という原理は同じである。しかし、前者ではいつどこに何ケ所変異が生じるのかは予想できず、また、不明である。一方、後者ではゲノムのどこにどのような変異が導入されたかが明確である。

■図1 ゲノム編集育種は従来育種のスピード化であり、原理は同じ

なぜ養殖でゲノム編集育種が必要か

人口増加による食料不足への対応や、低脂肪で良質のタンパク質を含む魚食の広がりから、世界的に魚介類の養殖量・消費量が増加している。一方、日本の水産業はマダイやマグロに代表されるように高い養殖技術を有しているが、小規模経営・高齢化・安価な水産物の輸入などのため、厳しい状態に追い込まれているのが現状である。この状況を打開する方策の一つとして、消費者の多様な要望を満たす高品質で日本の独自性の高い養殖魚品種を作り出すことが考えられる。しかしながら、水産物の育種は農畜産物のように進んでおらず、従来の選抜育種法で新品種を作製するには長期間を要する。そこで短期間で新品種が作製できるゲノム編集育種が注目されている。
ゲノム編集育種の一例として、陸上養殖による「肉厚マダイ」の開発が挙げられる。2014年の春(マダイの産卵期)にマダイのゲノム編集を開始した。標的とした遺伝子は、ミオスタチン遺伝子と呼ばれ、筋細胞の増殖や成長を抑制する働きがある。そして、この遺伝子の機能が自然突然変異により失われた肉牛で骨格筋量が増加することが知られていた。マダイのミオスタチンを標的としたCRISPR/Cas9を作製し、マダイの受精直後の卵に顕微注入法により導入した。これらを飼育し、2016年にミオスタチン遺伝子内の8個または14個のDNAが欠失し、ミオスタチンの機能を喪失した2系統を確立した。これらの系統では、狙い通りに骨格筋量が増加し丸みを帯びた外見となった(図2)。この肉厚マダイは、非編集魚に比べ体重は1.2倍以上となり、餌から体重への転換効率も14%改善し、より少量の餌で大きくなるものであった。この特性は、生産効率の上昇はもとより、餌となる小魚の消費を減らし天然資源を保護する、残餌による水質の悪化を低減する、など環境にも優しいという効果がある。

■図2 ゲノム編集育種により作出した肉厚マダイ(上)と通常養殖マダイとの比較

6次産業化への期待と社会受容

現在の海産魚の養殖は、洋上に網いけすを設置する海面養殖が主流である。この海面養殖は、飼育水交換の手間が要らないなど多くのメリットもあるが、自然災害、魚病のリスク、海面作業の危険性といったデメリットもある。一方、陸上養殖では、飼育水の水質管理や作業の安全性の確保がメリットとなるが、飼育水や設備維持管理のコストが障壁となっている。ゲノム編集育種では、養殖に適した特性を持つ魚や高付加価値の魚を短期間で作出できるため、陸上養殖のデメリットを克服できる可能性がある。また、ゲノム編集魚の無作為な拡散を防ぐために養殖所近辺で養殖魚を加工し流通させることも一案と考えられる。このように養殖、加工、販売までの6次産業化が可能となり、ゲノム編集魚を使った陸上養殖が、地域創生に貢献できると考える(図3)。
筆者はこれまでに、一般市民の方、高校生、大学生を対象としたセミナーや講演会を通じて、「安心」には正確な情報が必要であり、情報がないと「不安」と感じることを実感した。また、一方通行の情報提供ではなく、生産者・研究者・行政と一般市民との双方向の意見交換の必要性も実感した。そのためには、ゲノム編集食品に限らず、「どのようにして作られた」「どんな特徴を持つ」食品であるかを明示し、意見交換できる表示システムが重要であると考える。(了)

■図3 ゲノム編集技術を活用した養殖の展望

  1. ※1CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)を開発した米国とドイツの女性研究者2名は2020年のノーベル化学賞を受賞した。

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